和田アキ子が自ら鳴らした鐘
| 分野 | 音響民俗学・放送文化史 |
|---|---|
| 成立の推定時期 | 1970年代後半 |
| 関連人物 | 和田アキ子、局アナ複数名(匿名化) |
| 関与主体 | ラジオ放送事業者・音響技術者 |
| 用いられたとされる物 | 手動鐘(直径約38cmとされる) |
| 伝播媒体 | 特番、回想録、ファン誌 |
| 分類 | 儀礼的効果音・象徴行為 |
| 論争点 | 実在の鐘と記録の整合性 |
和田アキ子が自ら鳴らした鐘(わだあきこがみずからならしたかね)は、歌手が関与したとされる、民間放送文化における「音響儀礼」の逸話である[1]。主にのラジオ局史料と、後年に編まれた回想録の断片から伝えられている[2]。
概要[編集]
は、放送局の新番組や特番の開始前に、出演者自身が鐘を鳴らすことで「合図」を成立させるという逸話群を指すとされる。ここでいう「鐘」は必ずしも宗教的なものではなく、スタジオ内の音響環境を整え、放送事故の予兆を相殺する装置として語られることが多い。
この逸話の特徴は、語り手が「本人が自ら鳴らした」という点を強調することである。すなわち、司会者や技術スタッフではなく、本人が手を伸ばして打鍵(実際には引き金に近いとされる)を行うことに、象徴的な責任が付与されると解釈されている[1]。また、この儀礼は放送音声の編集史とも結び付けられており、後年には「音声編集の安全祈願」として半ば理論化された経緯があるとされる。
一方で、同名の逸話は複数の地域・局で語られており、どの鐘がどの回の開始に紐付くかは一定しない。にもかかわらず、音の物理量(打撃回数、残響時間、マイク距離)がやけに細かく記録されるため、後述のように「信じたくなるが、疑うべき」類型として扱われてきた。
なお、Wikipedia風の要約では「和田アキ子が自ら鳴らした鐘」として一括されるが、一次口述には「鐘」以外の語(例:、)も登場する。編集者の間では、これを同一概念にまとめるかが争われたとされる[3]。
語の成立と選定基準[編集]
本項の主題語は、後年の編集作業により「一つの出来事」に見える形へ収束させられたとされる。具体的には、放送局の広報担当が、複数の特番の前口上を聞き比べて「共通する合図の核」を抽出し、ファン誌編集部がそれを“逸話名”として定着させた、という流れが提案されている[4]。
一覧(逸話群)としての成立基準は、(1)出演者本人が打鍵動作を行ったと明記されること、(2)鐘の存在が装置か民具かを問わず“音響の役割”で語られること、(3)少なくとも一つの音響パラメータ(例:距離、回数、残響)が数値として記憶されていること、の3点である。さらに、(4)地上波以外の配信が普及する以前に語られた形跡があること、と加えられる場合もある。
このような選定基準が採られるのは、同時期の「番組開始ベル」伝承が無数に存在したためである。編集者は混同を避けるため、必ず“本人が鳴らした”という語法を優先したと説明している[5]。ただし、厳密にはその語法の伝播経路が分岐しており、後述の「偽装された一次資料」疑惑へ接続する。
また、物語の解釈としては、象徴効果(責任の可視化)と技術効果(音声系の校正)を二重に読む立場が折衷案として広まった。これが当該逸話を、単なる面白エピソードではなく“文化史の断片”として扱う土台になったとされる。
一覧[編集]
以下はとして回収された逸話・派生呼称の代表例である。どれも実在放送事故の具体的事後処理と結び付けられて語られ、結果として「鐘」が単なる小道具を超えた存在として定着したとされる。[1]
1. 『第三夜の校正鐘』(1978年)- の深夜番組で、アシスタントが「音が丸まってます」と告げた直後に、本人がハンドル式の鐘を「17回」だけ鳴らしたとされる。以後、残響時間が0.8秒以内に収まると局内で信じられたため、翌月から技術スタッフが同じ回数を“事故回避の合図”として採用したと語られる[6]。
2. 『赤坂回線の一本鐘』(1979年)- の回線試験で、司会の台詞がわずかに遅延したとき、本人が「遅れて鳴らす」ことで“時間のズレ”を帳消しにしたという。逸話では、遅延が120msだったため、鐘は120回ではなく「12回」だけ鳴らしたと妙に具体化されている点が特徴である[7]。
3. 『夜汽車マイク前鐘』(1980年)- スタジオ外の廊下に設置されたとされる鐘を、本人が“廊下の温度”が一定になるまで引かずに待ったと伝わる。回想録では待機が「合計6分42秒」で、温度は「23.1℃」だったと記されており、音響民俗学の研究者が「なぜ温度まで残ったのか」と訴えることが多い[8]。
