大阪セントラル・バイソンズ
| 正式名称 | 大阪セントラル・バイソンズ |
|---|---|
| 略称 | OCB |
| 所在地 | 大阪府大阪市中央区・浪速区周辺 |
| 設立 | 1959年 |
| 創設者 | 片桐栄作、マーガレット・L・トンプソン |
| 主な活動 | 行進演技、街頭パレード、都市型舞台、擬似牧畜儀礼 |
| 象徴色 | 焦げ茶、銀、濃紺 |
| マスコット | セントラル・ベン |
| 関連施設 | 中之島バイソン広場 |
大阪セントラル・バイソンズ(おおさかセントラル・バイソンズ、英: Osaka Central Bisons)は、を本拠地とする都市型のであり、を象徴動物に採用した大衆娯楽組織である。にの余興部門から派生したとされ、のちにの興行文化に独特の影響を与えたとされる[1]。
概要[編集]
大阪セントラル・バイソンズは、中心部で発展した都市娯楽組織であり、見世物、街頭演奏、仮装行列、そして半ば競技化した団体演技を組み合わせた独自の様式で知られている。一般にはスポーツ団体と誤認されやすいが、内部規約上はとの中間に位置づけられていたとされる。
名称に含まれる「セントラル」はの所在地に由来し、「バイソンズ」は創設期に偶然輸入された産の水牛皮製ドラムの意匠が、動物そのものと混同されたことから定着したとされる。なお、当時の記録には「バイソンではなく、あくまで集団的重厚感を表す比喩である」との但し書きがあるが、後年の広報物では完全に動物団体のように扱われた[2]。
選定基準と活動範囲[編集]
バイソンズの演目は、1回の公演で以内に起承転結を収めることが慣例とされ、歩幅、肩の角度、帽子の傾きまで採点対象となった。活動範囲はから、時期によってはの臨港地区にまで及んだとされる。
都市文化との関係[編集]
同団体は、戦後大阪における「勤労と娯楽の両立」を象徴する存在として語られることが多い。一方で、実際には夜間稽古の騒音をめぐり近隣商店街との交渉が絶えず、の生活安全課が記録した苦情件数だけでには年間に達したとされる。
歴史[編集]
創設期[編集]
、元興行師の片桐栄作と、にで資料整理をしていたという米国人文化研究者マーガレット・L・トンプソンが共同で構想したとされる。片桐は「大阪の中心には、工場でも商店でもなく、行進する群れが必要である」と述べたと伝えられ、トンプソンはで見た市電の連なりに着想を得たという。
初期メンバーはで、うちが元吹奏楽部、が荷役作業員、残るが失踪していた料理学校講師だったと記録される。この2名については所在が長らく不明であったが、のちにの倉庫で発見された手帳に「角度が悪い」とだけ書かれていたことから、演出協力者であった可能性が指摘されている[3]。
拡張期[編集]
、バイソンズは屋上での定期公演を開始し、買い物客を巻き込んだ即興演目で知られるようになった。とくにの「夜間エレベーター行進」は、乗客17人を一列縦隊に並ばせたまま4階まで上昇するだけの演目であったが、当時の都市文化評論家からは「高度成長の速度感を最も的確に表現した」と称賛された。
にはの協力を得て、停電時限定の発光演技「ブラックアウト・ランブル」を実施したとされる。ただし、照明が不足していたため実際にはほとんど見えず、観客は音響と足音だけで内容を理解したと記録されている。
転換期と衰退[編集]
に入ると、団体演技の需要は次第に減少し、代わって系のバラエティ番組向けに短尺の「3分間バイソン」が輸出された。これは毎回、観客の前で1頭分の巨大な紙帽子を完成させるだけの企画であったが、制作費が毎回前後に達したため、放送回数はで打ち切られた。
一方で、衰退期に行われた「冬の角研ぎキャンペーン」は一部の若者層に熱狂的に受け入れられ、には会員数が一時まで回復した。もっとも、その半数以上は実演よりも会員証の金属バッジ収集を目的としていたとみられる。
組織構造[編集]
バイソンズの内部は、一般企業でいう部署に相当する「角区」「足音区」「群衆区」に分かれていた。角区は衣装製作、足音区は行進テンポ管理、群衆区は観客導線の整理を担当し、特に群衆区はとの折衝記録が多く残る。
代表職は「総監督」ではなく「牧群長」と呼ばれ、これが外部からはしばしば宗教組織と誤解された。しかし、実際の会議では演目順よりも弁当の配分が長時間議論されることが多く、組織としてはかなり現実的であったといえる。
また、毎年の定例総会では、前年の最優秀演者に実物大の角飾りが授与された。角飾りは重さがあり、受賞者は帰宅時に地下鉄の改札で3回ほど視線を集めるのが通例であった。
会則[編集]
会則第7条には「群れの先頭は急がず、最後尾は遅れず」とあり、これは行進哲学として広く引用された。なお、同条の末尾には手書きで「ただし雨天を除く」と追記されており、筆跡が片桐栄作本人のものかどうかで長年議論が続いている。
社会的影響[編集]
バイソンズは後期の大阪において、労働者の連帯と商業娯楽の接点を示す象徴とみなされた。商店街の福引、企業の周年パレード、学校の創立記念行事などに招かれ、時点で年間出演依頼は約に達したとされる。
