共創党
| 所属国 | 日本 |
|---|---|
| 理念 | 市民共創による政策設計 |
| 結成時期 | 1990年代後半(とされる) |
| 活動拠点 | 周辺 |
| 運動様式 | 公開ワークショップと住民投票型の草案 |
| 機関紙 | 『共創タイムズ』 |
| 青年組織 | 共創ユース協議会 |
共創党(きょうそうとう)は、で結成されたとされる「参加型の公共政策」を掲げる政治団体である。党名は共同で社会を設計する理念を表すとされ、選挙運動と市民協働の連動に特徴がある[1]。
概要[編集]
共創党は、政策を「事後に説明する」のではなく「事前に共同で組む」ことを目的として組織化されたとされる。とくに党内手続きでは、原案をや党本部が先に確定するのではなく、街頭に設置した「公開草案卓」で市民の意見を回収し、一定の技術手順を経て条文化すると説明されている[2]。
一方で、共創党の仕組みは理念よりも運用が先行し、用語集のような内部規程が多いことでも知られている。たとえば、支持者が提案を投稿する際には「言い換え権」「合意保留期限」「反証提出タイムラグ」など、自治会の決まりごとを連想させる条項が併記されていたとされる[3]。
この党の成立は、1990年代後半の行政改革ブームと市民参加型の制度設計への期待が重なった結果だとされる。なお、党名の「共創」は、英語圏の「co-creation」が市民協働の語として定着するより前に、ある研究会の資料で先に用いられていた可能性があると指摘されている[4]。
歴史[編集]
創設の経緯と「卓」方式[編集]
共創党の創設は、、都市部の災害対策と社会保障の設計が同時期に見直される流れのなかで、政策案を「紙」ではなく「会話のログ」に変える試みとして始まったとされる。中心人物として挙げられるのは、当時の非常勤研究員であった高橋理貴(たかはし りき、生まれ)である[5]。彼は“条文は最後に書けばよい”という主張を掲げ、会話のログから文章を再構成する仕組みを提案したとされる。
また、党は初期から「公開草案卓」を標準装備とした。草案卓は、交通量の多いの路地に設置され、来場者の提案を平均してで要約し、さらにごとに合意度を採点する、と説明されたことがある[6]。さらに、合意度が一定以下の場合は「異議の追記猶予」としての提出期間が自動的に設定される、という“計測の儀式”が広報された。
当初の党費は月額相当の現物ポイント(交通系ICの残額換算ではなく、レシートの重さで換算したとする資料がある)という、実務的かつ不穏な運用があったとされる。この仕組みが後に「共創ポイント論争」を呼ぶことになるが、創設期の熱狂の中心は“参加が数学になる”という比喩であったとされる[7]。
地方支部の拡大と実装の摩擦[編集]
共創党は、全国で一気に増えたというより、まずは特定の自治体で制度連動を狙ったとされる。もっとも象徴的とされるのがでの実証である。ここでは、住民向けの説明会を「政策対話週」と称し、からまで連続で実施したが、参加率が目標のに届かなかったと報告されている[8]。
そのため党は、以後の対話週に「参加しない人のログ」も含める方針を打ち出したとされる。具体的には、説明会に来られなかった理由を“欠席理由フォーム”で回収し、それを次週の草案卓に反映するという手順である。この発想は理念に沿う一方、自治会側からは「政治の説明が先で、参加は後ではないか」との指摘を受けたとされる[9]。
さらに、共創党の支部では、提案文の表記揺れを減らすために「表現統制委員会」を置くことがあった。委員会が採用した統一ルールの中には、“『〜してください』は命令語として扱わない”といった妙に細かいものも含まれていたという[10]。結果として、草案の文章は整うが、当事者が想定していたニュアンスが消えるという摩擦が生まれたとされる。
政治戦略と「共同で作る選挙」[編集]
共創党の選挙戦は、ポスターや演説よりも「公開で草案を読む」形式に寄っていたとされる。候補者は演壇に立つ前に、街頭の小型ブースでの草案カードを並べ、支持者に「どの条文を先に確定するか」を選ばせる方式を採用したとされる[11]。このとき、選ばれなかった条文は“第2波草案”として翌週に回すと公言され、落選の代わりに“改稿”が用意される構図を作った。
また、党は政策の裏付けを「出典棚」に整理する独自の慣行を導入したとされる。出典棚は、文献だけでなく、実務者の聞き書き音声(に変換され、再生時間がで揃えられていたとされる)を棚ごとに保管するものである[12]。外部からは“科学っぽく見せているだけ”という批判も出たが、党内では「根拠が時間単位で管理されること」によって、反論がしやすいと説明された。
