和南城りょうま
| 本名 | 和南城 良馬 |
|---|---|
| 生年月日 | 1868年3月14日 |
| 没年月日 | 1931年11月2日 |
| 出身地 | 武蔵国多摩郡南和田村 |
| 職業 | 速記研究家、教育行政官、筆録技師 |
| 活動分野 | 反響筆記法、会議記録、聴覚教育 |
| 代表的業績 | 和南城式三拍子符号の考案 |
| 所属 | 内務省臨時記録整理局、東京速記協会 |
| 弟子 | 高見沢トメ、杉浦栄一 |
| 異名 | 音を文章に変えた男 |
和南城りょうま(わなんじょう りょうま、1868年 - 1931年)は、期のにおいて「反響筆記法」を確立したとされる日本の速記研究家、教育行政官である。のちにの社説欄で「音を文章に変えた男」と呼ばれ、近代記録文化の隠れた祖として知られる[1]。
概要[編集]
和南城りょうまは、中期から初期にかけて活動したとされる速記研究家である。特に、話者の息継ぎ・机上の指先の癖・咳払いを同時に符号化する「反響筆記法」を提唱し、官庁会議の記録精度を著しく高めた人物として語られる。
もっとも、彼の名が広く知られるようになったのは学術的評価よりも、に発表された『無音議事録試論』の中で、演説者の沈黙時間まで文字として再現したとされる奇妙な手法によるところが大きい。この手法は後年、の一部文書整理係に採用され、結果として「会議の内容より咳払いの方が長い議事録」が大量に残されたとする証言がある[2]。
生涯[編集]
出自と修学[編集]
和南城はの旧家に生まれたとされるが、家系図には「南から来た城持ちの家」程度の曖昧な記述しか残っていない。幼少期から寺子屋で筆写を好み、に入学したのち、に校内で起きた講義録の紛失事件をきっかけに、音声を文字へ置き換える独自の符号体系を考案したという。
この時期の彼は、ひとつの発話を三段階に分けて記録する癖があり、同級生からは「言葉を噛み砕きすぎる男」と呼ばれていた。なお、彼の卒業論文『話者の息継ぎが筆記速度に及ぼす影響』はとされるが、実際には冊子の半分が空白であったとも伝えられる。
反響筆記法の成立[編集]
、和南城はの地方講習会で「反響筆記法」を初公開した。これは、発話そのものだけでなく、机の振動、聴衆のざわめき、遠くの汽笛までを補助記号として採録する方式であり、当時の新聞記者たちからは「記録というより再上演である」と評された。
彼はさらに、話者の癖を記号化するために「三拍子符号」を導入した。たとえば、語尾を伸ばす政治家には長音記号、早口の官僚には圧縮点、沈黙の長い議長には空欄ではなく薄い波線を用いたという。これにより、の地方税制審議会では、議事録が通常の三倍の厚さになった一方、発言者の性格までも判別できると評判になった。
官庁での採用と改変[編集]
、和南城は臨時記録整理局に招かれ、官庁会議の記録方式改革に携わった。彼の方式は、当初は「過剰に細かい」として難色を示されたが、の災害対策会議で、発言者の言い間違いが復元可能であったことから評価が一転したとされる。
ただし、現場では符号が複雑すぎるため、筆記係が二人一組で「聴く係」と「ため息を写す係」に分担された。結果として、和南城式の会議記録は読了に通常の四倍の時間を要したが、逆に「議論の温度」がわかる資料として、の一部研究室で珍重されたという。
晩年[編集]
の後、和南城は記録の復旧事業に参加し、焼失した議事録を口述と残響から再構成する「残音起こし」を試みた。しかし、被災地での作業中に彼が最後まで重視したのは内容ではなく、避難所の柱に反射して返ってくる声の遅れであったとされる。
晩年の彼はに隠棲し、海風の強い日は筆が震えるためとして、わざわざの通過音に合わせて口述を行った。1931年に死去したのち、遺稿の束からは「無音の最適化は、しばしば最も騒がしい」と書かれた断章が見つかり、後世の研究者を困惑させた。
社会的影響[編集]
和南城の手法は、官庁文書の精密化にとどまらず、、、にまで波及した。とりわけの校閲部では、彼の方式を応用して「沈黙見出し」を導入し、記事の見出しだけで会議の決裂を示す紙面が一時期流行したとされる。
また、彼の弟子の一人である高見沢トメは、地方公会堂の公演記録に和南城式を導入し、拍手の長さから聴衆の年齢層を推定する統計を作成した。もっとも、この統計はの巡回講演でしか有効でなかったとされ、和南城本人は「気候が違えば沈黙の重さも違う」と述べたという[3]。
批判と論争[編集]
和南城の業績には、発明の優先順位をめぐる論争がある。1900年代初頭の速記界には既に類似の補助記号が存在していたが、彼はそれらを体系化したにすぎないとする見解と、ほぼ独力で完成させたとする見解が対立している。特にの『帝都記録学会紀要』掲載論文「和南城式符号の原型について」は、著者名が「匿名の元議事係」とされており、今なお真偽が確定していない。
さらに、彼の方式は「発言者の沈黙まで記録する」ため、個人の性格やためらいを過度に可視化するとの批判も受けた。ある地方議会では、和南城式議事録が原因で議員の咳払い回数まで政争材料になったため、ながら一時的に採用停止になったと伝えられる。
評価[編集]
後年の研究では、和南城は速記技術者というより、近代日本における「会話の保存」に倫理を与えた人物として位置づけられている。すなわち、言葉だけでなく、その周辺に漂う逡巡や空気圧まで記録対象にした点が、後の音声アーカイブ研究に先行していたとされる。
一方で、彼の記録はしばしば過剰に豊富であり、の地方教育会では「議事録を読むだけで会議に参加した気分になる」として好評だった反面、「読むと疲れる」との苦情も多かった。今日では、和南城式の資料は史料学の珍品として扱われ、特に「空欄の意味」を読み解く研究が小さな流派を形成している。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 和田秀雄『反響筆記法概論』東京記録出版社, 1913.
- ^ 高橋静江『沈黙を写す技術――和南城研究序説』帝都書房, 1929.
- ^ Marjorie A. Bell, "Echo Notation and Bureaucratic Memory", Journal of Imperial Record Studies, Vol. 8, No. 2, 1932, pp. 44-71.
- ^ 杉浦栄一『和南城式三拍子符号の実際』日本速記協会出版部, 1921.
- ^ K. H. Wainwright, "On the Breath Units in Meiji Stenography", The Far Eastern Review of Philology, Vol. 3, No. 4, 1909, pp. 201-219.
- ^ 田所春男『残音起こしと災害後記録』関東記録学会, 1948.
- ^ Lydia M. Crane, "The Silence Index in Municipal Proceedings", Proceedings of the Tokyo Historical Society, Vol. 12, No. 1, 1956, pp. 5-29.
- ^ 宮内三郎『議会と咳払い――和南城流採録の社会史』法政文化社, 1964.
- ^ R. S. Whitcombe, "A Curious Account of Ryoma Wanajo", Bulletin of Comparative Administrative Memory, Vol. 5, No. 1, 1978, pp. 1-18.
- ^ 北村良一『空欄の政治学』南和出版, 1991.
外部リンク
- 日本反響筆記研究会
- 帝都記録アーカイブ
- 和南城文庫デジタルコレクション
- 近代議事録史料館
- 残音起こし研究ノート