十五の金玉 心意気
| 名称 | 十五の金玉 心意気 |
|---|---|
| 別名 | 十五珠心意気、十五玉誓文 |
| 成立 | 1928年頃 |
| 発祥地 | 東京都神田区(当時) |
| 用途 | 誓約、行進、祝祭、商店街の開店式 |
| 中心人物 | 渡辺善之助、メアリー・K・ソーン、宮城田一郎 |
| 主な媒体 | 木版冊子、唱和札、奉納旗 |
| 禁忌 | 十六個目を加えること |
| 関連組織 | 帝都少年心意気研究会 |
| 現況 | 一部の郷土資料館で断片的に伝承 |
十五の金玉 心意気(じゅうごのきんだま こころいき)は、末期から初期にかけて、少年団体の行進歌と護符的意匠が結びついて成立したとされる、半宗教的な誓約様式である[1]。当初はの古書店街で流通した小冊子の題名にすぎなかったが、のちに青年運動、祝祭芸能、そして一部の商店街組合にまで影響を及ぼしたとされる[2]。
概要[編集]
十五の金玉 心意気は、十五個の球状意匠を用いて「志・忍耐・整列・勤労」など十五項目を唱和する習俗として説明されることが多い。もっとも、現存資料の多くはからにかけて作成された再編集本であり、当初の姿をそのまま伝えるものは少ないとされる。
この語は、単なる俗称ではなく、の活版印刷職人たちが、当時流行していた少年団体の号令文を商品化する際、覚えやすさを優先して付した商標風の呼称であるという説が有力である。ただし、同時代の会報には「金玉」の語が球形護符を指す婉曲表現として使われている例もあり、解釈は一様ではない[3]。
起源[編集]
起源をめぐっては、立青少年図書館の所蔵する『心意気図式綴』(写本)に端を発するという説が知られている。同書では、十五の球を紐で結んだ標章を胸に下げ、夜明けの沿いを行進した少年団の記録が見えるが、記述は後年の加筆が多く、史料批判が必要である。
一方で、の大道芸人・宮城田一郎が、舞台上で観客に十五回の拍手を求める「心意気の数え歌」を創案し、それが学校外教育運動に流入したとする説もある。宮城は春にの小屋で初演した際、誤って十六回拍手を誘導してしまい、以後「十六は災い」とされる禁忌が生まれたという逸話が残る[4]。
展開[編集]
少年団体への採用[編集]
この普及過程で、の文具店が「十五珠カード」を発売し、1万2,400枚を売り上げたという。カードの裏面には『心意気は数え切れぬが、十五までなら整う』という宣伝文句が刷られており、教育と販促の境界が曖昧であったことを示している。
祝祭芸能への転用[編集]
の寄席では、十五の句を女義太夫風に節付けした「金玉節」が流行し、にはの芝居茶屋で連日立ち見が出たと伝えられる。とくに終盤の「心意気、心意気、なお心意気」の連呼部分は、観客が無意識に足踏みを揃えるため、舞台監督からは「妙に軍楽的である」と評された。
なお、この時期に用いられた奉納旗の一部には、十五個の円がすべて微妙に異なる大きさで描かれていた。製作者のは「均一だと魂が逃げる」と述べたとされるが、出典は茶屋の帳面である。
商店街組合との結びつき[編集]
戦後になると、内の商店街組合が「十五の金玉 心意気」を開店式の掛け声として再利用し、特売日の入場整理に応用した。とりわけの某商店街では、先着15名に丸薬型の記念飴を配布したことから、名称が再び注目を集めた。
この商業化は一部で批判されたが、組合側は「十五とは節度の数であり、過剰消費を抑制する」と反論した。もっとも、実際には十五個目の景品だけ露骨に豪華であったため、消費者心理研究の題材として引用されることがある。
思想と作法[編集]
十五の金玉 心意気において重要なのは、単なる数の反復ではなく、十五を「未完成の完成」とみなす発想であるとされる。これは、十四で止めると気が散り、十六にすると秩序が崩れるという、極めて実用的かつ曖昧な思想に基づく。
作法としては、左手で胸元の紐を押さえ、右手で空中に円を描きながら唱和するのが正式とされる。ただし、の一部地域では円ではなく縦線を引く流派があり、研究者の間では「海沿いの風で球が転がりやすいから」と説明されている。
社会的影響[編集]
後半には、戦前の少年団資料が整理される過程で十五の金玉 心意気もいったん忘却されたが、の郷土史ブームで再発見された。これにより、の公民館講座やの民俗採集会で取り上げられ、地方紙が「昭和の数え歌」として紹介したことが再評価の契機となった。
また、音楽教育の分野では、十五拍の周期を基準とする変則的なリズム教材として引用され、の一部ゼミで「意味不明だが拍が取りやすい」と評されたという。なお、実際に授業へ導入されたかは確認されていない[要出典]。
批判と論争[編集]
この習俗には、名称の生々しさからくる批判が早くから存在した。とくにの『帝都風俗月報』は、子ども向け教材としては語感が強すぎると論じ、漢字表記の改訂を求めた。しかし改訂案は、代替語として『十五珠の志』を採用したところ、かえって高尚すぎて誰にも覚えられず、数か月で廃案となった。
さらに、十六個目を混ぜると「意気が外へ漏れる」とする迷信が広がり、祭礼用の飾りを製作した職人が一度でも数を誤ると返品が相次いだ。こうした経緯から、のちの民俗学者は本件を「数の管理が共同体を支配した珍しい事例」と位置づけている。
後世の受容[編集]
期には、インターネット上で「十五の金玉 心意気」は半ば都市伝説として語られるようになり、画像掲示板では奉納旗の復元図が出回った。これを見た若年層の一部が実際に十五個の丸を並べて投稿し、ハッシュタグ化する現象も観測された。
一方で、の郷土資料館では、実物とされる木札3点が常設展示されているが、そのうち1点は裏面に『昭和47年製』と鉛筆で書かれており、学芸員は「複製の複製である可能性がある」と慎重である。もっとも、その曖昧さ自体がこの習俗の魅力であるとも言われる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺善之助『十五珠唱和の成立』帝都民俗出版社, 1934年.
- ^ 宮城田一郎『行進と数え歌の境界』新潮社, 1941年.
- ^ Margaret A. Thornton, "Ritual Counting and Urban Youth Movements in Interwar Tokyo," Journal of East Asian Folklore, Vol. 12, No. 3, pp. 211-238, 1978.
- ^ 佐伯由紀子『神田印刷文化史』岩波書店, 1982年.
- ^ H. Watanabe, "The Fifteen-Item Credo and Its Commercial Afterlife," Modern Japanese Studies, Vol. 7, Issue 2, pp. 89-114, 1991.
- ^ 小寺栄一『昭和前期の祝祭芸能』平凡社, 1998年.
- ^ 帝都少年心意気研究会編『心意気図式綴 解読録』動管書房, 2004年.
- ^ 林田美和『商店街と唱和文化』法政大学出版局, 2012年.
- ^ R. K. Ellis, "Miscounted Devotion: Fifteen as an Urban Number," The Bulletin of Invented Traditions, Vol. 4, No. 1, pp. 1-19, 2016.
- ^ 青山真理『十五の金玉 心意気における数の倫理』東京学芸大学出版会, 2020年.
外部リンク
- 帝都民俗アーカイブ
- 神田古書資料データベース
- 昭和唱和文化研究所
- 地方誌ミュージアム・ネット
- 心意気節保存会