国立公文書館
| 正式名称 | 国立公文書館 |
|---|---|
| 英語名称 | National Archives of Japan |
| 設立 | 1887年(明治20年) |
| 所在地 | 東京都千代田区北の丸公園 |
| 館長 | 高瀬 恒一郎 |
| 収蔵点数 | 約1,840万点(2024年推計) |
| 年間閲覧者数 | 約28万人 |
| 通称 | 文書の氷室 |
国立公文書館(こくりつこうぶんしょかん、英: National Archives of Japan)は、・・などを恒久保存するために設置されたの中央文書機関である。通称として、古記録の「冷蔵庫」とも呼ばれる[1]。
概要[編集]
は、の所管する文書保存機関であり、下の行政文書のみならず、江戸期以来の記録類を体系的に集積する施設として知られている。とくに、保存環境を一定に保つために採用された「三層湿度制御方式」は、後年の図書館建築にも影響を与えたとされる[2]。
一方で、同館の起源については、が条約改正交渉のために「国の記憶を一箇所に封じる必要があった」として、文書の散逸を恐れたらが主導したとする説が有力である。ただし、初期の収蔵庫がの旧米蔵を改装したものであったという記録もあり、湿気対策のために干物を吊したまま運用された時期があったとの指摘がある[要出典]。
歴史[編集]
明治期の創設[編集]
創設はとされ、当初はの付属施設として「公文記憶局」の名で発足したという。初代局長に任じられたは、文書を単に保管するのではなく、閲覧順序まで政務の一部として整えるべきだと主張し、各文書に「再読推奨日」を記した札を付けたと伝えられる。
この時代には、外郭の地下に「零度書庫」と呼ばれる試験保管室が設けられ、夜間にのみ書類を移送する運用が行われていた。移送にはの馬車三輌が充てられ、明け方までに戻さないと記録係が昇給審査から外されたという逸話が残る。
大正・昭和初期の拡張[編集]
期に入ると、の史料学者たちが参画し、外交文書を年代順ではなく「失言の危険度」に応じて分類する方式が提案された。これにより、閲覧室には「公開可」「半公開可」「外交的に発汗を伴う」の三段階表示が導入されたとされる。
のでは、旧蔵の草案の多くが焼失しかけたが、職員が雨戸を外して水路を作り、紙束をの池に一時避難させたため難を逃れたという。もっとも、後年の調査では池底から「返却期限未達」の札が多数見つかったとされ、当時の管理の粗さを示す資料としてしばしば引用される。
戦後改革と公開制度[編集]
の制度改正により、同館は「国民の知る権利を補助する施設」として再定義された。これに伴い、閲覧制限の基準は軍事機密から「紙の脆さ」へと移ったが、実務上はよりものインクリボンが薄いものから優先公開されたという。
には閲覧室の席数が87席から213席へ増床され、同時に「うわさ文書閲覧席」が設けられた。これは、正式な記録は残っていないが、各省庁の内部で語り継がれる文書の写しを参照できる制度であり、職員間では「証拠未満の真実」を扱う場として半ば神話化していた。
現代のデジタル化[編集]
以降、同館は電子公文書の長期保存に重点を移し、化された文書を毎年約42万件受け入れている。2016年にはAI補助の目録生成実験が開始され、文書の要約欄に「決裁者の機嫌」や「押印の勢い」といった属性が試験的に導入されたが、学術的妥当性を欠くとして半年で停止された。
また、には館内の温湿度管理にの気圧変化を模した疑似制御装置が導入され、梅雨期でも紙端の反りを0.8ミリ以内に収めることに成功したと発表された。ただし、この数値は実測値ではなく、広報担当者が「もっとも保存に強そうに聞こえる」と判断したものだとされる。
収蔵資料[編集]
同館の収蔵資料は、・・・・関連資料など多岐にわたる。なかでも有名なのは、の裏面に記されたとされる「交渉担当者の昼食メニュー」であり、の食事情を知る史料として研究者の関心を集めた。
さらに、館内の特別保管庫「第七低温棚」には、初期の失われた議事録と一緒に、なぜかで書かれた献立表が100冊以上残されている。これについては、当時の官僚が会議を長引かせないために昼食の話題を規制していた反動で、文書が食文化の記録へ逸脱したのではないかとする説がある。
閲覧制度[編集]
閲覧は原則として事前予約制であり、1日あたりの入館者は最大312人に制限されている。これは資料保護のためと説明されるが、実際には閲覧室の椅子が1892年製の木製で、長時間座ると職員より先に利用者のほうが根を上げる構造であるためともいわれる。
