厳しさの中にある
| 分野 | 教育学、生活哲学、儀礼研究 |
|---|---|
| 提唱時期 | 1958年頃 |
| 提唱者 | 渡会霧子、佐伯恭一ほか |
| 中心地 | 東京都神田区(当時) |
| 関連機関 | 生活規律研究会、中央余白協議会 |
| 主要概念 | 規律、耐性、許容幅、沈黙の間 |
| 普及媒体 | 講習冊子、朝礼、企業研修 |
| 異名 | 中に残る柔らかさ |
| 影響 | 学校訓育、工場安全指導、家庭教育 |
厳しさの中にある(きびしさのなかにある、英: In the Midst of Strictness)は、のおよびにまたがる概念であり、規律や困難のただ中にあっても、なお保持されるべき微細な余白を指すとされる[1]。30年代後半にの私設研究会から広まったとされ、のちに系の外郭団体が採用したことで一般化したという説が有力である[2]。
概要[編集]
厳しさの中にあるは、単に「厳しい状況に耐えること」を意味するのではなく、厳格な規範の内部にあえて設けられた小さな猶予や情けを評価する思想である。たとえば、叱責の最後に一呼吸置くこと、行進の隊列を崩さずに靴紐を結び直すこと、あるいは提出期限を守らせつつ誤字の一つだけを見逃すことなどが、典型的な実践とされる[3]。
この概念は、当初は千代田区の旧地域にあった私設ので整理されたが、後年になってやの工場研修へ移植され、さらにの寄宿制学校で独自進化したとされる。編集史上の特徴として、教育論文と企業マニュアルの記述が混ざり合っており、引用のたびに意味が少しずつ変質している点が挙げられる[4]。
起源[編集]
神田の冬と「余白」[編集]
もっとも古い記録は冬、の古書店街に面した貸会議室で行われた「生活規律と可塑性に関する懇談会」の配布資料に見えるとされる。そこでは、厳しい規則は人を壊すためではなく、壊れない位置を見つけさせるためにあると記され、講師のが「規律の芯には、必ず一筆分の余白が要る」と述べたという[5]。
この発言がのちに「厳しさの中にある」の原型になったとされるが、同席者の回想では、霧子は実際には湯呑みの置き方について話していたともいう。両説の差異は大きいが、後年の研究者はむしろその曖昧さこそが概念の本質であると解釈した。
文部系外郭団体への流入[編集]
には系の外郭団体であるが、学校の生活指導要項に「厳しさの中にある」章を試験的に導入した。これにより、遅刻指導・体操指導・掃除当番の三領域で「一律の罰則」から「段階的な猶予」へ運用が変わったとされる[6]。
ただし、当時の議事録には「余白が過ぎると規律が蒸発する」との反対意見も多く、実務上は教員の裁量に依存した。そのため、同じ学校でもA組は寛容、B組は軍隊式、C組はなぜか茶道式という、きわめて日本的な混乱が生じたと伝えられる。
理論[編集]
三層構造説[編集]
研究史上もっとも影響力があったのは、による三層構造説である。佐伯は「厳しさの中にある」は、表層の規則、中層の躾、深層の配慮の三つから成り立つとし、表層だけが強い場合は暴力化し、深層だけが強い場合は甘えになると論じた[7]。
この説は一見もっともらしいが、佐伯が例示に用いた「三層弁当」は実在しないとされ、しかも各層に詰めるべき内容が年度ごとに変わるという問題を抱えていた。にもかかわらず、企業研修では非常に好まれ、特にの商社では「会議の空気を一段柔らかくする理論」として重宝された。
沈黙の間の技法[編集]
この概念の実践論として重視されたのが「沈黙の間」である。叱責や指示の途中に0.8秒から1.4秒ほどの間を置くことで、相手に受容の準備を与えるという考え方で、のの記録では、熟練教師ほど沈黙の長さが短く、しかし印象は長いとされている[8]。
なお、同資料には「沈黙が2秒を超えると、児童は教師が忘れたと思う」との注記があり、これはのちに“2秒の壁”として有名になった。厳密な測定機器は使われておらず、時計係の女子児童が三回に一回は数え間違えたとも記されている。
社会的影響[編集]
に入ると、この概念は学校教育を離れ、の乗務訓練、地方自治体の窓口指導、さらには百貨店の売場朝礼にまで広がった。とりわけの前身組織の一部では、遅延時対応のマニュアルに「厳しさの中にある一礼」という項目があったとされ、これは混乱の中でも礼を失わない態度を指した[9]。