4. 『札幌雨音鐘の十三打』(1981年)- の中継で雨が強まり、放送の高域が落ちたとされる。その夜、本人が鐘を「13打」だけ鳴らし、以後“雨の粒”を高域に見立てて編集を調整した、と語られる。研究会では、鐘の回数が“降水量の換算”ではないかと推測され、そこが妙に尤もらしい[9]。
5. 『福岡夜間中継・防湿鐘』(1982年)- の中継車で、湿度が「84%」を超えると音が濁ると技術者が主張した回があったとされる。そこで本人が鐘を鳴らした瞬間に送信系が乾いたのではなく、編集卓の表示が切り替わるタイミングと一致しただけだという“冷静な語り”が混在している[10]。
6. 『名古屋・熱線マイク鐘』(1983年)- の熱線式マイク前で、本人が鐘を「三段階の強さ(弱・中・強)」で鳴らしたとされる。強さの違いは、打撃の有無ではなく、引き金の戻り角度(推定22度)で表現されたとされ、のちに“角度民俗”として笑い話になった[11]。
7. 『周年特番・責任鐘』(1984年)- の周年特番で、本人が「自分の声を自分で起動する」と語り、鐘を鳴らす係を拒否したという。以後、番組企画書には「責任鐘の取得」が“社内言語”として紛れ込んだとされ、技術部門が意味を取り違えたことで混乱が生じたと記録される[12]。
8. 『百回線の終点鐘』(1985年)- 回線設計上の終端で、帯域がわずかに荒れるため、鐘の音が“リミッタ的に聞こえる”という誤解が広まった。本人が「100回線」ではなく「8回」で済ませたため、“終点に向けた心構え”の比喩として語られるようになった[13]。
9. 『長崎・潮戻り鐘』(1986年)- の港湾近くで収録された特番で、波の反射がマイクへ回り込む現象があり、本人が鐘を鳴らすタイミングを潮が引く「T-27分」に合わせたとされる。ここでのTは“タイド開始”であるという注釈が付くが、誰がそんな時間管理をしたのかは資料間で食い違うとされる[14]。
10. 『ラジオ祭・セルフコール鐘』(1990年)- 1990年、文化イベントで“本人が鳴らす”を再演した企画が立ち上がった。本人の動作は本物と似せたものの、鐘そのものは博物館の展示品であり、木製の留め具が「5.2mm」削れていたとスタッフが細かく記した。にもかかわらず、会場の観客は“同じ鐘が鳴った”と認識したとされる[15]。
11. 『追悼番組・無音鐘』(1991年)- 番組構成上、サウンドを抑える必要があったため、鐘は鳴らされなかったが、本人が手を触れた動作だけが放送に編集されたとされる。以後、この「無音鐘」の扱いが論争となり、“音がないのに何が儀礼なのか”という疑問が投げられたとされる[16]。
12. 『ネットラジオ移行期・短打鐘』(1996年)- 音声圧縮の新方式へ移行する直前、本人が鐘を鳴らしたという“切替儀礼”が語られた。数字として「秒あたりビットレートが128kbpsになった瞬間」と結び付けて語られるが、回想の主張者が技術者ではないため、真偽は曖昧だとされる[17]。
13. 『共通残響0.64秒鐘』(複数年にまたがるとされる)- 複数の局・回で、鐘の残響が「0.64秒」と統一して語られる例がある。研究者の一部では、編集段階で都合よく統計化された可能性が指摘されている。一方、別の回想では“残響は測っていない”とされており、数字の整合だけが不自然に揃うことが、笑いのポイントになった[18]。
歴史[編集]
音響民俗の誕生:なぜ「本人」が必要だったのか[編集]
音響民俗学の視点では、当該逸話の核は「音を鳴らす主体の移動」にあるとされる。放送局の開局・更新の儀礼は、しばしば技術スタッフや司会の“代行”によって運用される。しかし、本人が行為を担ったことで、事故回避の責任が出演者へ“返還”されたという語りが成立したと推定されている[19]。
また、当時の放送現場では、ミキサーの設定が微妙に変わるたびに音が変わり、録音テープ(あるいはデジタル以前の前段)に引きずられる問題がしばしば起きたと語られる。そのため、鐘の音を“基準”として耳が慣れることで、編集中の誤差を減らす合理性があったとする説明もある。ただし、合理性の説明が後から整えられた可能性も指摘されており、ここが“ありえた感”を生んでいる。
編集者は、本人が鳴らしたという語法が、ファンにとって「偶像の手触り」を与えるからであるとまとめた。放送文化の文献では、こうした儀礼化がラジオの距離感(声の到達)と相性が良かったとされる[20]。結果として、鐘は象徴にも校正手順にもなり、意味が二重化した。
記録の加工:残響・回数が揃いすぎる問題[編集]
逸話が複数の地域へ伝播する過程で、記録が“整う”現象が起きたとされる。特にや回数のような数値が、口述ではなく“計測値の体裁”として残りやすかった。これについては、当時の制作現場で使われた簡易音響メモ(通称)が、後年の編集で参照された可能性が挙げられる[21]。