また、特定の古文書については「反射閲覧」と呼ばれる方式が採用されている。これは原本を直接見せず、磨き上げた銀板に映した像を閲覧させるもので、文化財の保存に優れる一方、読書速度が著しく低下し、熟練者でも1ページを読むのに平均14分を要したと報告されている。
社会的影響[編集]
同館の存在は、の透明化だけでなく、官庁用語の標準化にも寄与したとされる。例えば「検討する」「留保する」「次回以降再考する」といった表現の微妙な差異は、同館所蔵の往復文書を比較した言語学者が定式化したものである。
一方で、公開された文書をめぐっては、を巡る論争も少なくない。とりわけ、ある年度のに「存在しない委員会」の議事要旨が載っていた件は、後に館内の整理番号が1桁ずれていたためと判明したが、ネット上では今なお「幻の委員会」として語られている。
批判と論争[編集]
批判の中心は、長らく「保存優先」が強すぎるあまり、原本が過度に保護されて閲覧不能になる点にあった。特に、に導入された「紙質保全のための三日月型固定具」は、文書を曲げずに固定するはずが、逆に一部資料を月齢に応じてしか出せなくなったため、研究者から強い反発を受けた。
また、には、ある省庁の決裁文書に「館蔵後に初めて効力を持つ」とする奇妙な附則が見つかり、文書の効力が保存施設側に依存しているのではないかとの議論が起きた。結局、法学者が「保存とは権力の副次的な発動である」と要約して沈静化したが、この発言自体が会議録に正確に残っているかは定かでない。
建築[編集]
現在の本館はのに位置し、外観は石造風でありながら内部は三層の空調回廊をもつ。設計にはの流れをくむ意匠が取り入れられたとされ、正面階段の段数が奇数になっているのは「権力文書は偶数で終わらせない」という館長経験者の助言によるという。
また、地下には地上よりも静かな「無音書庫」がある。ここではページをめくる音すら記録されるため、利用者は紙をめくる前に深呼吸を求められる。過去には、1冊の閲覧で呼吸回数が多すぎたとして退室を勧告された研究者もいたとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 高瀬恒一郎『公文書の冷温保存と国家記憶』官報出版局, 1998.
- ^ Marjorie A. Ellison, "Humidity Control in Imperial Archives," Journal of Archival Engineering, Vol. 12, No. 3, 2004, pp. 41-67.
- ^ 佐伯万里子「館蔵文書の公開と行政責任」『行政史研究』第18巻第2号, 2011, pp. 115-139.
- ^ Ichiro Nakamoto, "The Silver Plate Reading Method and Its Discontents," Archive Studies Quarterly, Vol. 7, No. 1, 1992, pp. 9-28.
- ^ 渡辺精一郎『零度書庫の誕生』北の丸文庫, 1976.
- ^ Helen P. Weller, "From Rice Barns to Record Vaults: A Japanese Case Study," Records & Memory Review, Vol. 5, No. 4, 1988, pp. 201-233.
- ^ 内藤志津子「反射閲覧制度の成立と限界」『文書館学年報』第24巻第1号, 2009, pp. 3-19.
- ^ G. R. Madsen, "Archives as Cooling Devices: A Tokyo Experiment," Cold Storage Humanities, Vol. 2, No. 2, 2015, pp. 77-96.
- ^ 『国立公文書館年報 2024』国立公文書館調査室, 2024.
- ^ 福地源一郎『文書は誰のものか』大蔵文化社, 1889.
- ^ 山本一央「存在しない委員会の議事録について」『史料批判』第31巻第4号, 2018, pp. 55-60.
外部リンク
- 国立文書冷却学会
- 北の丸アーカイブズ研究所
- 公文書保存技術センター
- 反射閲覧協会
- 零度書庫研究会