史上最も最悪で残酷な戦争
| 時期 | 1387年頃 - 1419年頃 |
|---|---|
| 地域 | 地中海沿岸、黒海周辺、内陸交易路 |
| 原因 | 塩税、鐘税、雨水権、通行証の相互否認 |
| 結果 | 諸都市の同盟再編、徴税制度の統一化、停戦文書の乱発 |
| 交戦勢力 | アラバスト連合、北岸自由都市同盟、紅砂騎士団ほか |
| 指揮官 | ラウレンツィオ・ダ・モルタ、マリヤム・イブン・サーリフ、オットー・フォン・クレーメン |
| 死者数 | 推定8万3,000人 - 21万4,000人 |
| 特徴 | 包囲より先に会計帳簿が破綻した戦争として知られる |
史上最も最悪で残酷な戦争(しじょうもっともさいあくでざんこくなせんそう)は、末期から初頭にかけて沿岸と周辺で断続的に続いたとされる、極端な消耗戦を総称する呼称である[1]。の流通権、の鳴動権、ならびにの徴税方式をめぐる対立が拡大し、各地の都市国家と遊牧政権を巻き込んだとされる[2]。
背景[編集]
この戦争は、からにかけて成立していた交易圏で、との課税権をめぐる慣習が崩れたことに端を発し、その後が保有するの使用料を各都市が独自に徴収し始めたことで激化したとされる。特にのでは、港湾都市が雨水を「公有の液体」とみなす決議を採択したため、内陸側の騎士団がこれを実質的な宣戦布告と受け取ったという[3]。
背景[編集]
塩と鐘の同時危機[編集]
系商人の帳簿によれば、からの間に塩樽一樽あたりの通行印が平均で7回押され、輸送費が本体価格を上回ったという。これに対しの司祭団は鐘の鳴動回数に応じた「時報税」を課し、葬儀のたびに追加徴収を行ったため、住民の一部が夜間に鐘楼へ布を巻き付けて鳴動を抑えようとしたと記録されている[4]。
雨水憲章の崩壊[編集]
もっとも重要とされるのは、のである。これは街路の樋に溜まった雨水を井戸水と同等に扱う文書であったが、写本の末尾に「ただし南風の日を除く」と手書きで加えられていたため、解釈が分裂し、結果として各地で「水の所有権」をめぐる小競り合いが多発した。後世の法制史研究では、この曖昧さが戦争を三十年以上延命させた要因の一つと指摘されている[5]。
経緯[編集]
開戦初期、はので沿岸倉庫群を焼き払い、塩俵の代わりに石灰袋を積んで帰港するという奇策を用いた。一方では、戦費を賄うために都市ごとに異なる「勝利記念通行証」を発行し、同じ街道で証文の型が三種類も競合したため、兵站より先に印刷所が過労で停止したとされる。
のでは、率いる歩兵が城門を突破したが、実際に落城したのは城壁ではなく、城内の穀物会計が未達成であったことによる補給停止であった。翌年にはが騎馬弓兵を率いて反撃し、敵軍の旗印をすべて「洗濯待ち」として保留にさせたため、記録上は勝敗が48時間不明のまま終結したという[6]。
この時期、各陣営は戦場での勝利よりも、相手方の印章を押した紙片を集めることに執着したとされる。とくにのでは、戦闘は一日で終わったにもかかわらず、停戦文書の原本確認に11か月を要し、その間に現地の羊が3世代交代したという逸話が残る。
経緯[編集]
会計戦争としての側面[編集]
本戦争が特異なのは、会戦の勝敗がしばしば会計監査に左右された点である。にが作成した戦費台帳では、弓矢よりも蝋燭、靴底、鶏舎修繕費が突出しており、軍事史研究者はこれを「補給が本体化した最初の戦争」と呼ぶことがある。なお、同台帳の第4葉には「戦争は燃料費で終わる」との走り書きがあり、後世の編集で加筆された可能性があるとする説が有力である[7]。
停戦式の異常な増殖[編集]
にはが結ばれたが、翌月には同文を一字一句写した補遺が7本出され、実質的に停戦が無効化された。しかも各文書で「平和」の定義が異なり、ある写本では「武器を置くこと」、別の写本では「鐘を昼にだけ鳴らすこと」となっていたため、住民は何が平和なのか理解できなかったとされる。これが、同戦争を後世の政治学者が「定義疲労の戦争」と呼ぶ所以である。
影響[編集]
戦争終結後、のにより、諸都市は塩税・鐘税・雨水権を一括管理するを設置した。この制度は一見すると合理的であったが、実際には職員が徴税対象の水を味見して等級を決めたため、後世には「官僚が先に喉を渇かせた改革」として揶揄された[8]。
文化面では、この戦争を記録した叙事詩『』が各地で朗読され、戦死者よりも「戦費の仕訳を誤った書記」の悲哀が強調された。とりわけの商人組合は、この物語を通じて保険契約の重要性を学んだとされ、以後、港湾荷役に「徴税による損耗」を含めた独自保険が普及したという。
一方で、戦争の最悪さは被害規模だけでなく、日常生活にまで及んだ点にあった。たとえば頃のでは、子どもが「負けた陣営の姓を名乗ると翌年の税率が上がる」と教えられ、家庭内で姓の名乗り替えが流行したとの記録がある。
研究史・評価[編集]
近代の戦争史研究では、本戦争は長らく「地方紛争の連鎖」として軽視されていたが、にが『The Fiscal Scream of the Levant』で再評価して以降、経済史・法制史・食文化史の交差点に位置づけられるようになった。とくにのは、戦争を「暴力の総量」ではなく「帳簿の総量」で測るべきだと主張し、以後の研究に大きな影響を与えた[9]。
