劣うしわか丸!
| 名称 | 劣うしわか丸! |
|---|---|
| 別名 | おとうしわか丸、劣丸式、下賜型うしわか法 |
| 起源 | 鎌倉時代後期 |
| 発祥地 | 京都・東山一帯 |
| 主な担い手 | 武家、寺社の稚児、町年寄 |
| 用途 | 家格の誇示、祝儀、対面儀礼 |
| 方式 | 唱和、所作、木札、勝敗判定 |
| 衰退 | 明治初期にほぼ消滅 |
| 復興運動 | 昭和後期の民俗学的再評価 |
劣うしわか丸!(おとうしわかまる)は、後期に成立したとされる、の家訓とを融合した日本の口頭儀礼である。のちにの下級公家層を中心に流行し、近世には勝敗判定を伴う集団遊戯として再編された[1]。
概要[編集]
劣うしわか丸!は、相手の家格や場の格付けを、一定の語順と身振りによって瞬時に判定する儀礼である。基本形では、唱者が「うし」「わか」「まる」の三拍子を踏みつつ、最後に「劣」を強く置くことで、対象を名目上いったん下位に据え、のちに反転させる構造を持つとされる[1]。
この技法は、を模した少年装束の口上から派生したという説が有力であるが、実際には麓の文書蔵で見つかった年間の控帳に、すでに簡略化された形式が記されていた。もっとも、その控帳には米相場と僧侶の鼻緒代が同じ欄に書かれており、学界では早くから要出典扱いとなっていた[2]。
名称の「劣」は、単に低いことを意味するのではなく、場を制御するために一時的に下がる「劣位の美学」を指すと説明されることが多い。ただし、の一部史料では「おとるしわかまる」と読ませる例もあり、読みの揺れが少なくない[3]。
歴史[編集]
成立と初期伝承[編集]
起源譚では、の末期、ある御家人が嫡男の元服の席で失態を避けるため、先に自分を「劣」と称して相手の緊張を解いたことが始まりとされる。この逸話は政権下の説話集『東坂家聞書』にのみ見え、他の文献では確認されない[4]。
一方、の周辺で行われた宴席では、童舞の掛け声として用いられたとする説もある。特にの酒肆で使われた「丸下げ」作法が、のちの劣うしわか丸!の判定音へ変化したとされるが、これも1920年代の民俗採訪記録に急に現れるため、後世の創作ではないかとの指摘がある。
室町から江戸への変容[編集]
に入ると、劣うしわか丸!は寺社奉納の余興として整えられ、三人一組で木札を取り合う方式が成立した。勝者は「上げ丸」、敗者は「劣しわか」と呼ばれ、拍子木の回数によって格付けが変動したという[5]。
には、のやで町人向けの見世物として流行し、寛政期には興行ごとに参加料が二文から八文まで変動した記録がある。なお、年間の『御触書留』には「劣うしわか丸之儀、夜五ツ時以後ハ無用」とあり、深夜の過熱が問題視されていたことがうかがえる。
近代の再発見[編集]
明治維新後は、旧来の家格意識と結び付くとして各地で忌避されたが、の民俗調査班がにの山間部で断片的な実演を採録したことで再評価が進んだ。採録ノートには「唱者、左足を一歩引き、唇をすぼめて『まる』を長く言う」とあり、研究者のあいだで珍しく動作記述が詳しい資料とされる[6]。
その後、初期の前身機関による巡回調査で、・・の三系統が確認された。ただし、各地で内容がかなり違い、宮城系は静的、岡山系は拍手中心、鹿児島系は唐傘を回すという、同一儀礼とは思えないほどの差異があった。
儀礼構造[編集]
劣うしわか丸!の基本構造は、導入・降格・反転・宣言の四段階から成る。導入では唱者が対象の名を一度だけ呼び、降格では「劣」の字札を掲げ、反転で所作を逆向きにし、最後に「丸!」で格を確定させる。この一連の流れは、の「客前での沈降」に影響を受けたという説がある[7]。
判定は、木札の角度、発声の高さ、袖口の位置を合算した十二点法で行われた。七点以上で「可」、九点以上で「上」、十一点以上で「極上」とされたが、流だけは十四点満点で、しかも端数の三分の一点を許容したため、他流派からは計算が煩雑すぎると批判された。
また、勝敗が明瞭でない場合には「丸返し」と呼ばれる再試行が行われ、最大三回まで認められた。三回連続で失敗した者は、その場で檜の小札を受け取り、翌年の同じ日に再挑戦する慣例があったとされる。
社会的影響[編集]
江戸後期には、劣うしわか丸!は婚礼の座敷で用いられることが増え、両家の序列を穏やかに調整する便利な仕組みとして歓迎された。特にでは、婿養子が「劣」を先に言うことで家格への配慮を示し、のちに酒席で「上げ丸」を返すのが礼儀とされた[8]。
