包装紙考古学
| 分野 | 考古学、物質文化史、包装技術史 |
|---|---|
| 提唱者 | 神谷俊介 |
| 成立 | 1964年ごろ |
| 研究対象 | 包装紙、熨斗紙、封印、贈答痕跡 |
| 主な拠点 | 東京都文京区・小石川 |
| 主要資料群 | 百貨店包装紙、祝儀袋、地方紙の折込包材 |
| 学会 | 日本包装紙考古学会 |
| 関連概念 | 贈答考古学、紙質年代学 |
包装紙考古学(ほうそうしこうこがく、英: Wrapping Paper Archaeology)は、古紙層に残された包装紙の折り癖、糊痕、印刷順序、封緘の破断面を手がかりに、消費文化の年代測定と流通経路の復元を行う学際分野である[1]。主に東京都の研究者を中心に発展したとされ、戦後日本の贈答文化の再編を説明する鍵として知られている[2]。
概要[編集]
包装紙考古学は、もともと古紙回収現場で見いだされた折り畳み痕や印刷ずれを、単なる廃棄物の特徴ではなく、社会的儀礼の痕跡として読む試みから始まったとされる。研究者は包装紙の色調、和紙繊維の配合、版木の摩耗、さらには百貨店ごとのリボン結びの癖までを比較し、年代と地域差を推定する[3]。
この分野の特色は、包装紙そのものよりも「包まれ方」に重きを置く点にある。たとえば大阪では二重巻きの角留めが多く、名古屋では箱の天面に余白を多く残す傾向があるなど、都市ごとの儀礼的美意識が可視化されるとされる。なお、1970年代には日本万国博覧会の記念包装紙をめぐって、学会内で「これは近代民俗資料か、広告印刷物か」という論争が生じた[4]。
一方で、包装紙考古学はしばしば「ゴミ漁りの高級化」と揶揄されてきた。しかし実際には、包装紙に残る再利用の折り目から家計状況や贈答の頻度を推定できるため、戦後の都市中間層研究において一定の有効性を持つとされている。また、紙の再生パルプ化以前の層位を判別する補助指標として、博物館実務にも導入された例がある[5]。
歴史[編集]
起源と提唱[編集]
この分野の起源は、1964年に東京大学文学部の助手であった神谷俊介が、文京区の旧家解体現場で大量の包装紙束を採集したことに求められる。神谷は当初、紙質分析の補助試料として扱っていたが、同年の冬に銀座の百貨店三社の包装紙を比較し、版面の刷り順に「贈答圏」があることを発見したという。
神谷はこれを『包装層位学試論』として1967年に私家版で刊行し、翌年日本民俗学会の分科会で発表した。発表は当初ほとんど注目されなかったが、会場で配布された見本紙のうち、赤地に金雲母を散らした試料が京都の旧呉服商の包装紙と一致したことから、一部の研究者が関心を示したと伝えられる。
学会化と制度化[編集]
1973年には日本包装紙考古学会が結成され、事務局は当初神田の貸事務所に置かれた。会員数は初年度で42名、うち実務家は8名、残りは民俗学、印刷史、デザイン史、化学分析の研究者であった。年会費は3,600円で、会誌は『包装紙考古』第1号として1974年に発行された。
1980年代に入ると、百貨店の包装紙更新が相次ぎ、旧版の収集が困難になったことから、研究者たちは地方の祭礼、仏事、受験合格祝いの包装紙に対象を広げた。また兵庫県の神社では、奉納物を包んだ和紙の折り方が年ごとに異なることが判明し、これが神事の改革時期を推定する補助指標となった。この時期、包装紙考古学は実地調査に加え、流通企業の倉庫に残る未使用ロットの解析も行うようになった[要出典]。
国際展開[編集]
1991年には英国のケンブリッジ大学で「Wrapping, Waste and Ritual」というシンポジウムが開催され、包装紙考古学が英語圏に紹介された。欧米では贈答包装よりもクリスマス商戦の残余物研究に応用され、特にロンドンのデパート紙袋と内包紙の積層構造が、消費階層の推定に利用されたとされる。
韓国ではソウルの市場紙包装研究と接続され、中国では春節用の赤包装紙の印刷規格比較が進んだ。もっとも、各国で「紙を包む行為」自体の意味が異なるため、国際比較はしばしば翻訳不能な比喩に依存した。1998年の国際会議では、フランス側研究者が「包装紙の皺は都市の呼吸である」と述べ、議事録に残る名文句となった。
方法論[編集]
包装紙考古学の基本手法は、採集、平面化、層位記録、印刷解析の4段階からなる。まず現場で包装紙片を回収し、糊の残留位置、折り返し角度、テープの規格を記録する。つぎに繊維方向を揃えて平面化し、透過光下で水印や製紙会社のロット印を確認する。
研究者はとくに「包み直し痕」を重視する。贈答品が一度開封されたのち、別の包装紙で再包装された場合、内側紙と外側紙の時代差が数年から十数年ずれることがあり、これにより家庭内の経済的転換点が推定できるとされる。また、昭和後期の高級包装紙には、角の内側にだけ現れる試し折りが多く、これを百貨店職人の訓練段階と結びつける研究がある。
一方、デジタル化以後は、スキャン画像から折線の密度を自動抽出する「折癖分光法」も導入された。もっとも、アルゴリズムが風呂敷の結び目を包装紙と誤認する事故が2012年に3件発生し、学会では人力判定の重要性が再確認された。
主要人物[編集]
神谷俊介[編集]
神谷俊介1931年 - 2004年は、包装紙考古学の提唱者である。愛知県出身。もともとは紙幣の紙質分析を専門としていたが、旧家の納戸から出た包装紙束に着目し、贈答文化を「移動する遺構」とみなしたことで知られる。
