埼玉市営地下鉄
| 名称 | 埼玉市営地下鉄 |
|---|---|
| 運営者 | 埼玉市交通局地下鉄部 |
| 路線数 | 2路線(計画1・実験線1) |
| 開業 | 1968年(試運転開始) |
| 廃止 | 1979年(財政再編による) |
| 総延長 | 18.4 km |
| 駅数 | 14駅 |
| 軌間 | 1,067 mm |
| 車両 | 200形・300形通勤電車 |
埼玉市営地下鉄(さいたましえいちかてつ)は、内の旧・・を結ぶために計画されたの地下鉄網である。特にの通勤緩和策として構想されたが、のちに駅前の地下水脈と干渉したため、路線の一部が「半地下式」に変更されたとされる[1]。
概要[編集]
埼玉市営地下鉄は、南東部の通勤輸送を担うため、が建設したとされる都市鉄道である。計画上はからまでを短絡し、途中での区画整理地帯を貫くことで、県庁移転後の行政需要にも対応する構想であった[2]。
もっとも、実際の建設は当初から難航しており、地盤の粘土質が「スコップの刃を鈍らせる」として現場監督が工法を変更させた逸話が残る。また、の前庭で試掘した際、地下6.3mから古い式の木樋が見つかり、これを避けるため駅位置が2度ずらされたという[3]。
歴史[編集]
計画の始動[編集]
起源はにで開かれた「都市内輸送改善懇談会」に求められる。同会議では、の混雑を回避するため、県都を一周する環状地下線と、方面へ伸びる支線の2案が検討された。最終的に、当時の交通課長であったが「地下に置けば冬でも霜がつかぬ」と発言したことから、地下鉄案が急進したとされる[4]。
試運転と開業[編集]
、まずが0.9kmの単線で試運転を開始した。初日は保線用トロッコに木製の客車を連結しただけの簡素なものであったが、沿線住民が「見学乗車」と誤認して1日で4,200人が乗車した記録がある。これを受けてに正式開業し、駅では開業当日のホーム上で味噌汁が配られたという[5]。
拡張と終焉[編集]
には方面への延伸が行われたが、工事中に地下水が大量流入し、駅構内の一部が季節限定で「水張り展示区画」となった。この区画はのちに子ども向けの見学会に転用され、は「県都の水族館的地下空間」と評した[6]。
しかし、乗客数は想定の3分の2にとどまり、さらにの財政再編で燃料費と除湿費が同時に膨らんだ結果、に営業休止へ追い込まれた。なお、最終列車は定刻より11分遅れたが、これは車掌が記念スタンプの押印に時間を要したためである。
路線[編集]
本線(旧大宮線)[編集]
本線は・・・を結ぶ幹線で、全長11.2kmとされる。朝夕の混雑緩和を目的にで運行されたが、ホーム有効長がやや足りず、2両目の扉だけが毎回「気合で開けられていた」との証言がある。
環状実験線[編集]
環状実験線は、周辺の区画整理と連動して建設された1周6.1kmの試験路線である。実験線と呼ばれるのは、信号方式の検証だけでなく、沿線商店街が独自に「停車時間中の惣菜販売」を試したためで、朝の時間帯には駅ごとに揚げ物の匂いが異なったという[7]。
車両[編集]
初代車両はで、外板を灰青色に塗装し、窓下に埼玉県章を模した帯が入っていた。冷房が未設置であったため、夏場は車内に簡易送風機が吊り下げられ、これが回転する音を「地下鉄らしい機械音」として好意的に受け止める利用者もいた。
以降はが導入され、片側3扉・固定クロスシートを備えた「通勤と観光の折衷型」として設計された。もっとも、座席の木目が沿線の並木と似ていたことから、年配利用者が「林の中を走るようだ」と評した一方、学生からは「座ると立ち上がりにくい」と不評であった。
社会的影響[編集]
埼玉市営地下鉄の存在は、県南部の都市計画に少なからぬ影響を与えたとされる。とりわけ駅前広場の整備が進み、周辺では雨天時に傘をさしたまま待てるよう、バス停の屋根が地下鉄開業後に一斉に延長されたという[8]。
また、沿線の不動産広告には「地下鉄徒歩3分」が多用され、実際には地表を横切る歩行者デッキを3回折り返して到達する物件までこの表現に含まれた。なお、は1970年代後半、地下鉄沿線限定で「防音畳付き住宅」を販売し、録音された走行音を子守歌代わりに利用する家庭があったとされる。
批判と論争[編集]
一方で、埼玉市営地下鉄には「地下に降りるまでが長すぎる」という批判が開業当初から存在した。特に駅では、改札階からホーム階までエスカレーターを2回乗り継ぐ必要があり、途中に設けられた踊り場が事実上の休憩所として定着していた。
また、の監査報告書では、駅名標の製作費がホーム床タイルより高額であったことが問題視された。これに対し交通局は「地下鉄とは記憶に残る案内表示である」と説明したが、答弁の直後に委員会室の照明が落ち、議事が一時中断したという記録がある[9]。
文化的影響[編集]
沿線では地下鉄を題材にした小噺や校歌風の替え歌が流行し、には『地下で会いましょう』と題するローカル歌謡がラジオで数度流れた。歌詞の一節「終電より先に風が来る」は、換気設備の強さを表したものとして有名である。
また、の模型店主・が作成した1/150スケールの埼玉市営地下鉄ジオラマは、ホームの端に小さな稲荷神社を置いたことで注目を集めた。これは工事中に掘り出された祠を模したものであり、のちに「安全祈願の地下鉄模型」として県内の文化祭で定番となった。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 藤原信吉『埼玉市地下輸送史序説』埼玉市交通局出版部, 1978.
- ^ 田村久美子「県都圏における地下鉄導入の地盤条件」『都市土木研究』Vol.12, No.4, pp. 201-219, 1966.
- ^ S. Kato, “A Study on Municipal Subway Ventilation in Saitama,” Journal of Japanese Urban Transit, Vol. 8, No. 2, pp. 44-63, 1972.
- ^ 埼玉新聞交通部編『地下に伸びた県都』埼玉新聞社, 1979.
- ^ 三枝悦子「与野区画整理と実験線の相互作用」『地方鉄道年報』第15巻第1号, pp. 88-101, 1975.
- ^ M. Thornton, “Municipal Subways and Seasonal Water Tables,” Transportation Quarterly Review, Vol. 19, No. 1, pp. 7-29, 1971.
- ^ 小暮正義『模型で読む埼玉市営地下鉄』北関東模型文化協会, 1984.
- ^ 埼玉県都市整備局『県都輸送網再編計画報告書』第3巻, 1976.
- ^ 高瀬一郎「駅名標予算の異常膨張について」『会計監査月報』第41巻第6号, pp. 56-71, 1974.
- ^ N. Verner, “Half-Underground Systems in Postwar Japan,” Urban Infrastructure Studies, Vol. 5, No. 3, pp. 112-130, 1980.
外部リンク
- 埼玉市交通史アーカイブ
- 県都地下輸送研究会
- 与野模型鉄道資料館
- 埼玉市営地下鉄保存会