加賀美の中のマリオネット
| 名称 | 加賀美の中のマリオネット |
|---|---|
| 別名 | 鏡中操偶法 |
| 分類 | 舞台美術・演技補助技法 |
| 初出 | 1926年頃 |
| 提唱者 | 加賀美 恒一郎 |
| 主な活動地 | 東京府、京都市、横浜市 |
| 関連機関 | 帝国舞台研究会、関東演劇器具協同組合 |
| 特徴 | 鏡面と糸影を重ねて操演者の動作を遅延表示する |
| 流行期 | 1931年 - 1940年 |
| 現在の扱い | 実演例は少ないが、舞台史の一技法として研究対象となる |
加賀美の中のマリオネット(かがみのなかのマリオネット)は、を利用して人形の可動域を可視化するために考案されたとされる日本の舞台技法である。主に末期ので成立したと伝えられている[1]。
概要[編集]
加賀美の中のマリオネットは、演者の背後に設置した複数の鏡と薄布を用い、観客に「人形が鏡の中で先に動いている」ように見せる演出法である。一般にはの亜流とみなされるが、実際にはとの接点で生まれた複合技法であり、当時の劇場関係者のあいだでは「半歩遅れて見える演技」として知られていた。
名称の「加賀美」は、提唱者であるの姓に由来するとされる一方、のちに「鏡を加えて美を作る」という語呂合わせが広まったため、後世の解説書ではしばしば民間語源が併記される。なお、初期の記録には「カガミ式内蔵操偶」などの表記揺れがあり、の『帝都舞台年報』でほぼ現在の表記に定着したとされる[2]。
成立の経緯[編集]
起源については諸説あるが、もっとも有力なのはのにあった小劇場「白梟座」で、舞台転換の失敗を隠すために鏡板を多用したことが始まりとする説である。加賀美はそこで照明係として働いており、稽古中に偶然、ガラス越しの反射で人形の影が二重化する現象を観察したという[3]。
その後、加賀美はのに移っての旧式実験室を借り、糸の張力・反射角・舞台奥行きを組み合わせた「三角遅延模型」を作成した。模型では、糸の張りを0.8ミリ単位で変えると視線の焦点が最大で1.4秒ずれることが確認されたとされるが、この数字はのちに関係者によって盛られた可能性が指摘されている[4]。
にはの港湾倉庫を改装した「東洋映演館」で初の公開実演が行われ、観客132名のうち17名が途中で「人形が自分を操っている」と証言したとされる。この反応が評判を呼び、同技法は一部の前衛劇団に急速に取り入れられた。
技法[編集]
鏡位相と糸影の重ね合わせ[編集]
加賀美の中のマリオネットの核心は、舞台袖に置いたと、黒糸で吊られた人形の影を同時に観客へ提示する点にある。演者は人形そのものを操作するのではなく、鏡に映る「遅延像」を先に意識させることで、実際の動きよりも精密な操演が行われているように錯覚させる。
この手法では、観客の視線が鏡の中央に固定されるほど効果が高いとされ、の実験公演では、前列席と後列席で満足度が明確に異なった。前列では「人形が生きているようだ」との感想が多かったのに対し、後列では「鏡の掃除が気になる」との苦情が寄せられたという。
加賀美式関節緩衝機構[編集]
後年、加賀美は人形内部に銅製の小バネを仕込む改良を行い、これを「関節緩衝機構」と名付けた。これにより、腕や首の停止が完全な静止ではなく、0.2秒ほど揺れ残るため、舞台上での存在感が増したとされる。
一方で、劇団によってはこの揺れを過剰に評価しすぎた結果、マリオネットが不自然に「ためらう」演技に偏ることもあった。批評家のは、これを「人形が自意識を持った瞬間である」と評したが、舞台技術史研究では誇張として扱われている。
音響との同期[編集]
1940年代に入ると、の回転数を用いた簡易同期が導入され、台詞の切れ目に合わせて糸を引く方式が普及した。加賀美流の演出では、音の立ち上がりから0.6拍遅れて人形が反応するように設計するのが定石であり、この「わずかな遅れ」が観客に不気味さと可笑しみを同時に与えたとされる。
ただし、同技法はの影響を強く受け、梅雨時には糸が伸びて予定より0.3秒遅延するため、上演当日に舞台監督が団扇で風を送って調整したという逸話が残る。
流行と受容[編集]
加賀美の中のマリオネットが広く知られるようになったのは、にで行われた特別公演「夜半の操者」以後である。この公演では、台本の半分が即興で差し替えられたにもかかわらず、鏡中の人形だけが予定どおりに見えたため、観客の間で「失敗を成功に変える術」として語られた。
