南塩釜駅
| 正式名称 | 南塩釜駅 |
|---|---|
| 所在地 | 宮城県塩釜市南浜町一丁目 |
| 所属事業者 | 東北臨港鉄道株式会社 |
| 所属路線 | 塩釜臨海線 |
| 駅種別 | 貨客併用駅 |
| 開業 | 1931年7月18日 |
| 駅構造 | 地上駅・単式2面3線 |
| 備考 | 駅舎は昭和40年代の再建時に塩分対策として全面的に木材を銅板で巻いた |
南塩釜駅(みなみしおがまえき)は、の南岸に設けられたとされる、貨物塩流通と観光改札を兼ねるの駅である。かつては製塩業者の連絡拠点として知られ、駅名に「南」が付くにもかかわらず、駅舎の大部分は北向きに傾いていることで有名である[1]。
概要[編集]
南塩釜駅は、初期にの輸送効率化を目的として計画された駅である。旧の南側に位置し、当初は「塩の積替えだけを行う駅」として設計されたが、のちに通学客と観光客の利用が増え、現在では沿岸の小規模ターミナルとして扱われている。
駅名の由来については、北にあるとの対比で名付けられたとする説が有力である一方、開設当初に駅員が潮風を避けるため南側ホームだけに常時日除け幕を張っていたことから「南の塩釜」と呼ばれるようになった、という説もある[2]。なお、駅前には塩を積んだ台車を模した石碑があり、毎年の「しおかぜ点灯式」では地元児童が駅名看板を海水で磨く慣習が続いているとされる。
塩と鉄道の接点[編集]
の強化以後、沿岸では塩の集約出荷が課題となった。これに対し、地元の商工会議所と出身の技師・が、塩蔵倉庫を駅舎と一体化させる構想を提案したのである。
駅名の変遷[編集]
計画段階では「南浜停車場」「浜南駅」「第二塩釜駅」などの案が出されたが、最終的にの町会議で「南塩釜駅」に決定した。議事録には、町長が「『第二』では縁起が悪い」と発言したと記されているが、同席した記録係の筆跡が不鮮明で、後年になって『湯気が悪い』と読めるという指摘もある[3]。
歴史[編集]
開業までの経緯[編集]
の開業は、地元の製塩組合が沿岸の流通網をまとめるために急いだ結果とされる。工事には延べが関わり、そのうち約が塩分による工具腐食で途中離脱したと『臨海線工事日誌』にある。初列車はで、うち2両は塩の結晶を積んだ専用貨車であった。
戦前・戦中期[編集]
には軍需輸送の名目で駅構内に臨時の乾燥塔が増設され、塩だけでなく魚粉や帆布も扱ったとされる。一方で、海霧が濃い日は信号が見えないため、駅長が号手を雇って笛で進路を指示したという逸話が残る。この号手制度はまで続いたというが、当時の資料はほとんど潮で読めなくなっている。
高度経済成長期以後[編集]
の駅舎改築では、塩害対策として壁面にを巻く工法が採用され、完成直後は夕日を受けると駅全体が緑青色に光ったため、地元では「海辺の青い弁当箱」と呼ばれた。なお、のの際にはホームの一部がわずか沈下したが、運行への支障は出ず、むしろ乗客が「発車ベルが傾いて聞こえる」と話題にした。
駅構造[編集]
南塩釜駅は、単式ホーム2面3線を持つ地上駅であり、中央の中線は通常は貨物待避に用いられるが、塩の多い日は旅客列車が優先して停車するという独特の運用がある。ホーム上屋の柱には、開業時からの潮位記録が刻まれており、満潮時にはのズボン裾が濡れることから、駅売店では長靴の貸し出しが行われている。
駅舎内部には「塩目盛り板」と呼ばれる木製掲示があり、日ごとの湿度と塩気の強さをの7段階で表示する仕組みになっている。Aは「穏やか」、Gは「新聞紙が自立する」とされ、駅員はGの朝に限り改札鋏を布で包む慣習がある[4]。
ホームと改札[編集]
改札口は海風の直撃を避けるため、一般的な駅よりも30度ほど内陸側を向いている。これにより、初見の利用者が出口を見失い、結果として駅前の商店街に立ち寄る率が高まったとされる。
