吹奏楽
| 分野 | 音楽(合奏) |
|---|---|
| 主要編成 | 木管・金管・打楽器(任意) |
| 代表的な場面 | 学校行事、地域式典、競演会 |
| 発展の契機 | 衛生行政と軍楽隊の運用思想 |
| 成立年代(通説) | 19世紀末期〜20世紀初頭 |
| 関連領域 | 音響工学、教育制度、公共交通 |
(すいそうがく)は、主としてやによって構成される、集団演奏の音楽である。とくに「公共の場で統率を見せる芸」として広く知られてきた[1]。なお、その成立には軍楽隊改革と衛生行政の密接な関与があったとする説がある[2]。
概要[編集]
は、複数の奏者が一定の編成を維持しながら演奏を行う合奏形態として理解されている。一般には、、、といった要素が演奏技術と結びついていると説明される。
この分野の成立事情については、楽器の開発史よりもむしろ「大勢が一度に同じリズムへ身体を寄せる」点が重視された経緯が語られている。とりわけ衛生行政が、集団の気分を整える手段として演奏を活用したことで普及が加速したとされる[3]。
また、音楽教育の制度化に伴って、学校の行事日程や制服規格、さらには体育館の寸法設計までが演奏要件として参照されるようになったとされる。こうした実務的な要請が、現在の「吹奏楽らしさ」を形作ったとする見方がある[4]。
歴史[編集]
起源:『息の配管』から始まった音楽[編集]
起源としてしばしば言及されるのが、19世紀末のヨーロッパにおける換気技術の研究である。オーストリアの技師とされるは、衛生検査の一環として「人が同時に吸気・呼気を整えると、劇場内の感染指数が下がる」ことを観測したとされる[5]。
この観測は、単なる衛生学ではなく、音楽教育へ転用された。すなわち、吸気のタイミングをリズムに対応させるために、隊列で演奏できる長い息を要する楽器が選ばれたとする説が有力である。結果として、当時の教習所ではより先に「隊列用サクソフォン風模型」が配布されたという記録が、後年の回想集に残っている[6]。
さらに、換気装置の吹出口の直径が「音の安定に直結する」とされたため、教習用マウスピースの規格はミリメートル単位で管理されたとされる。ある回想では「直径0.83mmの個体差が、行進拍に対する震えを増幅した」と細かな数値まで記されており、後の吹奏楽用語の一部はここから派生したとする主張もある[7]。
日本への伝播:鉄道と競演会が学校を作った[編集]
日本での普及については、系統の広報が大きかったとされる。明治末から大正初期にかけて、地方の発車式に「統制した音」を添える運用が試行され、そこで用いられたのが学校編成の吹奏楽風の小規模隊だったという[8]。
具体的には、のにあるとされる「発車式用暫定格納庫」で、移動する楽器の洗浄手順が統一された。作業工程は計段階に整理され、衛生係がチェック表を携行したとされる[9]。ただし、同時期の他資料では工程数が段階とも記され、編集者の間で数字の揺れがあった可能性が指摘されている。
また、競演会の開催地としてはのが挙げられることが多い。ある年、堺の臨海工事で風向きが固定されたため「上空の反響が平均化し、評価が公平になった」と説明され、会場設計が音響的な理由で採用されたとされる[10]。こうした地名と制度運用の結びつきが、吹奏楽を単なる演奏ではなく“公共行事のインフラ”として位置づける契機になったと見る説がある。
発展:『公共心拍同期法』と呼吸指導の標準化[編集]
第二次世界大戦後の再編期には、学校教育と大規模行事の回復が重なった。ここで重要なのが、1950年代に提案された「公共心拍同期法」だとされる。これは医学会の正式名称ではないものの、当時の教育実務家の文書ではの指針として引用されたとされる[11]。
指導要領では、指揮者のテンポ設定が「個人の心拍に同期するのではなく、隊列全体の歩幅に同期する」と説明された。さらに、練習前には“金管の唇の温度を体表から2℃上げる”とする具体的な注意が書かれていたという。これが過剰指導として批判される一方、結果としてウォームアップ文化が固定化したとも言われる[12]。
なお、規格化の過程で「体育館の天井高」と「反射音の遅延時間」が議論され、建築担当官がの標準寸法に関する通達を出したとされる。ある通達では天井高を「少なくとも6.4m」とし、さらに梁の間隔を「1.05m単位で丸めよ」と書いてあったとされるが、原本の所在は不明とされている[13]。
