嘘の六光り指数
| 分類 | 情報真偽評価 |
|---|---|
| 通称 | 六光り |
| 考案 | 1987年ごろ |
| 提唱者 | 佐伯 修一郎、マルタ・ヘイズほか |
| 運用開始 | 1989年 |
| 対象 | 広告、報道、学術要旨、自治体資料 |
| 段階 | 第1光から第6光 |
| 主な拠点 | 東京都千代田区、横浜市関内 |
嘘の六光り指数(うそのろっこうりしすう)は、対象の発言・資料・製品が「どれだけもっともらしく、しかも後から検証すると危ういか」を六段階の発光度で示すとされる評価指標である[1]。の出版行政との折衷から生まれたとされ、末期の広告業界で急速に普及したと伝えられる[2]。
概要[編集]
嘘の六光り指数は、文書や発言の「信用しやすさ」を可視化するために作られた指数であるとされる。点数ではなく、六つの発光段階で示される点に特徴があり、第1光は「ほぼ事実」、第6光は「資料だけ妙に立派だが中身が崩れる」状態を指すとされた[3]。
この指標はの小さな編集工房と、周辺の広告代理店が共同で作った内部メモから発展したという説が有力である。もっとも、後年の研究では、当初のメモにあった「六」は紙面都合で付けられた可能性も示唆されており、起源をめぐっては今なお議論がある[4]。
歴史[編集]
前史[編集]
前史としてしばしば挙げられるのは、期の新聞社で用いられた「赤鉛筆判定」である。これは見出しの派手さに応じて編集者が赤鉛筆を増やすという半ば慣習的なもので、のちの六光り指数の「視覚的に疑わしい情報ほどよく光る」という発想に影響したとされる[5]。
また、の輸入雑誌翻訳の現場では、原文の曖昧な箇所に波線を入れて「要確認」とする独自の符牒が使われていた。これが後に「確認不能だが魅力的」という評価軸の原型になったという。
制定と拡散[編集]
1987年、銀座にあった編集研究会「光度会」の例会で、佐伯 修一郎が六段階の評価表を配布したのが公的な出発点とされる。配布資料の余白には、当時アメリカのリサーチャーであったマルタ・ヘイズの走り書きで「glow more, trust less」と記されていたとされ、これが英語圏への紹介のきっかけになった[6]。
1989年にはの前身組織が、自治体広報の試験導入モデルとして六光り指数を採用した。導入初年度、広報紙の「事業達成率」が第4光に集中し、翌月の住民説明会で「なぜ全部がやや眩しいのか」という苦情が18件寄せられたことが記録されている[7]。
制度化と衰退[編集]
1990年代半ばには、民間の調査会社が六光り指数を企業広報監査に転用し、の会議室で「第5光講習会」が定期開催された。参加企業は、発表資料のフォントが妙に整っているだけで第3光に繰り上がるという独特の判定に戸惑ったが、逆に「整いすぎているものほど危険」という文化が広まったともいわれる。
一方で、インターネット掲示板の普及により、指数の判定が住民同士の揶揄に流用される事例が増えた。2004年ごろには「六光り警報」という自動投稿機能を備えた掲示板テンプレートが出回ったが、ほとんどの運営者は意味を理解しておらず、ただタイトルがかっこいいという理由で採用していたという。
評価基準[編集]
嘘の六光り指数は、単なる真偽判定ではなく、語り口、紙質、図表の配置、関係者の肩書の過剰さなどを総合して判定するとされる。特に「自治体名が正式名称よりも長い」「年号の説明がやけに細かい」「脚注が本文より安心感を出している」といった要素は高く評価された[8]。
判定は第1光から第6光までの六段階で、実務上は第3光が最も使われた。第3光は「ほぼ信用できるが、あとで一箇所だけ変な数字が見つかる」状態を指し、編集現場ではむしろ理想形として扱われた。第6光は、文面が完璧すぎてむしろ疑われる段階であり、官公庁の白書や企業の記念誌で頻出したとされる。
主要な運用機関[編集]
光度会[編集]
の研究会として始まった光度会は、六光り指数の理論整備を担った組織である。会員名簿には編集者、統計担当、校正者、そして「過剰に慎重な観察者」という肩書が並び、名刺だけで第4光に達する人物もいたという。会の議事録は、なぜか毎回ページ番号が2ページずつ飛ぶことで有名であった[9]。