一方で、の外来文化との接触により、同様の手順が「ウシワカ・デクラッション」として紹介され、者の間で奇妙な人気を得た。オランダ船の通詞が「丸」を球状の祝辞と誤訳したため、いっとき港町で丸い饅頭を配る慣習まで生まれたという。
劣うしわか丸!はまた、子どもの遊びにも転用され、30年代には「劣丸ごっこ」としての下町で広まった。これは、いちばん弱い者が最初に名乗ると次の番で強くなれるという、教育的効果があるとされ、小学校の生活指導で一時的に奨励された記録も残る。
批判と論争[編集]
この儀礼は、家格をいったん「劣」と表現することで秩序を保つという逆説的な性格から、近代以降しばしば封建的であると批判された。特に末期の論者は、劣うしわか丸!が「序列を笑いで包む高度な社会技法」である一方、実際には排除の道具にもなり得ると指摘した[9]。
また、にが無形資料としての登録を検討した際、構成員の一部が「踊りなのか、呪文なのか、早口言葉なのか判然としない」として異議を唱え、審査は一年以上停滞した。最終的には「地域口承の一形態」として仮登録されたが、登録票の備考欄には「丸の意味未詳」とだけ書かれていたという。
さらに、期の復興団体が演目を再現した際、判定の十二点法をデジタル化しようとして失敗し、採点アプリが毎回「劣」を最高点として表示する不具合が発生した。この件は一部の愛好家には歓迎されたが、学術的には「伝統の再現というよりバグの保存である」と評された。
現代の復興[編集]
以降、劣うしわか丸!はとの交点にある題材として注目されている。とりわけの共同調査では、参加者の47.3%が「内容はよく分からないが、とにかく声に出すと楽しい」と回答し、儀礼の体験価値が再評価された[10]。
の保存会では、毎年の第2土曜に「丸上げ祭」が開催され、来場者が4人1組で「劣」「うし」「わか」「丸」を分担する。2023年の来場者数は推計2,180人で、前年より14%増加したとされるが、雨天時は参加者の傘さばきが優先されるため、実際の実演数は半分程度であった。
なお、近年は上で「#劣うしわか丸チャレンジ」が流行し、三拍子で自己紹介を行う動画が散発的に投稿されている。ただし、最後に「丸!」と叫んだ直後に画面外へ退出するのが作法なのか、単なる照れ隠しなのかは、今なお議論が分かれている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 久保田茂平『劣うしわか丸!の口承構造』民俗芸能学会誌 Vol.12 No.3, pp. 41-67.
- ^ 山辺里子『中世宴席における降格語法の研究』京都文化出版, 1988.
- ^ Margaret A. Thornton, "Ritualized Downgrading in Early Japan", Journal of Comparative Folklore Vol.27 No.2, pp. 113-146.
- ^ 田所重信『木札と拍子木——劣丸作法の地域差』東洋民俗研究 第18巻第1号, pp. 5-29.
- ^ Hiroshi Kanda, "The Maru-Cycle and Social Rank Performance", Transactions of the Pacific Ethnology Society Vol.9 No.1, pp. 201-219.
- ^ 斎藤みのる『劣うしわか丸!再興記録』国立口承資料館紀要 第6号, pp. 88-104.
- ^ 渡会奈央『「丸」の意味未詳問題について』文化財論叢 第44巻第2号, pp. 9-18.
- ^ Eleanor P. Whitcombe, "Performing Inferiority: The Ushiwaka Tradition in Village Japan", Cambridge University Press, 2004.
- ^ 小泉智之『序列を笑う技法』新潮社, 1997.
- ^ 「劣うしわか丸の採点アプリ障害報告書」情報文化研究所技報 第3巻第4号, pp. 1-12.
外部リンク
- 日本劣丸保存協会
- 東坂家文庫デジタルアーカイブ
- 丸上げ祭実行委員会
- 国際比較序列遊戯学会
- 民俗芸能再演ネットワーク