研究者のあいだでは、同技法が前衛演劇の文脈だけでなく、百貨店のショーウィンドーや見世物小屋にも流入した点が注目されている。の老舗玩具店「木原屋」では、週末限定で小型の鏡中マリオネットを展示し、来店者数が通常の1.8倍に増えたという記録が残る。
また、には夕刊で「鏡のなかで先に笑う人形」として紹介され、一般家庭向けの工作記事まで掲載された。これにより、木箱と手鏡で再現しようとする少年少女が急増したが、実際には9割以上が鏡を倒して終わったと伝えられている。
批判と論争[編集]
一方で、加賀美の中のマリオネットには「観客の注意を鏡に奪わせるだけで、技法としては過剰に神秘化されている」とする批判もあった。の美学講座で教鞭を執っていたは、1936年の講演で「これは舞台芸術ではなく、反射の政治である」と述べたとされる[5]。
また、戦前期の一部劇場では、鏡面の使用が検閲当局に「思想の二重化」を連想させるとして問題視されたという説がある。ただし、これを裏付ける一次資料は乏しく、後年の舞台批評家が雰囲気を誇張した可能性が高い。なお、と付記されたまま放置された脚注がの概説書に残っている。
さらに、加賀美自身が晩年に「本来は人形を見せる技法ではなく、観客の見る癖を暴く装置である」と述べたとする証言もあるが、これは弟子筋の回想録にしか見えないため、評価は割れている。
後世への影響[編集]
戦後になると、加賀美の中のマリオネットは実演よりも理論的な参照枠として生き残り、の編集技法やのスタジオ演出にも影響を与えたとされる。とりわけ、技術研究所の初期資料には、カメラのパンに対して被写体を遅らせて動かすことで「鏡中効果」に近い印象を得る試みが記録されている。
の東京五輪後、海外の舞台美術家がこの技法を「Kagami Delay」と呼んで紹介したことから、欧米の実験劇団にも断片的に伝播した。ロンドンのでは、同様の方法を使った上演が1シーズンだけ行われ、批評家の一人は「日本由来の、非常に礼儀正しい幻想である」と評したという。
近年はやの演出研究において再評価されており、2022年にの研究会が発表した報告では、視線追従と遅延映像の組み合わせが加賀美流の原理に近いと指摘された。もっとも、現代技術の文脈で語ると急にまともに見えてしまうため、逆にこの技法の胡散臭さが際立つとも言われている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 加賀美弘之『鏡中操偶論』東都舞台出版, 1933.
- ^ 南條竹雄『前衛劇と反射装置』白梟社, 1938.
- ^ 小沢貞太郎『舞台美学概説』東京帝国大学出版会, 1936.
- ^ Harold M. Bennett, "Delay, Reflection, and Marionette Perception," Journal of Stage Mechanics, Vol. 12, No. 3, 1949, pp. 41-68.
- ^ 三浦由紀『鏡と糸の演出史』文化芸術研究所, 1957.
- ^ Eleanor J. Whitcomb, "The Kagami Effect in Eastern Experimental Theatre," Theatre Studies Quarterly, Vol. 8, No. 1, 1966, pp. 9-27.
- ^ 『帝都舞台年報 昭和2年度版』帝都舞台協会, 1927.
- ^ 佐伯登志夫『見世物と都市の光学』河出仮想書房, 1972.
- ^ 田所真一『加賀美の中のマリオネット小史』関東演劇資料館, 1984.
- ^ Miriam L. Howe, "Puppets That Arrive Before Their Shadows," International Journal of Kinetic Arts, Vol. 5, No. 2, 1975, pp. 113-129.
- ^ 『鏡中効果とその誤用』日本舞台技術協会紀要 第14巻第2号, 1991.
外部リンク
- 帝都舞台資料アーカイブ
- 鏡中演出研究会
- 関東演劇器具協同組合資料室
- 東洋映演館デジタル年鑑
- 前衛劇保存センター