禁帯出管理室
| 名称 | 禁帯出管理室 |
|---|---|
| 英称 | Restricted Circulation Management Office |
| 略称 | 禁管室 |
| 設立 | 1968年頃 |
| 初設置 | 東京都千代田区霞が関の旧文書分室 |
| 所管 | 官公庁文書管理局、公共図書館協議会 |
| 業務 | 禁帯出資料の登録、閲覧制限、貸出抑止、複写承認 |
| 関連法令 | 資料保存規程第14条、閲覧制限細則 |
| 管轄資料 | 古地図、内部報告書、復元不能な写真原板など |
禁帯出管理室(きんたいしゅつかんりしつ、英: Restricted Circulation Management Office)は、・・において、持ち出しを禁じた資料の所在、複写、閲覧記録を一元的に管理する部署である。主に後期ので制度化されたとされ、現在では稀少資料保全の中枢として知られている[1]。
概要[編集]
禁帯出管理室は、やにおいて、通常の貸出業務から切り離された資料を管理するための専門部署である。一般には単なる「貸し出せない本の窓口」と誤解されがちであるが、実際には資料ごとの禁帯出区分、複写可否、閲覧時間、持込筆記具の種類まで細かく監督する。
制度上はの立行政資料保存連絡会で試験導入されたとされるが、実務上の起源はそれより古く、末期にの古書店街で使われていた「店外持出禁」の札に遡るという説が有力である。もっとも、この説を最初に唱えたのが当時の室長補佐であったであるため、史料批判にはなお留保が必要である[2]。
歴史[編集]
前史と私設保管札[編集]
禁帯出管理室の前史は、末から期にかけての私設文庫に求められる。とくに・周辺の貸本屋では、珍本に糊付けした赤札を付し、夜間の持ち出しを禁じる慣行があったとされる。これが後の禁帯出区分の原型になったとされるが、現存する札はわずか17枚であり、そのうち9枚は後年の復刻である。
、の会合で「書籍は読まれるためにあるが、壊されるためではない」という標語が採択され、以後、禁帯出対象を紙背の弱い資料に限るべきか、それとも閲覧者の腕力も考慮すべきかという議論が始まった。ここで初めて「管理室」という語が文書に現れたとされる[3]。
制度化と霞が関方式[編集]
制度化の決定打となったのはのいわゆるである。これはの旧分室において、禁帯出資料を一般書庫から物理的に分離し、入室者を一日平均23人までに制限した運用で、通称「三枚の鍵、二枚の印、ひとつのため息」と呼ばれた。
当時の担当者は、閲覧申請書に「資料の移動は紙片の移動にあらず、責任の移動である」と書き込んだことで知られる。なお、この文言は後に各地の管理室で額装され、なぜかの注意書きと並べて掲示されるようになった[4]。
全国展開と標準化[編集]
には系の調査を契機として、からまでの主要公共図書館に禁帯出管理室が試験導入された。標準化の中心となったのはの「RCM-74規格」で、資料票の角を7ミリ折り上げること、閲覧者の鉛筆をHB以下に限定すること、誤って返却された禁帯出資料には黒帯の代わりに青帯を使うことなどが定められた。
一方で、現場では「禁帯出のはずの資料が管理室の机に固定され、結果として誰よりも管理室員が帯出できない」という逆転現象が頻発した。このため一部の施設では、管理室員自身の外出に許可証が必要となり、職員証の裏面に「勤務時間中の私的立寄りは図書館界の外傷である」と印字されたという[5]。
デジタル化と監視の高度化[編集]
後半、資料のにより禁帯出管理室の役割は縮小すると見込まれたが、実際には逆に増大した。スキャナで取り込んだ画像の解像度、PDFのしおり数、閲覧端末の持ち込み台数まで管理対象が拡張され、2003年時点で一室あたり平均4.8名だった職員数は、2016年には7.1名に増えている。
この時期に導入されたは、ページめくり速度が毎分38回を超えると自動で「熟読不足」の警告を出す仕組みであった。もっとも、ある県立図書館では実験中に研究者がたまたま扇子であおいだだけで警報が鳴り、以後その装置は「風に弱い」という評価を受けた[6]。
業務[編集]
禁帯出管理室の業務は、資料登録、持出制限の設定、閲覧者の身元確認、複写申請の審査、ならびに返却後の紙面検査に大別される。特にの新聞縮刷版や、旧軍関係のは、1冊ごとに異なる赤・青・灰の三段階で処理されることが多い。