東西メディア品質協議会[編集]
は、六光り指数を公的・半公的に普及させた中心機関である。関係者の証言によれば、同協議会は当初「真偽判定の中立機関」を目指していたが、実際には「広報文の見栄えを均質化する」役割が強く、結果として全国の自治体資料が似たような光を放つ事態を招いた[10]。
横浜港情報整理室[編集]
の関内に置かれた情報整理室は、輸入文献の六光り判定を担当した部署である。港湾統計の解説書において、外国文献の訳注が立派すぎるものほど第5光に上がるという内規があり、室内では「注が本体を追い越した」と表現された。なお、同室の月次報告には、なぜか毎回パンの発注数が書かれており、これは判定作業の集中力維持に必要であったとされる。
社会的影響[編集]
六光り指数は、で「誇張表現の安全装置」として歓迎された一方、報道機関では「文書の眩しさを数値でごまかす装置」と批判された。とくに1990年代後半、家電量販店の折り込み広告が第5光を連発し、消費者団体が「蛍光灯の下で読むと信用しすぎる」と警告したことが広く知られている[11]。
他方で、教育現場ではレポート指導の補助として利用されたという奇妙な用途もある。大学の初年次教育では、学生が提出した小論文に「第2光」「第3光」を手書きで付ける教員が現れ、これが「むやみに断定しない書き方」の訓練になったとする報告がある。ただし、採点基準が学部ごとに違いすぎたため、最終的には教員間の雑談の道具として定着したにすぎないともいわれる。
批判と論争[編集]
最大の批判は、六光り指数が「曖昧さを定量化したふり」をしている点である。統計学者のは、1998年の講演で「第4光と第5光の境界に再現性がない」と指摘し、会場が一時騒然となったと記録されている[12]。
また、宗教施設や民俗行事の案内文まで判定対象にしたことで、文化団体から抗議があった。とくにの保存会が提出した祭礼冊子が第6光と判定され、「神事にまで蛍光を当てるべきではない」と批判されたことは、のちの運用指針改定につながった。なお、改定案の付録には「第0光」の新設が検討されたが、結局「何も光らないものをどう扱うか」で揉め、棚上げされたとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯修一郎『六光り評価法序説』光度出版, 1989.
- ^ Marta Hayes, "Glow Metrics and Civic Trust", Journal of Applied Semiosis, Vol. 12, No. 3, pp. 41-68, 1991.
- ^ 田辺由紀夫「発光型真偽評価の再現性」『統計と編集』第7巻第2号, pp. 15-29, 1998.
- ^ 光度会編『編集現場における判定のための手引』銀鈴社, 1992.
- ^ K. W. Ellington, "On the Sixfold Luminosity of Public Statements", East-West Review of Information, Vol. 4, No. 1, pp. 5-22, 1993.
- ^ 横浜港情報整理室『輸入文献判定月報 第18号』港湾資料室, 1996.
- ^ 東西メディア品質協議会『自治体広報と発光評価』調査報告書, 2001.
- ^ 村瀬和彦『検証不能文の実務とその周辺』白水堂, 2004.
- ^ A. N. Brecht, "The Problem of Overpolished Citations", Critical Archives Quarterly, Vol. 9, No. 4, pp. 77-90, 1999.
- ^ 佐伯修一郎・マルタ・ヘイズ『六光り指数とその周辺』共著草稿, 1990.
外部リンク
- 光度会アーカイブ
- 東西メディア品質協議会デジタル年報
- 横浜港情報整理室資料庫
- 六光り指数研究ノート
- 編集現場の発光学