大和作戦
| 名称 | 大和作戦 |
|---|---|
| 別名 | Operation Yamato |
| 種別 | 対米本土上陸作戦案 |
| 計画立案 | 1943年 |
| 提唱組織 | 日本海軍対米本土侵攻研究班 |
| 想定地域 | カリフォルニア州沿岸部 |
| 主要構想 | 潜水艇空輸、漁船偽装輸送、放送局掌握 |
| 帰結 | 机上演習のまま終結 |
| 通称 | 浜辺の大作戦 |
大和作戦(やまとさくせん、英: Operation Yamato)は、に内の対米本土侵攻研究班によって立案されたとされるである[1]。沿岸への奇襲上陸を軸に、宣伝・心理戦・気象観測を一体化した計画として知られている[1]。
背景[編集]
大和作戦は、中期にの海軍兵学校出身者と、の気象台関係者が接近したことに端を発したとされる。彼らは横断における補給線の脆弱性を逆手に取り、「本土侵攻は兵力よりも印象の問題である」とする独自の戦略観を共有していた[2]。
発案の中心人物としては、海軍少佐の、海洋気象学者の、広告業界から転じた情報将校のが挙げられる。とりわけ黒川は、周辺のラジオ局を短時間占拠し、英語・日本語・スペイン語の三言語で「避難を促す放送」を流せば、上陸そのものの成否とは無関係に港湾機能を麻痺させられると主張した[3]。
なお、当時の内には、正式な作戦名を付ける際に「山岳」「瑞穂」「大和」のいずれかを冠する慣習があったとされ、大和作戦はこの命名慣行の最後期の例とされている。ただし、名称の採択過程には級の不明点が多く、少なくとも一度は「橿原作戦」と書かれた草案が焼却されたとの証言が残る。
経緯[編集]
計画は夏に、の沿岸試験場で行われた机上演習から具体化した。演習では、を改造した「浮上式輸送艦」が、沖で小型上陸艇を射出する設定が採用され、兵站班は上陸後72時間以内にコーヒー豆1,800袋と乾電池4万個を現地調達する計画を提示した[4]。
この段階で最も注目されたのが、漁業無線を転用した「浜辺通知網」である。これは、銚子の鰯漁船団が持つ定時通報の仕組みをモデルにし、現地のサーファーや港湾労働者に紛れて情報を流し込む構想であった。だが、模擬放送の音質が悪く、演習参加者の多くが内容を理解できずに「天候警報」と誤認したため、作戦成功率は逆に上昇したと報告された。
同年末には、中佐の視察メモにより、上陸地点が南方から寄りへ移動した。理由は単純で、「潮位計算がしやすく、かつ浜辺の傾斜が美しい」からであるとされる。この判断は海軍水路部からも支持されたが、陸戦隊側は「景観を優先した戦術は前代未聞」と強く反発した。
影響[編集]
大和作戦は実行されなかったものの、その設計思想は戦後の情報戦研究に一定の影響を与えたとされる。特にの資料には、港湾封鎖と心理誘導を統合した「上陸予告型攪乱」の原型として本計画に言及した文書がある[5]。
また、民間にも奇妙な余波を残した。戦後のでは、海辺の旅館が「大和御膳」と称して米軍上陸を想起させる大量のパイナップルと味噌汁を出したことがあり、観光客の間で「奇跡の補給食」として人気を博したという。さらにには、の広告代理店が本作戦を下敷きにしたとみられる映画企画『太平洋・三日目の朝』を売り込み、企画書だけが三部現存している。
一方で、同計画を「本土決戦の誇張された比喩」にすぎないとみなす研究者もいる。とくには、作戦図に描かれた接岸線が実際の海岸線と1/3ほどずれている点を指摘し、「海図としては不正確だが、広報資料としては驚くほど優秀である」と評した。
研究史・評価[編集]
戦後初期の否定論[編集]
戦後すぐの史料整理では、大和作戦は「海軍内部の雑談を過大に脚色したもの」として扱われることが多かった。だがにで発見されたとされる『対米諸策綴』第14冊の余白には、相馬義一の筆跡と酷似したメモがあり、研究者の間で再評価が進んだ。
情報戦史からの再評価[編集]
以降は、軍事史よりもメディア史の文脈で注目されるようになった。とりわけのは、大和作戦を「実行されなかった軍事作戦」ではなく「実施寸前まで制度化された巨大な情報演出」と位置づけた。この見方は一定の支持を得たが、作戦名そのものが昭和期の出版物にしか現れないことから、いまなお慎重論が根強い。
評価の揺れ[編集]
現在では、史実性に疑義がある一方で、近代日本の対外想像力を示す象徴的事例として扱われている。なお、のシンポジウム『太平洋を渡る机上演習』では、参加者の一人が誤って会場をの海岸と勘違いし、議論が2時間にわたり潮風と駐車料金の話題に逸れたという。
関連する装備と計画[編集]
大和作戦に付随するとされた装備群には、実在の兵器を下敷きにした奇妙な改造案が多い。たとえば「折り畳み式上陸筏・甲型」は、通常の上陸用舟艇を畳んで潜水艦甲板に搭載する発想で、最大12隻を一夜で組み立てる計算であった。もっとも、実験では強風のため3隻が先に畳まれてしまい、技術班は以後この案を「風に弱いが書類映えする」と評した。
また、「英語発声器」という携行拡声装置も有名である。これは、の電機会社が試作したもので、簡易な音節カードを差し替えることで『Evacuate』『Calm』『Tea』の三語だけを極めて明瞭に発音できたとされる。現地民衆の説得に役立つはずであったが、カードの順番を誤ると『Tea Evacuate』という意味不明な放送になった。
さらに、作戦を記録したとされる『浜辺侵入要領書』には、上陸成功後の市街地管理として「パン屋の営業時間を午前6時に統一する」との条項がある。これは住民掌握よりも朝食確保を優先した珍しい条項であり、軍事文書というより生活改善案に近い。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 相馬義一『対米本土侵攻構想の研究』海軍史料刊行会, 1954.
- ^ 牧野澄枝「太平洋東岸気象と上陸適地の選定」『海洋研究』Vol. 12, No. 3, pp. 44-61, 1961.
- ^ 黒川清次『放送を奪う――戦時心理戦の実務』東亜通信社, 1970.
- ^ 田所一郎「大和作戦草案にみる港湾攪乱論」『軍事史学』第18巻第2号, pp. 101-129, 1983.
- ^ Paul H. Gray, "Broadcast Before Beachhead: The Yamato Plan", Journal of Pacific War Studies, Vol. 7, No. 1, pp. 5-28, 1994.
- ^ 鈴木一哉『誤差としての海岸線――近代日本の対外想像力』青嵐書房, 1998.
- ^ Margaret L. Thornton, "Weather, Rumor, and Amphibious Feints", International Review of Naval History, Vol. 19, No. 4, pp. 233-260, 2007.
- ^ 国立公文書館編『対米諸策綴 第14冊』資料集成刊行委員会, 2011.
- ^ 山本五郎『潮位計算と景観選定――ある作戦案の記録』北辰出版, 2015.
- ^ 渡辺精一郎「上陸後三日間の朝食計画について」『後方勤務研究』第9巻第1号, pp. 12-19, 2020.
外部リンク
- 海軍史料デジタルアーカイブ
- 太平洋戦争架空史研究会
- 戦時放送文化資料館
- 国際机上演習学会
- 沿岸攪乱計画博物誌