貨物設備[編集]
構内北端には、塩俵を自動で振り分ける「俵転車」と呼ばれる装置があった。これはにが試作したもので、一定以上の湿度になると勝手に回転を始める欠点があり、駅員が雨の日にだけ『走るな』と札を掛けていた。
運行[編集]
旅客列車は朝夕を中心に1日、貨物列車は塩の収穫期であるからにかけて増発される。とくにの「初塩ダイヤ」では、始発列車の先頭車に塩樽を1つ載せることで、その年の輸送安全を祈願する風習がある。
また、駅員の間では、が出ると発車時刻を3分だけ遅らせる「潮待ち調整」が慣行化している。これはに起きた信号誤認事故の再発防止策として導入されたもので、現在でもJR系のダイヤ担当者からは「理屈はわかるが、書類にしづらい」と評されている[5]。
接続路線[編集]
南塩釜駅からは方面の連絡バス、方面の生活路線バス、そして観光客向けの「海霧周遊便」が発着する。海霧周遊便は実際には市内を一周するだけであるが、車内放送が過剰に壮大なため人気が高い。
臨時列車[編集]
の花火大会やの時期には、駅前広場から団体臨時列車が設定される。最も有名なのはの「塩どころ号」で、車内販売が塩飴ではなく塩そのものを紙包みで配ったため、苦情が寄せられたという。
利用状況[編集]
駅の1日平均乗降人員は時点で約とされ、近隣の高校への通学客が大半を占める。観光シーズンにはを見に来た旅行者が迷い込むことが多く、駅員は毎年に『海が見える改札案内』のチラシを印刷して配布している。
一方で、地元商店街はこの駅を「塩の玄関口」として宣伝しており、駅利用者の約が下車後に塩せんべいを購入するという調査結果がある。なお、この数字は商店街振興組合が独自に数えたもので、改札内で買い物した人も含まれている可能性がある[6]。
通学利用[編集]
朝7時台は方面の学生で混雑し、改札機が一時的に『塩抜き状態』になるほどと形容される。学生たちはホームで海風を避けるため、教科書を胸に抱えて背中で風を受ける独特の立ち方を身につけたといわれる。
観光利用[編集]
観光客の中には、駅名の「南」を南国と誤解し、夏でも半袖短パンで到着する者が少なくない。駅前の土産店では、そのような客向けに『北風注意』と書かれた毛糸の帽子が売られている。
駅周辺[編集]
駅前にはへの参道を模した短い商店街があり、干物店、海苔店、ガラス細工店が並ぶ。とくに「南塩釜饅頭」を名乗る菓子店は、餡にほんのわずかに塩を効かせるのではなく、箱の裏に塩の結晶を貼り付けて『気分だけしょっぱい』として売り出し、地元で話題になった。
また、駅の南側には防潮堤を兼ねた遊歩道が整備されており、晴れた日にはまで見えると宣伝されている。ただし実際には天候と視力に大きく左右され、地元では『見えた気がしたら勝ち』という精神論で受け止められている。
周辺施設[編集]
駅北口にはの研究者が監修した『塩文化資料小屋』があり、古い塩樽、改札鋏、潮で膨らんだ時刻表などが展示されている。入館料は大人で、塩一袋持参の場合は引きになる。
地域行事[編集]
毎年の『しおかぜ祭』では、駅前ロータリーを使って塩積み競争が行われる。優勝者には記念切符が授与されるが、紙が吸湿して翌日には半分に波打つため、額装しないと保存できない。
批判と論争[編集]
南塩釜駅をめぐっては、開業当初から『製塩業に偏りすぎている』との批判があり、実際にには一般旅客の待合室よりも塩俵置場の方が広いことが問題視された。これに対し当時の駅長は『人も塩も運ぶのが駅である』と答弁したが、議会では『どちらかといえば塩である』と解釈され、新聞で小さく報じられた。
また、駅名に「南」と付くにもかかわらず、駅舎の正面はほぼ南南東を向いていないため、地理教育上の誤解を招くとしてに一部の教員団体が修正を求めた経緯がある。これに対する市の回答文書には、『方位は心の問題である』という一節があり、現在でも郷土資料館の人気展示として扱われている[7]。
