南海高野線
| 名称 | 南海高野線 |
|---|---|
| 種類 | 観光鉄道路線(歴史建造物としての保存区間) |
| 所在地 | (中心施設:潮岬記念車庫) |
| 設立 | 9年(1919年) |
| 高さ | 主桁基準:34.7 m(高架区間平均) |
| 構造 | 花崗岩巻立て煉瓦造トラス(保存・復元仕様) |
| 設計者 | 渡辺精一郎(工務局技師) |
南海高野線(なんかい こうやせん、英: Nankai Kōya Line)は、にある[1]である。現在では、沿線建造物群と一体として保存・公開されているとされる[2]。
概要[編集]
は、単なる鉄道路線としてだけでなく、沿線の「駅舎・高架・車庫・灯台状換気塔」を含む観光建造物群として扱われている施設である[1]。
現在では、泉南市の海風に合わせて湿気を逃がす設計思想が語られ、路線そのものが“移動する記念館”として紹介されている[2]。特に、全区間の標高差を「97.3 m」として毎年のガイド冊子で強調する点が特徴とされる[3]。
一方で、路線名の由来は「高野」という語感から山岳信仰に結びつけられがちだが、当初は海上霧対策の合言葉として運用されたともされる[4]。このように、交通史と建築史が意図的に混線して語られることが、当該施設の“嘘らしさ”を高めているとも指摘されている[4]。
名称[編集]
「南海」という呼称は、行政文書では単に地域区分を指すが、建造物台帳では“潮の神話に由来する南向き海域”として定義されたとされる[5]。
「高野線」については、正式には「高架野(こうかの)線」という仮称から短縮されたのだと説明されることがある[6]。ただし、この仮称は配線図の余白に「高架で野(の)を渡る」と書いた技師の走り書きに由来するとされ、後年になって公式名へ採用された経緯が語られる[7]。
なお、案内板では「歴史的愛称」であると明記されている一方、鉄道ファンの間では“改称の経緯が見えないまま定着した名称”として扱われている[6]。このズレが、施設見学の動機づけにもなっているとされる[5]。
沿革/歴史[編集]
構想:霧を“数値化”するための路線[編集]
の構想は、渡辺精一郎が沿岸で発生していた霧害を「視界ゼロまでを3段階(霧層I〜III)で記述する」試案から始めたとされる[8]。
大正初期、工務局内では海風により湿度が上がり、鉄部が“伸びるほど”運行が遅れるという体感が広まっていた[8]。そこで、線路の材質だけでなく、換気塔や高架の外装(巻立て)までを一体で改修する方針が立てられたとされる[9]。
このとき、設計打合せの議事録が「第12回潮霧対策小委員会」であるという記載が残っているが、当該委員会が実在したかは不明とされつつも、議事録の末尾には“高野”の語があると報告されている[10]。この曖昧さが、後の観光パンフレットでドラマ化されたと言われることがある[10]。
建設:花崗岩巻立てと“立ち読み禁止札”[編集]
9年に着工し、泉南市中心部の潮岬記念車庫の完成をもって「南海高野線の初期完成」と定義されたとされる[11]。
建設現場では、海に近い工区ほど作業員の転落事故が多かったため、足場に付いた掲示札の枚数を“1スパンあたり7枚”とする管理が行われたとされる[12]。そのうち「立ち読み禁止」「数字を読むな」など意味不明な文言が混在していた点が、後年の逸話として残っている[12]。
なお、外装の花崗岩巻立て煉瓦造トラスは、当時の技術報告書で「湿度92%でも亀裂幅0.08 mm以内」と記述されている[13]。ただし、当該測定がどの区間・どの月の実測かは記されておらず、引用する研究者によって数値の引用範囲が異なると指摘されている[13]。
施設[編集]
南海高野線の保存・公開区間には、駅舎群だけでなく、換気塔・海霧観測小屋・記念車庫が含まれるとされる[14]。
潮岬記念車庫は、保存される扉の一枚ごとに“開閉回数の標札”が設けられており、最初期扉は「104,320回」、補修扉は「36,700回」といった区別で塗装が変えられているとされる[15]。訪問者は扉の色と標札を照合するよう誘導されることがあるが、根拠資料は限定公開であるとされる[15]。
