冥王駅
| 名称 | 冥王駅 |
|---|---|
| 種類 | 地下階併設の地方線ターミナル駅舎 |
| 所在地 | 冥王町 |
| 設立 | 46年(1971年) |
| 高さ | 地上 8.6m/地下 14.2m |
| 構造 | 鉄筋コンクリート造(地下部)+軽量鋼骨造(地上部) |
| 設計者 | 冥王町都市整備局 設計第三課(担当: 三井田 義昭) |
冥王駅(めいおうえき、英: Meiou Station)は、にある[1]。
概要[編集]
冥王駅は、現在では冥王町に所在する地下階併設の地方線ターミナル駅舎として知られている[1]。
本駅は「冥王」の名を冠するにもかかわらず、待合室の暖色照明と潮風を想定した換気計画が評価され、地域の観光パンフレットでは“夜でも安心して乗れる駅”として繰り返し言及されてきたとされる[2]。
また、駅舎内部には“出発より先に到着する”導線を模した展示室があり、これは当初から「宗教施設ではないが、精神安定に資する」と説明されていたとされる[3]。
なお、自治体史では開業時の乗降実績が「初年度だけで延べ 12,438,006人」と記載されているが、同資料は後年の訂正で「一部の数字が広告用に脚色された」とも紹介されている[4]。
名称[編集]
駅名の「冥王」は、対馬に多く伝わる海蝕洞(かいしょくどう)群の民間呼称が元になったとされる[5]。
一方で、当時の土木部の記録では、駅周辺の地形を“冥界の入口”に見立てる作業部会が存在し、その会議議事録に「冥王」の仮称が頻出したとしている[6]。
この仮称は最終的に、公募案の「鯨の灯台」「対潮門」などを押しのけて採用されたとされ、採用理由として「夜間照度の設計検討がしやすい語感であること」が挙げられたという逸話が残る[7]。
さらに、地元商店街の古老は「駅名を決めたのは運賃改定の議論だったが、なぜか“冥王”だけが通った」と語っているとされる[8]。
沿革/歴史[編集]
冥王駅の着工は44年(1969年)に始まり、同年に(当時)の「地下居住導線試行」特別枠が新設されたことが契機になったと説明されている[9]。
当初計画では地上ホームのみであったが、潮風による腐食データ(1968年冬季観測、鉄材の平均減肉 0.07mm)が提示され、地下階を設けることでメンテナンス周期を約 6割短縮できると試算されたという[10]。
次に、45年には駅前広場の“沈黙の石”と呼ばれるモニュメントが一度だけ先行設置されたとされる。これは工事の騒音対策という名目で、実際には請負業者が工期短縮の代償として「3日に1回、黙って点検する儀式」を社内に課した結果だとする報道もある[11]。
最終的な開業は46年(1971年)で、開業初日の入場者数は「午前 9時から午後 4時までに 1,392,514人」とされる一方、駅側は「計測装置が誤カウントを起こした可能性がある」としている[12]。
施設[編集]
冥王駅は、地上部と地下部で用途を分けた構成を採用している。地上部には改札・券売窓口・待合ロビーが配置され、地下部には“潮冷室”と呼ばれる貯蔵空間があるとされる[13]。
建物の外観は、対馬の石材を模した淡い灰色タイルを基調とし、柱の一部に黒色の縞模様が意匠されている。この縞は「夜間に見えにくい影を設計上残した結果」であり、視認性を高めるために敢えて悪目立ちを避けたと説明されている[14]。
地下の潮冷室は、食品保管ではなく“季節の体感”を調整するための小規模施設として運用された時期があるとされる。具体的には、夏季の待合室温を 27℃に保つため、地下から送風する制御アルゴリズム(仮称「対潮27」)が使われたという[15]。
また、改札口付近には「出発前展示」と呼ばれる小展示がある。これは利用者が乗車する前に、駅の“歴史が終わる場所”を見ることで、旅の不安を軽減する設計思想に由来するとされ、当時の設計者である三井田 義昭は「時間は前にしか進まないが、気持ちは逆に進める」と語ったとされる[16]。
交通アクセス[編集]
冥王駅へのアクセスは鉄道路線を中心に組まれている。駅に停車する系統は、正式には「対馬冥王線」と呼ばれ、日中は概ね 30分間隔で運行されるとされる[17]。
駅前には“潮待ちバス”と通称される路線バスが乗り入れ、対馬内の離島連絡地区までを結ぶとされる。時刻表は観測潮位に合わせて毎月改定される建付けで、改定の基準潮位差は 0.4m とされている[18]。
なお、駅から最寄りの港までは徒歩約 14分とされるが、観光案内では「早足なら 11分」とも記されている[19]。この差は、観光客が“沈黙の石”の前を通ることで体感時間が短く感じるよう誘導されたためではないかと指摘されている[20]。
駐車場は 128台分を計画していたが、最終的に 113台で運用されたとされる。これは“視界の黒帯”を確保するために進入角を制限した結果、収容効率が下がったという説明が残る[21]。
文化財[編集]
冥王駅は、開業後の改修を経つつも当初の一部意匠が保持されているとして、の登録有形文化財(建造物)に登録されている[22]。
登録時には、地上部のタイル張りの配合比(灰色タイル:黒色縞タイルが 9:1)、および地下換気ダクトの曲率が“当時の衛生設計思想を示す”として評価されたとされる[23]。
さらに、駅舎内部の「出発前展示」に含まれる小型パネル群が、地域の口承文化と結び付くとして保存対象に含まれた経緯があるとされる。もっとも、これらパネルの原本は当初から所在不明部分があり、後にが“復元図面をもとに再制作した”と発表したという[24]。
この再制作は、細部の文字フォントが 1970年代の官報書体に近いことから、保存運用をめぐって一部で「文化財が変質した」とする批判が出たとされる[25]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 冥王駅史編集委員会『対馬冥王線と冥王駅の記録』対馬市出版部, 2018.
- ^ 三井田 義昭『地下居住導線試行の設計覚書』建築技術出版社, 1972.
- ^ 坂井 玲子『海蝕洞信仰と駅名の記憶』長崎民俗学会紀要, 第12巻第2号, pp. 33-58, 2009.
- ^ 中村 信吾『潮位連動ダイヤの実務(地方線編)』交通政策研究叢書, Vol. 6, pp. 91-117, 1983.
- ^ 運輸省鉄道局『地下階併設駅舎標準計画(案)』運輸省技術資料, 第3巻第1号, pp. 1-64, 1969.
- ^ 長崎県庁土木部『腐食データ集—冬季観測報告』長崎県土木試験所, 第1集, pp. 12-29, 1968.
- ^ The Meiyou Coastal Infrastructure Review『Ventilation Curvature in Subterranean Stations』Vol. 14, No. 3, pp. 201-219, 1975.
- ^ 佐伯 明人『登録有形文化財としての駅舎—評価項目の解体』文化財保存ジャーナル, 第7巻第4号, pp. 77-104, 2016.
- ^ Katherine W. Dallow『Commemorative Panels and Urban Superstition』International Journal of Minor Monuments, Vol. 2, No. 1, pp. 1-18, 1991.
- ^ 冥王町都市整備局『出発前展示の復元手順』対馬技報, 第9巻第0号, pp. 5-22, 1999.
外部リンク
- 冥王駅 公式保存案内
- 対馬観光・潮位カレンダー
- 地下居住導線試行アーカイブ
- 対馬市教育委員会 文化財台帳
- 交通政策研究叢書(資料室)