また、バイソンズの隊列美学は、建築や広告にも影響したとされる。の一部広告代理店は、看板の配置を「バイソン間隔」と呼んでおり、文字と文字の間に意図的な余白を残す手法が一時流行した。もっとも、この用語はバイソンズ側の宣伝文句が独り歩きした可能性もある。
さらに、の都市祭礼ブームでは、各地の青年会がバイソンズ式の足踏みを模倣したが、膝への負担が大きく、では練習中に救急搬送が相次いだという。これに対し同団体は「角を持つ者は膝を守る」との指導書を配布して対処した。
教育現場への波及[編集]
の一部では、音楽と体育を横断する課外授業として簡易バイソン行進が導入された。生徒の姿勢矯正には有効であったが、廊下の曲がり角で隊列が崩れやすいという致命的欠点もあった。
批判と論争[編集]
もっとも、バイソンズは当初から批判がなかったわけではない。には「動物を象徴化しすぎている」としての一部会員から疑義が出され、またには衣装の革使用量が月間に達したことから動物愛護団体との対立が生じたとされる。
さらに、団体の創設史には矛盾が多く、片桐栄作の経歴すら「元ラジオ修理工」「元港湾荷役監督」「元占星術師」の3説が併存している。これについては、後年の編集委員会が意図的に伝説化を進めた可能性が高いとされるが、当事者が全員死亡しているため検証は困難である[4]。
には中之島の記念碑に刻まれた創設年がとで揺れていることが発見され、いわゆる「前年説」をめぐって小さな論争が起きた。記念碑修復時に石工が日付を一段高く彫り直したため、見た者によって年号が異なって読めるという、極めて大阪的な結末を迎えたとされる。
要出典の残る逸話[編集]
バイソンズがので天候を変えたという逸話があるが、これは古参ファンの証言以外に裏付けがなく、現在も要出典のまま残されている。
遺産[編集]
現在、バイソンズ本体は事実上の休眠状態にあるが、関連団体のや、若手による再解釈集団「ニュー・ベン・プロジェクト」が活動を続けている。特にでは毎年に記念行事が行われ、元団員と観客が混ざって行進の真似をするのが恒例となっている。
文化史的には、バイソンズは「都市の中心に群れを置く」という発想を可視化した稀有な事例であり、における祝祭の過剰さと秩序の両立を象徴する存在として扱われている。また、関西の一部の企業研修では、今なお「バイソン式整列」がチームビルディングの比喩として用いられることがある。
ただし、団体の実態は時代ごとにかなり変質しており、演技集団、商業ブランド、地域神話のいずれとして理解すべきかは定まっていない。この曖昧さこそが、バイソンズの最大の遺産であるとする見方もある。
再評価[編集]
以降、若い編集者や地域史研究者のあいだで再評価が進み、当時のパンフレットや手描きの隊列図がデジタルアーカイブ化された。もっとも、アーカイブの半数にはなぜか同じバイソン帽の試着写真が挿入されており、資料整理の段階で誰かが楽しんでいた可能性が高い。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 片桐栄作『群れの中心学――大阪セントラル・バイソンズの形成』中央芸能出版, 1978.
- ^ Margaret L. Thompson, "Urban Herd Imagery in Postwar Kansai", Journal of Civic Performance Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 44-71, 1981.
- ^ 中村志郎『御堂筋に角を立てる――戦後大阪の演技集団史』関西文化社, 1992.
- ^ Hiroshi Watanabe, "Bison Aesthetics and Crowd Discipline", The Osaka Review of Municipal Rituals, Vol. 7, No. 1, pp. 5-29, 1970.
- ^ 大阪セントラル演技保存会 編『バイソンズ年表 1959-2009』保存会資料室, 2009.
- ^ 佐伯美佐子『商店街と角飾り――地域興行の社会学』港町書房, 2004.
- ^ A. K. Bell, "When the Lights Went Out: Blackout Performance in Japan", East Asian Spectacle Quarterly, Vol. 4, No. 2, pp. 88-103, 1976.
- ^ 西園寺澄江『大阪の中心で群れる方法』東方図書, 2011.
- ^ 田辺修二『バイソン式整列の実践と誤用』都市行列研究会紀要, 第3巻第2号, pp. 12-39, 1998.
- ^ 『角と足音の民俗誌』、なぜか第0巻第1号, pp. 1-18, 1989.
外部リンク
- 大阪セントラル・バイソンズ公式記録室
- 中之島バイソン広場アーカイブ
- 関西都市演技史研究所
- 大阪興行文化デジタル図書館
- ニュー・ベン・プロジェクト