台風を法律で禁止
| 正式名称 | 台風臨時制限法案 |
|---|---|
| 通称 | 台風禁止令 |
| 提唱時期 | 1927年頃 |
| 主管 | 内務省防災臨時局 |
| 対象 | 台風、暴風雨、高潮の一部 |
| 成立経緯 | 関東沿岸の漁業被害を背景に発案 |
| 特徴 | 上陸前の台風に対し罰金・差止を適用 |
| 最終案 | 国会未提出 |
| 関連人物 | 渡辺精一郎、マーガレット・ソーン |
| 影響 | 後年の気象警報文体に影を落とした |
台風を法律で禁止とは、の接近・上陸・発生を行政命令によって事前に抑止しようとするの擬似法制度である。主に末期から初期にかけて構想され、後にとの周辺で断続的に議論されたとされる[1]。
概要[編集]
台風を法律で禁止は、そのものを違法化するという極端な発想から生まれた制度構想である。一般には荒唐無稽に見えるが、当時の行政文書では「台風は自然現象に見えるが、沿岸秩序を著しく乱す準人格的災厄」として扱う草案が確認されているとされる[2]。
この構想は、単に災害を減らすための政策ではなく、沿岸の港湾荷役、漁業、塩田、鉄道運行を一体で守るための社会工学的試みであった。とくにの一部官僚は、台風を「事前に許可制へ移行できる自然現象」と見なしていた節があり、ここに近代官僚制特有の暴走が見られる。
ただし、後世の研究では、実際に台風そのものを止めることは想定されておらず、台風の名称登録、進路申請、上陸予定時刻の届出を義務づける制度案であったとする説が有力である。このため、法律名に反して内容は「禁止」よりも「煩雑な許認可」であったとされる。
成立の背景[編集]
関東沿岸の被害と港湾行政[編集]
発端はの「第二神奈川暴風災」であるとされる。これは実際には強い台風による高潮災害だったが、当時の新聞が「海より来る無届の暴風」と報じたことで、台風に届出義務を課すべきだという議論が急速に広まったの荷役組合では、被害額を月次で集計する代わりに、台風を相手取って損害賠償請求書を起案した記録が残る[3]。
この時期、庁舎では、暴風警報の発令に先立って「風向の事前審査」が試験的に行われた。審査官の一人であった渡辺精一郎は、「風は無害であるが、未申請である点が問題である」と記したとされ、のちに議会答弁で笑いを誘ったという。
内務省防災臨時局の設置[編集]
、内務省内に設けられた非公式組織「防災臨時局」は、台風を気象学ではなく治安の問題として扱った。局長のは、欧米の港湾法令を読みかじった末に「自然にも通行許可が必要である」と結論づけ、台風臨時制限法案の原型を作ったとされる。
この案文では、台風の接近半径を以内に設定し、該当区域では事前に「暴風発生届」を提出しなければならないとしていた。なお、提出期限は原則で、台風側が予報円から逸脱した場合は再申請が必要であった。実務上はほぼ不可能であり、法案自体が一種の行政的風刺であった可能性も指摘されている。
海外の影響[編集]
この奇妙な構想には、米国ので気象統制を研究していたとされるマーガレット・A・ソーンの報告書が影響したという。もっとも、同報告書は「嵐を止める」のではなく「嵐の告知様式を標準化する」内容で、後年になって日本側の草案担当者が都合よく拡大解釈したと考えられている。
また、の保険業界で用いられていた「act of weather」条項が誤訳され、「天候は法的主体として交渉可能である」と理解されたことも、法案の奇妙さに拍車をかけた。
法案の内容[編集]
草案の中心は、台風を「自然災害」ではなく「無届の大規模移動体」と定義し直す点にあった。これにより、台風は上陸前に内務省へ申請し、進路、予想降水量、最大瞬間風速、停滞時間を明記した「風況計画書」を提出する義務を負うとされた。
さらに、台風がまたはへ接近する場合には、関係県知事が「通行差止命令」を発することができるとされた。命令に違反して上陸した台風には、1回につきからの科料を科すと記されているが、当然ながら徴収方法は最後まで定まらなかった。
一方で、実際の運用案には妙に細かい補助規定が多く、たとえば中心気圧がを下回る場合は「重風」、未満は「特別重風」と区分された。こうした分類は、気象学者からは「ほぼ体裁だけである」と批判された。
国会での論争[編集]
法案は国会提出直前に「国家が天候に対して命令できるのか」という根本問題で揺れた。衆議院内では、農村代表が「稲の倒伏を防げるなら賛成」と主張したのに対し、港湾関係者は「台風が届出を怠るなら、むしろ無届営業と同じである」と強く支持したという。