また、全区間に点在する「灯台状換気塔」は、実用目的の換気に加えて、夜間の観光導線を兼ねた照明設計として運用されたと説明される[16]。その際の照度は「平均1.2 lx」とされることがあるが、これは来館者の計測記録をそのまま採用した結果だとする説もある[16]。
交通アクセス[編集]
南海高野線は、観光建造物としての導線が重視され、起点側はの潮岬記念車庫に接続すると案内されている[17]。
最寄りの導線拠点としては「潮風バスの停留所:潮風三丁目(施設前)」が整備されているとされ、徒歩での到達は「徒歩11分、信号2回」と記載される[18]。ただし、実際の所要時間は季節で増減するため、公式サイトでは“目安”として扱われているとされる[18]。
なお、路線内の移動は“乗車”というより“見学往復”の形式が採られることが多いとされる[19]。この場合、往復券が「建造物スタンプ2個分」として計上されるため、スタンプ帳のデザインが先行して話題になったことがある[19]。
文化財[編集]
南海高野線のうち、潮岬記念車庫および周辺高架外装は、の暫定台帳に登録され、さらに「保存活用型の海辺交通遺産」としてまとめて登録されている[20]。
また、は独自に「潮風景観保全地区」を設定しており、灯台状換気塔の意匠については“取り外し不可部位”として指定されているとされる[21]。
ただし、どの要素が文化財としての中核かについては資料の差異があり、「高架の巻立て」「換気塔の窓割」「車庫扉の標札」が三つ巴で議論された経緯があるとされる[22]。このため、現地解説ではあえて“主役が一つではない”形で説明されることが多い[22]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎「潮霧対策のための高架外装設計(第12回小委員会報告)」『工務局技術叢書』第7巻第2号, 【泉南】出版局, 1919年, pp.12-58.
- ^ 佐伯礼子「海辺交通遺産の“移動する記念館”概念と運用」『交通建築年報』Vol.14, 日本都市計画学会, 1963年, pp.101-137.
- ^ Margaret A. Thornton「Moisture Management in Coastal Rail Infrastructure」『Journal of Historical Engineering』Vol.33 No.4, 1987年, pp.77-94.
- ^ 田中信次「花崗岩巻立ての破損挙動:亀裂幅0.08 mmという伝説」『材料試験研究』第21巻第1号, 1932年, pp.3-21.
- ^ 橋本恭太「暫定台帳と登録名の揺れ:南海高野線の“高架野”仮称」『地方文化財論叢』第5号, 2008年, pp.44-69.
- ^ Klaus Wernicke「Touristic Preservation of Industrial Ventilation Towers」『International Review of Heritage Infrastructure』Vol.9 Issue2, 2011年, pp.210-233.
- ^ 『泉南市潮風景観保全地区要覧』泉南市役所, 1974年, pp.1-98.
- ^ 「潮風三丁目停留所の導線設計に関する検証」『公共動線設計紀要』第2巻第3号, 【大正大学】公共研究所, 1956年, pp.55-61.
- ^ 要出典文書集編「換気塔の窓割と照度1.2 lxの計測例」『現地記録資料(抄録)』第1巻第1号, 1930年, pp.1-9.
- ^ 『交通遺産の保存活用型枠組み(未公刊資料引用版)』交通遺産協会, 1999年, pp.12-39.
外部リンク
- 泉南観光建造物案内
- 潮霧対策史料室アーカイブ
- 海辺交通遺産スタンプ倶楽部
- 文化財台帳検索(暫定版)
- 灯台状換気塔ファンサイト