塩害対策の費用[編集]
の大規模補修では、塩害対策費が当初見積りのに膨らみ、銅板の再塗装だけでを要した。これは駅前の商店街売上で相殺されたとされるが、商店会は『売上が上がったのではなく、駅が買い物を促しただけ』と反論している。
愛称問題[編集]
利用者の間では『南しお』『みなみの塩』などの愛称が使われたが、最終的に駅員が押印する補充券に『みなみしおがま』と略記したことから、略称が公的に固定された。なお、これに反発した一部住民は『南浜駅』派を名乗ったが、郵便物の誤配が続いたため自然消滅した。
文化的影響[編集]
南塩釜駅は、単なる交通結節点にとどまらず、沿岸部の生活文化を象徴する装置として扱われてきた。とりわけ駅前の時刻表を読めるようになると一人前とみなす風習は、地元では『時計より先に潮を見る』という生活哲学につながっている。
文学作品にもたびたび登場し、の短編『銅板の朝』や、連載の紀行欄『駅舎は潮の匂いがする』などで描かれた。もっとも、いずれも実在するかどうかの確認が難しく、資料室では『要出典』の付箋が三枚ほど貼られたままになっている[8]。
映像作品への登場[編集]
の地方ドラマ『海霧のホーム』では、駅長役の俳優が毎回改札で塩をまく演技をしたため、放送終了後に実際の駅でも真似をする観光客が現れた。駅側は当初困惑したが、のちに『安全祈願の所作』として半ば公認した。
駅弁と土産[編集]
名物の『南塩釜むすび』は、米粒の表面にごく薄い塩の膜を張るために、炊き上がり後30秒以内に包装しなければならないという職人技で知られる。地元では『冷える前に歴史が始まる』とまで言われ、駅弁大会ではしばしば審査員を困らせた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『塩と駅舎の近代史――南浜臨海線の設計思想』東北臨港交通研究会, 1978.
- ^ 佐藤由紀子『港町駅の成立と貨客併用の実務』交通文化社, 1984.
- ^ K. H. McAllister, "Salt Logistics and Railway Nodes in Northeastern Honshu," Journal of Maritime Rail Studies, Vol. 12, No. 3, 1991, pp. 44-67.
- ^ 宮城県塩釜市史編さん委員会『塩釜市史資料編 第6巻 鉄道と港湾』, 1996, pp. 113-148.
- ^ 鈴木啓介『海霧と信号機――沿岸駅の運行管理』運輸評論社, 2002.
- ^ Margaret A. Thornton, "The Copper-Clad Stations of Japan: A Comparative Note," East Asian Infrastructure Review, Vol. 8, No. 1, 2008, pp. 9-31.
- ^ 山本朔太郎『南塩釜駅の改札鋏と塩害対策』地方鉄道史料館叢書, 2011.
- ^ 東北臨港鉄道株式会社『南塩釜駅百年未満史』社内出版部, 2019.
- ^ 中村佳代『方位は心の問題である――駅名論争小史』郷土出版, 2020.
- ^ P. J. Ellwood, "A Station That Smells of Tides," Railway Folklore Quarterly, Vol. 4, No. 2, 2022, pp. 88-94.
- ^ 高瀬一郎『駅弁が先か、歴史が先か――塩むすびの社会学』食と鉄道研究所, 2023.
外部リンク
- 東北臨港鉄道資料室
- 塩竈港近代交通史アーカイブ
- 南塩釜駅保存会
- 宮城沿岸駅舎研究ネットワーク
- しおかぜ祭実行委員会