一方で、概念の普及は過度な自己抑制を生んだとして批判も受けた。1978年のには、家庭内で「厳しさの中にある」を口実に、父親が毎晩20分だけ説教を延長するようになったという投書が掲載され、編集部が「教育の名を借りた趣味」と評したことで話題になった[10]。
それでも、1980年代後半にはの中小企業を中心に「厳しさの中にある研修」が定着し、欠勤率が導入前の月平均4.7%から3.1%に下がったという報告がある。ただしこの数字は、研修担当者が台帳を濡れ布巾で拭いた結果、欠勤欄のいくつかが消えた可能性が指摘されている。
論争[編集]
最大の論争は、この概念が「優しさを内包する厳しさ」なのか、「厳しさを装った優しさ」なのかという解釈問題であった。特にの第14巻第3号に掲載された論文は、後者の理解を「日本的婉曲の極北」と称し、賛否を呼んだ[11]。
また、のある寄宿制学校では、職員会議で「厳しさの中にある」運用をめぐり、罰掃除を5分短縮するか、5分長くするかで3時間議論した事件があるとされる。最終的に「短縮したが廊下を増やした」という折衷案が採択されたが、これは後年になっても制度設計の迷走例として引用された。
派生概念[編集]
柔らかい監督[編集]
2000年代以降、スポーツ指導の分野では「柔らかい監督」という派生概念が生まれた。これは、練習メニューは厳格だが、失点のあとに水を飲む順番だけは自由にするという、きわめて局所的な寛容を指す[12]。
の高校サッカー部で有名になったとされるが、実際には顧問が練習ノートに紙飛行機の折り方を書いていただけとも言われる。それでも概念としては普及し、部活指導の現場で「怒鳴らないが逃がさない」という奇妙な標語を生んだ。
厳しさの中にあるパン[編集]
食品分野では、「厳しさの中にあるパン」という亜種が、の老舗ベーカリーで考案されたとする説がある。これは発酵温度を一度だけ下げることで、外皮だけをきびしく、中身をやわらかく保つ製法で、観光客向けの解説が年々誇張され、ついには哲学的なパンとして扱われた。
この名称は後に地域商標の争点となり、店主と商工会が「厳しさが先か、香りが先か」で半年争った。結局、焼き上がりの温度曲線が提出できず、議論だけが残ったという。
批判と論争[編集]
批判の中心は、概念があまりに便利で、何にでも貼り付けられる点にあった。教育、企業、家庭、スポーツ、さらには鉄道遅延の説明にまで使えるため、実態のない美辞麗句にすぎないという指摘がある[13]。
また、のは、全国124校のうち37校が「厳しさの中にある」を校訓のように掲げながら、実際には職員室の空気が最も厳しかったと報告した。調査者は「理念が現場に降りるほど、たいてい少し怖くなる」と結論づけている。
それでも支持者は、厳しさが不可避である社会において、完全な温情よりも「中にある」こと、すなわち逃げ道を設計する姿勢に価値があると反論した。なお、支持者の多くは説明の途中で必ず湯のみを持ち替える癖があり、これが概念の儀式性を強めていたとも言われる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡会霧子『余白を持つ規律』生活思想社, 1959年.
- ^ 佐伯恭一『中にある厳しさの構造』中央教育出版, 1966年.
- ^ 高瀬倫子「厳しさの中にある概念の再解釈」『中央教育評論』Vol.14, No.3, pp. 41-58, 1989年.
- ^ M. A. Thornton, “Strictness and the Inner Margin,” Journal of Civic Discipline, Vol.7, No.2, pp. 113-129, 1974.
- ^ 北沢清一『沈黙の間と指導技法』国立教育資料館叢書, 1968年.
- ^ 生活文化研究会編『学校と余白の戦後史』港区文化刊行会, 1977年.
- ^ 岡島一郎「企業朝礼における情緒制御」『経営と作法』第21巻第4号, pp. 9-23, 1992年.
- ^ Elizabeth R. Cole, The Grammar of Harshness, Northbridge Academic Press, 1981.
- ^ 兵頭正徳『厳しさの中にあるパンの発酵学』京都食文化研究所, 2004年.
- ^ 高橋美沙「2秒の壁と児童の視線」『教育測定年報』Vol.3, pp. 88-97, 1965年.
外部リンク
- 生活規律アーカイブ
- 中央余白協議会デジタル資料室
- 神田戦後思想史館
- 教育と間合い研究ネットワーク
- 厳しさの中にある実践事例集