神谷は現場での観察を重視し、百貨店の紙包み実演を半日観察しただけで、地域差を13類型に分けたという。晩年には『紙は捨てられてからが本番である』という有名な言葉を残したとされる。
社会的影響[編集]
包装紙考古学は、博物館学だけでなく、小売業の包装設計にも影響を与えた。1980年代後半には、いくつかの百貨店が研究者の提案を受け、地域別に折り方の異なる包装紙を限定配布し、顧客満足度を測定した。結果として、贈答の儀礼性が増す一方、同じ紙を何度も使い回す客が増えたため、売り場では「再包装回数」まで管理するようになったという。
また、地方自治体のごみ減量施策では、包装紙を単なる可燃ごみではなく、地域記録資料として分別する試みが行われた。これにより、回収業者が「これは資料か、ただの包装か」を巡って現場判断を迫られる事態が頻発した。とくに仙台市では、正月包装紙の一括回収から市民向け展示までが一体化し、年末年始の恒例行事となった[6]。
一方で、古い包装紙を高値で取引する「紙骨董」市場が形成され、未使用の昭和期デパート紙が1枚2,000円前後で出回った時期がある。これに対し学会は、包装紙は本来「包まれ、開かれ、痕跡を残して消える」ことに価値があるとして、未使用品偏重を批判した。
批判と論争[編集]
包装紙考古学に対する最大の批判は、資料の再現性が低いことである。包装紙は保存状態に強く左右され、湿気、油染み、手汗、猫の爪痕までが年代推定に影響するため、同一試料でも解釈が割れやすい。このため、1978年の学会大会では「折り目は史料か、それとも事故か」をめぐり、6時間に及ぶ討論が行われた。
また、百貨店側からは、包装紙の研究が売り場の包み方を標準化しすぎ、職人の個性を奪うという反発があった。特に京都の老舗では、研究者が記録のために包装紙を裏返して保存したところ、「表と裏の美意識を取り違えている」と苦情が寄せられたとされる。なお、1999年には「包装紙の皺を風化とみなすか、単なる押し込みとみなすか」で分科会が分裂した。
さらに、近年は電子商取引の普及により、実物包装紙の流通量が減少し、代わって印刷された「疑似包装紙画像」を史料として扱うべきかが議論されている。これに対し一部の研究者は、箱を包む前に配信される3Dプレビューまで考古資料に含めるべきだと主張しており、さすがに過剰であると評されている。
研究機関と資料館[編集]
包装紙考古学の拠点としては、文京区の旧商家を改装した「包装層資料室」が知られている。同館は常設展示として、明治末期の和紙包装、昭和30年代の百貨店帯紙、平成初期の発泡緩衝材付き包装の三層比較を掲示している。
また横浜には「港湾包装痕跡保存センター」があり、輸出用木箱に貼付された包装紙と税関ラベルの重なりを専門に扱う。収蔵点数は2023年時点で約18万7,000点とされ、うち3割は贈答品ではなく、電化製品の箱から剥がされた紙片であるという。
近年では、国立歴史民俗博物館や印刷博物館との共同研究も進み、紙質、色材、接着剤の分析結果を統合した「包装紙年代地図」が公開された。ただし、この地図は実際には包み方の流行を色分けしただけで、初見では地質図と見間違えるため、来館者の一部からは「やけに本格的な落書き」とも呼ばれている。
脚注[編集]
脚注
- ^ 神谷俊介『包装層位学試論』私家版, 1967.
- ^ 日本包装紙考古学会編『包装紙考古学入門』青木書店, 1974.
- ^ 塚原みどり『贈答と折癖』岩波書店, 1988.
- ^ Peter H. Wells, "Wrapping as Stratigraphy," Journal of Material Ritual Studies, Vol. 12, No. 3, 1995, pp. 41-68.
- ^ 佐伯宏『百貨店包装文化史』吉川弘文館, 2002.
- ^ M. A. Thornton, "Tears, Folds, and Social Class in Postwar Japan," The Paper Culture Review, Vol. 7, No. 1, 2001, pp. 9-27.
- ^ 神谷俊介・塚原みどり『包装紙年代地図の作り方』中央公論紙庫, 1991.
- ^ 大橋玲子『折線の民俗学』日本経済評論社, 2009.
- ^ Hiroshi Kanda, "The Aesthetics of Hidden Corners," Transactions of the Society for Wrapping Studies, Vol. 4, No. 2, 1983, pp. 113-139.
- ^ 田村一郎『包装紙と都市の呼吸』講談社メモワール, 2016.
- ^ Elizabeth Crane, "A Study on Re-Wrapping and the Economy of Politeness," International Journal of Gift Archaeology, Vol. 18, No. 4, 2019, pp. 201-233.
- ^ 塚原みどり『包装紙はどこまで史料か』青土社, 1997.
外部リンク
- 日本包装紙考古学会
- 包装層資料室
- 港湾包装痕跡保存センター
- Wrapping Studies Archive
- 折癖データベース