愛しさと切なさと糸井重里
| 名称 | 愛しさと切なさと糸井重里 |
|---|---|
| 読み | いとしさとせつなさといといしげさと |
| 英語表記 | Itoshisa to Setsunasa to Itoi Shigesato |
| 分類 | 感情複合語・広告用語 |
| 成立時期 | 1987年頃 |
| 提唱者 | 糸井重里研究会初代編集部 |
| 主な流通圏 | 東京都、神奈川県、関西圏の深夜ラジオ界隈 |
| 関連分野 | コピーライティング、歌謡文化、都市感情学 |
| 派生現象 | 三連感情法、糸井節、切なさ係数 |
| 備考 | 一部資料では句読点の有無により別概念として扱われる |
愛しさと切なさと糸井重里(いとしさとせつなさといといしげさと)は、を中心に流通した、感情の三要素を言語化するための複合表現である。後半にとのあいだで半ば慣用句として定着し、のちに研究の対象となった[1]。
概要[編集]
ととは、感情を三層に分解して提示する日本の複合表現である。主に末の、、などで観察され、短い語句の中に親密さ・喪失感・語り手の人格を同居させる手法として評価された[2]。
この表現は、単なる連語ではなく、広告業界における「人物名の感情化」を象徴するものとされる。一方で、当時の業界誌には「という固有名詞がもはや感情の一部として機能している」との指摘があり、これが後年の化に拍車をかけた[3]。
成立史[編集]
前史と用例の萌芽[編集]
起源は末期のにあったとされる。1986年、の小規模編集室で行われた企画会議において、若手コピーライターのが「やさしさ」ではなく「愛しさ」を使うことで商品の温度を1段階上げられると発言したのが最初とされる[4]。この発言自体は議事録の余白に鉛筆で書かれていたため、後年まで真偽が争われた。
翌年にはの深夜番組で、司会者がの名前を感情語のように用いたことから、視聴者ハガキの中で「切なさと糸井重里が同時に来る」という奇妙な表現が散見されるようになった。これが現在の三連構文の原型であるとする説が有力である。
定着と一般化[編集]
、系の座談会で、編集者のが「愛しさ、切なさ、そして糸井重里」という順列を提示したことで、語順がほぼ固定された。なお、初期版では「糸井重里と愛しさと切なさ」と記された資料もあり、ではこちらが先行したとする異説も残る[5]。
この頃、のレコード店では、売場POPにこの表現をもじった「愛しさと切なさと在庫僅少」という文言が貼られ、1週間で13件の問い合わせが寄せられたという。業界内では、実用語というより、むしろ「買わせるより先に気分を整える言葉」として扱われた。
学術化と二次流通[編集]
に入ると、の文化研究ゼミおよびの広告史講座で、この表現が「感情・人格・権威の三位一体」として分析された。とくには、年間約240件の雑誌コピーを調査し、そのうち17件が明示的に「切なさ」を含み、9件がの名を間接参照していたと報告した[6]。
ただし、同報告には「調査対象の半分以上が学生の自作ポスターである」との注記があり、後年の研究者からは「統計というより風習の記録に近い」と評された。それでも、この曖昧さこそが当該概念の生命線であったとされる。
構造と意味[編集]
この表現は、単語ごとに機能が異なると説明されることが多い。は対象への接近欲求、は距離の自覚、はその両者を編集可能にする語り手の署名である、という三分法が代表的である[7]。
また、の現場では、三語のうち最後を人物名にすることで、「感情を個人の責任に帰属させる効果」があるとされた。これにより、商品説明が突然、私小説のような密度を持つ現象が頻発したという。
一方で、1992年の『』には「この表現を真似ると8割が気障、1割が不安、残り1割がになる」との記述があり、実務上はかなり危うい技法として扱われていた。
社会的影響[編集]
流行期には、、、、さらにはの観光パンフレットまで、この構文を応用したコピーが相次いだ。とりわけのある温泉地では、「湯けむりと切なさと糸井重里の余韻」というキャッチコピーが掲出され、宿泊者数が前年同月比で11.4%増えたとされる[8]。
また、若年層の会話においては「糸井重里」を固有名詞としてではなく、感情の強度を示す副詞的要素として使う例が報告された。たとえば「今日の課題、糸井重里に重い」といった用法である。言語学的には著しく不安定だが、当時の文化ではむしろ自然に受容された。
なお、1990年代半ばには、内の高校でこの語を題材にした国語の自由研究が増加し、提出作品のうち3件が「糸井重里とは誰か」ではなく「なぜ三つ目が人名なのか」を中心に論じていた。これが後のへつながったとする説がある。
批判と論争[編集]
批判としては、第一に「の名声を感情の消耗品として扱っている」との倫理的疑義があった。第二に、三語構文が便利すぎるため、内容の薄いコピーを量産する温床になったという指摘がある[9]。
これに対し擁護派は、「むしろ薄さを制度化した点に価値がある」と反論した。さらに、のある研究会では、三連の最後を人名にすることで文章全体の責任の所在が曖昧になることを「編集的救済」と呼び、半ば肯定的に扱った。
ただし、1994年の公開討論会では、聴衆の一人が「愛しさはわかるが、切なさのあとに糸井重里が来る必然は何か」と問い、登壇者が17秒沈黙したのち「ある」とだけ答えた事件が有名である。
派生表現[編集]
この表現からは、数多くの変種が生まれた。、、などがその代表である。なかでもの同人誌『季刊 余白』に掲載されたは、初版150部が即完売したことで知られる[10]。
派生表現の中には、最後を別の文化人に置き換える試みもあったが、以外では語の収まりが悪いとされ、定着しなかった。これは、同名がすでに「人物名でありながら構文の終止符でもある」という特殊な地位を得ていたためである。
また、の喫茶店では、注文票にこの構文を模したチェック欄があり、「甘い」「苦い」「糸井重里」の3択になっていたという目撃談が残るが、実在を示す写真は見つかっていない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 青木由佳『感情を売る言葉』広告批評社, 1991年.
- ^ 三浦恭一『コピーの温度差—1980年代広告表現史』早稲田出版, 1994年.
- ^ Margaret L. Thornton, "Triadic Sentiment in Japanese Commercial Catchphrases," Journal of Media Semiotics, Vol. 8, No. 2, 1996, pp. 41-67.
- ^ 村瀬俊彦『神南編集室夜話』成城書房, 2002年.
- ^ 田辺修一『糸井重里現象とその周辺』日本広告研究会, 1998年.
- ^ A. K. Sato, "When Names Became Affect: A Study of Itoi-Style Endings," Tokyo Cultural Review, Vol. 12, Issue 4, 2001, pp. 88-103.
- ^ 『日本広告年鑑 1992』第17巻第3号, pp. 214-219.
- ^ 高橋みどり『切なさ係数の社会学』港区文化資料室, 2007年.
- ^ Elizabeth M. Rowe, "The Grammar of Longing in Late-Show Japan," Comparative Pop Studies, Vol. 5, No. 1, 2004, pp. 9-30.
- ^ 『余白と責任—平成コピー論集』東京言語文化社, 2010年.
外部リンク
- 日本感情語史料アーカイブ
- 都市コピー研究センター
- 深夜放送言語辞典
- 平成ポップ表現データベース
- 糸井重里構文保存会