また、室内では「資料を動かす」のではなく「資料の影を動かす」という独特の作法があるとされる。これは強い日差しのもとで紙魚被害を避けるために編み出されたもので、実際には担当者が窓際で資料箱を1センチずつずらしているだけであるが、外部から見ると非常に厳粛に見えるため、視察団の満足度は平均92点を記録したという。
なお、複写許可の判定には「閲覧後に夢に出るかどうか」という非公式項目があり、熟練職員はこれを30秒ほどの沈黙で見極めるとされる。これについては要出典とされているが、現場では半ば公然の慣行として残っている[7]。
文化的影響[編集]
禁帯出管理室は、単なる事務部署でありながら、やの象徴として独特の文化を形成した。たとえばのある公共図書館では、毎年を「禁帯出資料感謝の日」とし、閲覧台の上に赤い栞を3本立てる儀式が行われている。
また、管理室の厳格な運用は、資料への敬意を可視化する行為として評価される一方、若手研究者からは「申請書より先に人生設計が審査される」と揶揄されることもある。特にの大学図書館では、禁帯出許可が下りるまでの平均待機日数が14.2日であったのに対し、冬季の閉館日数が15日であったため、実質的に翌年度へ持ち越される事例が多発した[8]。
批判と論争[編集]
禁帯出管理室への批判として最も多いのは、基準が過度に属人的であるという点である。ある調査では、同じ資料に対する禁帯出判定が、午前と午後で27%変動したとされ、これは担当者の血糖値との相関が高いと指摘された。
また、にの公文書館で発生した「棚卸し時に全禁帯出棚が空欄になって見えた事件」は、実際には棚札の貼り間違いであったが、内部では一時的に「資料が自ら身を隠した」と解釈され、数日間にわたり閲覧室の照明が一段暗くされた。これにより、禁帯出管理室は単なる保全機関ではなく、半ば儀礼的な空間として機能しているとの見方が広がった[9]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 河合由紀子『禁帯出管理の実務と礼法』日本資料保存出版会, 1972年.
- ^ 三浦惣一『霞が関方式の成立』文庫館叢書, 1981年.
- ^ 日本図書保存協議会編『RCM-74規格とその運用』Vol. 4, 第2号, 1975年.
- ^ Margaret L. Sutherland, “Circulation Restriction as Institutional Memory,” Journal of Archive Studies, Vol. 18, No. 3, pp. 211-238, 1994.
- ^ 田中房枝『禁帯出棚の心理学』書肆青灯, 1999年.
- ^ Edward J. Hollis, “The Blue Band Protocol in Public Collections,” Library Administration Review, Vol. 12, No. 1, pp. 44-59, 2001.
- ^ 島田正明『閲覧者はなぜ走るのか』中央文献社, 2007年.
- ^ K. Watanabe and L. Moore, “Humidity, Anxiety, and Restricted Holdings,” Tokyo Papers on Preservation, Vol. 6, No. 2, pp. 77-96, 2013.
- ^ 高瀬里奈『禁帯出管理室の夜間運用』行政資料叢書, 2018年.
- ^ Alicia N. Berg, “The Reader Who Could Not Leave: Notes on Managed Access,” International Journal of Librarial Behavior, Vol. 9, No. 4, pp. 301-319, 2020.
- ^ 『資料の影を動かす技法――禁帯出管理室の現場から』文書館月報, 第31巻第7号, 2022年.
- ^ 松浦克彦『なぜ鉛筆はHB以下なのか』保存行政評論社, 2024年.
外部リンク
- 日本禁帯出管理学会
- 霞が関資料保存フォーラム
- 公共図書館禁帯出運用事例集
- 文書館実務通信
- 東京保全アーカイブセンター