大分県立大在高校
| 名称 | 大分県立大在高校 |
|---|---|
| 種類 | 県立の高等学校本棟兼教育博物館 |
| 所在地 | 大在台一丁目 |
| 設立 | 41年(1966年) |
| 高さ | 43.7メートル |
| 構造 | 鉄筋コンクリート造(免震基礎付) |
| 設計者 | 大在教育施設設計組合(代表:渡辺精一郎) |
大分県立大在高校(おおいたけんりつ おおざいこうこう、英: Oita Prefectural Oozai High School)は、にある[1]。
概要[編集]
現在ではの海霧と学問風土を象徴する校舎群として知られているである。施設は単なる教育機関としてだけでなく、校内に「教育の記憶」を展示する校舎博物館を併設する設計思想に由来するとされる。
設立当初から「学ぶ身体を設計する」という理念のもと、渡り廊下の勾配や採光率を数値化して決める方針が採用された。とくに南側回廊は平均日照を1時間ごとに測定し、結果として全棟の採光係数が0.62にそろえられたと記録されている[2]。
名称[編集]
名称の「大在」は「大いに在る」という精神論からではなく、明治期に埋め立て計画が進む予定地を示す仮測量コード「大在台(おおざいだい)」に由来するとされる。のちに土地測量が実施され、コードが地名として定着したことで学校名にも採用されたという説がある[3]。
ただし、別の地域史料では「大在台」はもともと停泊施設の方角を指す航海用語であったとも説明されており、名称の由来は一本化されていない。もっとも、学校側は「在るを学ぶ」という校訓と絡めて説明することが多いとされる。
英語名は校名の直訳として整理され、対外文書では Oozai High School への略称が早期から用いられた。なお、海外の教育関係者からは「Oozai は “looming presence” のように響く」とのコメントが記録されている[4]。
沿革/歴史[編集]
計画と起工(“海霧耐性”の発想)[編集]
30年代、沿岸部における通学路の視程悪化が問題視され、当局は校舎の外壁形状を見直す検討を開始した。そこで提案されたのが、霧粒を散らすための「二重ひれ板」構造であり、設計者側は当初、外壁の凹凸を7,312点に刻む案を提出したとされる[5]。
のちにコスト試算が行われ、凹凸数は最終的に3,981点へ圧縮された。校史編纂室のメモには「削ったのに“削った証拠”は残す」という方針が書き残されており、各区画の型枠痕を意図的に展示する工夫がなされたと伝えられている[6]。
“学びの博物館”としての拡張[編集]
現在では校内展示が注目されるが、当初から併設が決まっていたわけではない。校長の渡辺(第3代校長・架空人物)は「卒業後も校舎を見られる仕掛けが必要」として、3階に『教育の記憶室』を確保したとされる。
記憶室の展示テーマは、国語・数学・理科・保健体育の4分野に加え、校内で実施された“測定し学ぶ”プロジェクトを含む構成であった。特に「採光係数の再現ベンチ」は来館者の興味を集め、設計図には照度を300〜540ルクスの範囲で再現する目標が記されている[7]。
災害対応と改修(免震の物語)[編集]
期に入ってから、地盤の液状化リスク評価が更新され、免震基礎の追加補強が実施された。補強は“静かな揺れ”を作るための工学装置であり、追加されたダンパーは合計128基と記録されている[8]。
ただし、この数は工事台帳と検査報告書でわずかに食い違う。校舎の担当技術者は「数え方が違うだけ」と説明したとされるが、記憶室の展示札には“127基”と書かれている。細部の矛盾もまた、地域の語り継ぎになっていると指摘されている[9]。
施設[編集]
は現在、43.7メートルの主塔と、周囲を取り巻く三層の回廊で構成されている。主塔の高さは公式記録に基づく数値であり、設計段階では「40メートル台に収めるが、学習心理としては“あと少し”を残す」ことが理由とされた[10]。
構造は鉄筋コンクリート造で、免震基礎が組み込まれている。設計上の特徴として、渡り廊下が一直線ではなく、0.8度ずつ緩やかに折れ曲がるよう配置されている。これは雨の日に見通しを確保しつつ、歩行時の速度を自然に落とすための幾何学的工夫と説明されている[11]。
教育博物館としては「測定展示」と「作文展示」が柱であり、前者は過去の校内測定データをそのまま貼り替える方式を採用する。後者は、かつての生徒作文をテーマ別に再編集して壁面パネルに保存するもので、年ごとに版面の余白が微調整されているとされる[12]。
交通アクセス[編集]
の架空市中心部からは路線バスと徒歩で到達できるとされる。最寄りの停留所は「大在台中央」で、主要幹線道路の信号間隔が平均92秒であることから、運行時刻表には平均乗車時間14分(平日)と記載されている[13]。
また、校舎正門からは学園坂を上る必要があり、坂の勾配は約6.3%と計測されている。学校はこれを“自学自習の身体化”として扱い、始業前のウォームアップを毎日同じ秒数で実施する指導を行ってきたと説明される。
なお、観光目的の来館者向けには「採光見学ルート」が案内される。これは太陽高度に応じて回廊の撮影位置が変わるという主張に基づくが、実際には気象条件で前後するため、案内パンフレットには「目安:前後15分」との注記が付されている[14]。
文化財[編集]
は、校舎そのものが文化財的価値を持つものとして扱われ、登録・指定の対象になっている。具体的には「大在台回廊型採光体系」と呼ばれる設計思想が、地域の建築文化として登録されているとされる[15]。
さらに、教育博物館に収蔵される“型枠痕パネル”が、現地説明で重要視されている。型枠痕は海霧耐性の凹凸設計に由来し、3,981点の名残として展示されていると説明される。なお、観覧者はパネルの前で定規を当てることが許可されており、寸法の推測が課題として与えられる場合がある[16]。
一方で、文化財指定の範囲については解釈に揺れがある。壁面仕上げの一部が改修時に更新されたため、「当初の物質性をどこまで認めるか」が議論になったと記録されているが、学校は“再現性こそ保存”という立場を取っている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 大在教育施設設計組合『大在台校舎群設計報告書(第1編)』大在工務出版, 【1967年】.
- ^ 渡辺精一郎「霧粒散乱を目的とした二重ひれ板外壁の試算」『建築技術年報』第12巻第3号, pp. 41-58, 1968.
- ^ 大分県教育局『県立校舎改善の社会史(試論)』大分県教育局刊行部, 【1972年】.
- ^ Margaret A. Thornton「On Quantified Daylight in Secondary School Architecture」『Journal of Educational Environments』Vol. 9 No. 2, pp. 77-96, 1974.
- ^ 大在台土地測量事務所『測量コード“大在”の体系整理』大在測量研究所, 【1981年】.
- ^ 高橋理恵「回廊の折れ角と歩行速度の関係(フィールドノート)」『都市行動工学通信』第6巻第1号, pp. 12-19, 1990.
- ^ 『免震基礎追加補強工事台帳(大在高校分)』大在市建設部, 【平成】12年(2000年).
- ^ S. K. Rahman「Students’ Perception of Safety Through Architectural Geometry」『International Review of School Planning』Vol. 18 No. 4, pp. 201-219, 2003.
- ^ 大分県文化財保護協会『登録文化財の解釈基準(現物と再現)』大分文化書房, 【2009年】.
- ^ 大在高校校史編纂室『校史 1966-2016(増補版)』大在学園, 【2017年】.
外部リンク
- 大在高校 教育博物館公式案内
- 大在台回廊採光データベース
- 大分県建築遺産 風の回廊
- 免震基礎(教育施設仕様)アーカイブ
- 海霧耐性外壁 研究サマリー