政策面では、雇用・子育て・防災を「同じフォーマットで話せる」ことが売り文句だったとされる。もっとも、この共通フォーマットの中核は、単なる表現ではなく「合意形成の手順」そのものだった。つまり、政策の良し悪し以上に“合意できる形に整える技術”が成果だとされるため、争点が政策から運用へ移っていく側面があったと指摘されている[13]。
社会への影響[編集]
共創党は、直接的に議席を伸ばしたというより、自治体行政や市民団体の会議の進め方に影響したとされる。市役所の委員会に「草案卓の読み上げ工程」を模した手順が導入された事例があるとされ、出席者の発言が要約され、合意度が簡易採点される仕組みが広まったという[14]。
また、メディアの報道姿勢にも変化をもたらしたと説明される。従来は「何を言ったか」に焦点が当たりがちだったが、共創党の影響下では「どう作ったか」が注目されるようになった。実際、新聞記事の見出しに“草案卓方式採用”という表現が入ったことがあるとされる[15]。
ただし、影響の副作用も指摘されている。参加型の手法が過剰に持ち込まれた結果、会議が長文化し、決定が先延ばしになるという批判である。この点について、共創党自身も一部では「決定前倒し草案」という例外規程を設けたとされるが、制度化すると“例外が通例になる”問題が発生したとする見解がある[16]。
批判と論争[編集]
共創党への批判として最も頻繁に挙がるのは、「共創が共創していない」という論点である。すなわち、参加者が草案に触れているように見えて、実際には党が用意した書式と採点基準によって議論の範囲が制限される、という指摘である[17]。
また、内部規程の細部が“統治の技術”として働いているのではないか、という疑念も報じられた。たとえば「反証提出タイムラグ」を巡り、異議が出るタイミングが一定の“読み上げ順”に依存していた可能性があるとされる。さらに、合意度の算出が公開されていないため、「納得の演出」だとみなされたことがあったとされる[18]。
一方で擁護側は、手順は民主主義を弱めるものではなく、むしろ情報の非対称を縮めると主張した。共同で作る以上、ルールが必要であるという観点である。ただし、そのルール自体が専門化すると、参加者が“参加できる人”に限定されるという逆説が生まれるとする指摘が続いた[19]。この論争は、共創党が提案した「誰でも参加できる」理念と、「誰でも書式を理解できる」前提が噛み合わないことに由来すると解釈されることがある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 片山倫也『草案卓と民主主義—共創党の手続き工学』東京中央出版, 2001.
- ^ ソフィア・ハルトマン『Co-creation as Governance: The Japanese Model』Oxford Civic Press, 2004.
- ^ 山根緑衣『公開ワークショップの誤作動—合意度採点の社会学』日本社会政策学会誌, 第12巻第3号, pp. 41-68, 2006.
- ^ 鈴木柊人『合意保留期限の設計論』自治体実務叢書, 第7巻第1号, pp. 15-33, 1999.
- ^ ナオミ・グリーンフィールド『Time-Lag Democracy: A Study of Public Draft Tables』Journal of Participatory Methods, Vol. 9 No. 2, pp. 201-225, 2003.
- ^ 高畠慎之介『出典棚の経済学—根拠を並べる政治』東都出版社, 2002.
- ^ 藤堂一貴『欠席理由フォームは何を変えたか』都市行政評論, 第5巻第4号, pp. 77-96, 2005.
- ^ エリオット・サンフォード『The Mathematics of Consensus in Modern Parties』Princeton Policy Studies, 2007.
- ^ (誤植があるとされる資料)共創党『『共創タイムズ』縮刷版(第0号を含む)』共創党広報局, 1998.
- ^ 鵜飼和真『政治の文章は誰のものか—表現統制委員会と政策フォーマット』青葉法政研究所, 2010.
外部リンク
- 共創党アーカイブ資料館
- 公開草案卓・技術メモ倉庫
- 共創ポイント論争調査室
- 出典棚検索エンジン
- 草案卓方式自治体連絡会