ただし、ログ鐘帳が実在したとする証拠と、存在自体に否定が入る証拠が併存している。ある回想では「残響は測っていない」とされる一方、別の編者注では「測定器は当日故障したが、数字だけ残った」とされる。このような矛盾が、むしろ逸話の信憑性を補強していると論じる研究者もいる[22]。
また、2000年代以降にはネット上で“鐘の統一データ”がまとめられ、0.64秒などの値が一人歩きした。初出がどこかが不明であり、脚注には「出典未確認」と書かれたはずの欄が後の編集で削除された可能性がある、とする指摘がある(要出典)[18]。
社会的影響:儀礼が「安全運用」の比喩になった経緯[編集]
社会的影響としては、番組開始時の緊張を“音響儀礼”という言葉で説明する風潮が広まった点が挙げられる。制作現場では、鐘を鳴らすこと自体よりも、「鳴らした責任で失敗を許さない」という態度が共有され、スタッフの間で確認行為として機能したとされる。
この態度は放送以外にも転用され、イベント会社では“開場ベル”の直前に関係者が深呼吸する儀礼が導入されたとする逸話が残っている。ただし、転用の因果関係は資料が薄く、音響民俗の研究では“似た運用が後付けで一本化された”可能性も議論される[23]。
一方、メディア史の側では、という大衆的な存在が“難しい技術判断”を“単純な合図”に翻訳したことが、文化的受容を促したとされる。この点は、口述で語られるほどに具体性が増し、逆に再現性が失われるという逆説を生んだ。
批判と論争[編集]
批判としては、数値の整合性が問題視されている。特にが回によって揺れるはずの現象が、複数の地域で同一(例:0.64秒)として語られることは、後年の編集統一の可能性を示すとされる[18]。
また、「本人が自ら鳴らした」という点についても、別の証言では手の動作だけが本人で、実際の打撃は装置側の補助機構だった可能性が示唆されている。例えば、スタッフ回想では“引き金”ではなく“押し当て”だったとされるため、行為の性質が混ざっている可能性があるという[24]。
さらに、放送事故との因果を強く結び付ける語りは、技術者からは懐疑的に見られることがある。鐘が音声の校正に寄与したという説明は、合理性があるようでいて、当時の測定方式と一致しないという指摘がある。なお、要出典の断片として「鐘が鳴ると出演者の声帯が温まる」という説が挿入されているが、医学的根拠は示されていない[25]。
それでも、論争が続くのは、当該逸話が“信じられたかどうか”よりも“信じたい形に整えられた痕跡”を残しているためだとする見方がある。つまり、この鐘は音ではなく、伝播の仕方そのものが研究対象になっているという整理である。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 江崎和臣『ラジオ特番の合図体系:効果音・責任・儀礼』新星出版社, 1999.
- ^ M. A. Thornton『Acoustic Folklore in Mass Broadcasting』Oxford Sound Studies, Vol. 12, No. 3, 2004.
- ^ 山田玲子『声の到達と番組開始:距離感を作る技術文化』日本放送文化叢書, 第5巻第2号, 2007.
- ^ 佐伯亮太『残響という記憶:口述資料の数値化プロセス』東京学芸大学出版部, 2012.
- ^ Katsura Muneo『Self-Rung Rituals and Audience Belief』International Journal of Media Folklore, Vol. 4, No. 1, pp. 33-58, 2016.
- ^ 鈴木一真『スタジオのログと都市伝承:計測の体裁が生む物語』メディア史研究会, 第9巻第1号, pp. 101-126, 2018.
- ^ 橋本真衣『開場ベルの社会学:安全運用としての合図』アカデミア・プレス, 2020.
- ^ C. R. Delaney『The Myth of Consistent Reverb』Journal of Impossible Acoustics, Vol. 2, No. 7, pp. 1-19, 2021.
- ^ (タイトルが微妙におかしい)『鐘は鳴らなくても始まる:編集統一の技法大全』鐘楼文庫, 2014.
外部リンク
- 嘘ペディア・放送文化アーカイブ
- 音響民俗学メモリーフォーラム
- スタジオ・ログ鐘帳の研究ノート
- 残響時間計測の夢図書館
- 開場ベルと安全運用の比較サイト