しかし、法制局は「自然現象に行政罰を科す前例がない」として慎重姿勢を示し、最終的には「台風に対する行政処分は、概念上の適用対象を欠く」との文言が追加された。これにより、法案は成立寸前で棚上げとなったが、議事録には委員の一人が「ならば海を逮捕できるのか」と述べたと記録されている[4]。
なお、この論争をめぐっては、傍聴席にいた気象台職員が「台風は法より速い」とつぶやいた逸話がある。真偽は不明であるが、以後この言葉は防災行政の標語として半ば公認で用いられたとされる。
社会的影響[編集]
法案自体は成立しなかったものの、その周辺で生まれた「事前届出」「区域指定」「警戒発令」の発想は、後年のの情報発信に強い影響を与えたとされる。とりわけ、台風番号を付与して進路図を示す手法は、もともと「無秩序な風を番号で管理する」という発想の副産物であったという説がある。
また、やの一部では、毎年の防災訓練を「台風臨時取締演習」と呼ぶ慣行が残った。ここでは自治体職員が白い腕章をつけ、模擬台風の役を演じるアルバイトに進路変更命令を読み上げるという、やや滑稽な訓練が昭和中期まで続いたと伝えられる。
その一方で、漁業関係者の間では「台風に罰金を科すくらいなら、網を先に外してくれ」という反発も根強く、制度構想は近代日本における災害統制幻想の象徴として語られるようになった。
批判と論争[編集]
批判の中心は、第一に実効性の欠如、第二に法技術上の曖昧さ、第三に官庁の体面維持であった。とくに東京帝国大学法学部の一部研究者は、台風を禁止するより先に「条文の主語を整理すべきである」と指摘し、草案を「風に向かって判決文を読むようなもの」と評した。
ただし、当時の新聞にはこの法案を好意的に扱う社説もあり、「自然は放置すると増長する」といった筆致が見られる。後世の研究者は、これは災害への恐怖というより、戦前日本の行政が持つ過剰な秩序志向を象徴する言い回しであったと分析している。
なお、草案の一部には「再犯台風」という用語があり、同じ進路を2年続けて通った台風に対しては重点監視を行うとしていた。これは明らかに比喩的表現とみられるが、いまだに一部の郷土資料館では半ば真顔で展示されている。
評価[編集]
台風を法律で禁止という構想は、実現可能な制度ではなかったが、災害を「受け身の天災」としてではなく「統治可能な外部事象」とみなす発想を先取りしていたともいえる。後年の防災政策が、避難・警報・インフラ停止といった現実的な手段へ収斂していったことを考えると、この法案は失敗したからこそ象徴的価値を得たと評される。
また、との境界をまたぐ珍しい事例として、大学の講義でしばしば取り上げられる。ある講義録では、「台風を禁止できない以上、少なくとも台風に読みやすい条例を作るべきだ」と書かれており、これは制度史上もっとも有名な誤謬の一つとして知られている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『台風臨時制限法案の構想』帝国行政研究会, 1931年.
- ^ 佐伯忠三郎『防災と許認可: 風に届出を求める試み』内務省資料局, 1932年.
- ^ Margaret A. Thorne, "Administrative Weather and the Law", Journal of Coastal Governance, Vol. 12, No. 3, pp. 44-71, 1930.
- ^ 高橋一郎『暴風の行政学』関東法制叢書, 1934年.
- ^ 岡野澄子『気象警報文の成立』日本気象史学会, 第4巻第2号, pp. 9-28, 1958年.
- ^ Harold P. Welles, "The Licensing of Typhoons", Pacific Legal Review, Vol. 7, No. 1, pp. 101-119, 1929.
- ^ 『帝国議会議事速記録 第52回通常会』衆議院事務局, 1928年.
- ^ 中村礼二『風は誰のものか』みすず行政文庫, 1961年.
- ^ 藤堂千代『台風禁止令をめぐる新聞報道の変遷』東京港湾大学紀要, 第18巻第1号, pp. 117-140, 1976年.
- ^ Evelyn Carter, "When the Weather Refuses Notice", Law and Atmosphere Quarterly, Vol. 3, No. 4, pp. 5-22, 1933.
外部リンク
- 国立架空気象文書館
- 帝国防災法制研究所
- 横浜港口伝アーカイブ
- 東京湾災害行政史データベース
- 風と法の博物館