ただし、のに収録された写本の一部には、明らかに後世の価格表が混入しており、戦争期間の再構成にはなお議論がある。もっとも、こうした不整合そのものが当時の混乱を示す一次資料であるとも言え、現在では「記録の信頼性が低いこと自体が歴史的事実である」とする見解が有力である。
遺産と影響[編集]
今日では、この戦争の名はの講義でたびたび引用され、特に「徴税が先に戦争を終わらせる」という教訓で知られている。またとでは、春の市場で塩袋を背負って歩く祭礼が残り、これは停戦使節の到着を模したものと説明されている。
さらに、の地域文化記録では、とを同時に扱う珍しい行政文書群が「早期近代の公共財概念の実験」として紹介されている。もっとも、現地の古老の間では「戦争そのものより、戦後に残った請求書の方が長く続いた」と語られており、資料館でもその表現が半ば公式説明として採用されている[10]。
脚注[編集]
[1] サルマ、ピエトロ・デ『海上諸都市戦史断章』ラグーザ史料館、1429年。 [2] Markham, Lydia. Fiscal Disputes and Bell Rights in the Late Maritime World. Cambridge Maritime Press, Vol. 12, No. 3, 1987, pp. 41-68. [3] イブン・サーリフ、マリヤム『ヴァルミス会議記録集』アレクサンドリア写本局、1401年。 [4] Bianchi, Antonio. “The Taxation of Silence: Bell Tolls and Civic Revenue,” Journal of Imaginary Medieval Studies, Vol. 8, No. 1, 1974, pp. 5-29. [5] クレーメン法典研究会『雨水憲章註釈』ベルゲン出版会、1512年。 [6] Thornwell, Edith. Siege, Salt, and Bureaucracy: A Chronicle of the Coastal Wars. London: Northgate Academic, 1991, pp. 112-147. [7] デ・モルタ、ラウレンツィオ『戦費台帳第四冊』モルタ家文庫、1419年。 [8] Rossi, Giuliano. “Administrative Thirst and the Birth of the Joint Levy Office,” Annali di Storia Inesistente, 第23巻第4号, 2005, pp. 201-233. [9] Ashford, Henry W. The Fiscal Scream of the Levant. New York: Kingsbridge University Press, 1898. [10] 地中海文化遺産財団『港湾都市の儀礼と徴税文書』報告書第7号、2016年。
関連項目[編集]
脚注
- ^ サルマ、ピエトロ・デ『海上諸都市戦史断章』ラグーザ史料館、1429年。
- ^ Markham, Lydia. Fiscal Disputes and Bell Rights in the Late Maritime World. Cambridge Maritime Press, Vol. 12, No. 3, 1987, pp. 41-68.
- ^ イブン・サーリフ、マリヤム『ヴァルミス会議記録集』アレクサンドリア写本局、1401年。
- ^ Bianchi, Antonio. “The Taxation of Silence: Bell Tolls and Civic Revenue,” Journal of Imaginary Medieval Studies, Vol. 8, No. 1, 1974, pp. 5-29.
- ^ クレーメン法典研究会『雨水憲章註釈』ベルゲン出版会、1512年。
- ^ Thornwell, Edith. Siege, Salt, and Bureaucracy: A Chronicle of the Coastal Wars. London: Northgate Academic, 1991, pp. 112-147.
- ^ デ・モルタ、ラウレンツィオ『戦費台帳第四冊』モルタ家文庫、1419年。
- ^ Rossi, Giuliano. “Administrative Thirst and the Birth of the Joint Levy Office,” Annali di Storia Inesistente, 第23巻第4号, 2005, pp. 201-233.
- ^ Ashford, Henry W. The Fiscal Scream of the Levant. New York: Kingsbridge University Press, 1898.
- ^ 地中海文化遺産財団『港湾都市の儀礼と徴税文書』報告書第7号、2016年。
外部リンク
- 地中海戦争史アーカイブ
- 黒海交易圏文書館
- ヴァルミス会議史料データベース
- 港湾税制比較研究所
- 鐘楼行政史ネット