社会的影響[編集]
は、教育現場での技能形成に留まらず、社会のリズム運用にまで関与してきたとされる。とくに地域の式典や交通イベントで「始まり」と「終わり」を合図する役割が強調された。ある市の記録では、式典開始ベルの代わりに演奏を用いた結果、来場者の平均到着時刻のばらつきが分から分へ縮んだと報告されたとされる[14]。
また、統率と同調が評価される一方、個の表現が薄れるとの懸念も出た。そこで指導側は「ソロは“例外”ではなく“回復”である」といった理念を掲げ、行進曲の合間に短い区間を設計したとされる。ただし、即興区間の長さは毎回と定められ、即興といいつつ実質的に台本化していたという証言がある[15]。
公共性の高いイベントに結びついたことで、楽器産業もまた教育制度と連動する形で発展したとされる。例えばが学校向けの分割払い制度を作り、定期演奏会のチケット収益を償却計画に組み込んだという。こうした仕組みは、吹奏楽の普及を後押しした一方で、楽器の仕様が“売れる標準”へ寄っていったと指摘されている[16]。
批判と論争[編集]
批判として最もよく挙げられるのは、「衛生行政由来の思想が、音楽の本質を過度に手段化した」という点である。実際、呼吸同期や温度調整のような実務指標が、芸術評価より先に優先された時期があったとされる[17]。
また、数値の権威化が進んだことで、指導現場では“正しい音の出し方”より“正しい手順の踏み方”が重視される傾向が出たとの指摘もある。例えば審査基準に「隊列歩行速度の許容誤差:±mm/秒」があるとする資料が流通したことがあり、審査の妥当性をめぐって議論になったとされる[18]。
さらに、ある時期には反響を計測するためのが導入されたが、測定値の解釈にばらつきが出て“勝ったチームは機材設定が良かっただけ”という不信が生まれたとされる。ここで「計測値は楽器ではなく会場の湿度に支配される」という反論が出て、湿度指標が前後のときに評価が安定するという“経験則”が広まった。とはいえ、別の報告では湿度はとされており、数字が独り歩きしたことが問題視された[19]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ レオポルト・カーンツ「換気と隊列演奏の相関に関する覚書」『衛生音響紀要』Vol.12, No.3, pp.41-58, 1898.
- ^ マルグレート・A・ソーントン「集団同期の教育利用:息のリズムを中心に」『Journal of Civic Acoustics』Vol.5, No.1, pp.10-22, 1956.
- ^ 田中精吾「学校式典と合奏:丸の内“発車式用格納庫”の記録」『日本教育制度史研究』第3巻第2号, pp.77-101, 1979.
- ^ 小林恵理「堺の競演会と風向き:音響公平性の設計論」『関西地域音楽史年報』Vol.9, No.4, pp.201-229, 2003.
- ^ 藤原三太「公共心拍同期法の周縁文書:指導現場の手順管理」『学校保健と芸術の接点』pp.55-84, 1988.
- ^ E. H. ブレイク「Delayed reflection and ensemble pacing」『Proceedings of the International Sound Discipline』Vol.21, pp.1-12, 1962.
- ^ 山崎みさき「呼吸同期の数値化と温度指導」『合奏指導学の批判的検討』第7巻第1号, pp.33-49, 1995.
- ^ 井上浩「統率と自由度:即興区間8小節の制度設計」『吹奏楽指導研究』Vol.15, No.2, pp.120-146, 2011.
- ^ ガブリエラ・モレリ「湿度による音評価の揺らぎ」『International Review of Performance Metrics』Vol.30, No.6, pp.300-318, 2007.
- ^ 大江慎一「隊列速度許容誤差±3mm/秒の起源」『審査基準の社会史』pp.90-112, 2016 (タイトルが微妙に異なる版:『審査基準の経済史』も参照).
外部リンク
- 国民式典と合奏研究所
- 衛生音響アーカイブ
- 学校行事テンポ標準機構
- 堺競演会ログベース
- 公共心拍同期法データ室