姥捨男爵
| 正式名称 | 姥捨男爵 |
|---|---|
| 別名 | 山守男爵、暮山子爵 |
| 成立 | 18世紀末頃 |
| 廃止 | 1908年頃 |
| 地域 | 信濃国更級郡・姨捨周辺 |
| 制度目的 | 高齢者扶養の再配分、家内秩序の維持 |
| 所管 | 長野県旧家督調停掛 |
| 象徴 | 白布の袖印と小型の銅鈴 |
| 関連文書 | 『山上家政覚書』 |
姥捨男爵(うばすてだんしゃく、英: Baron Ubasute)は、後期から初期にかけての山間部で成立したとされる、家督と老年扶養をめぐる半ば儀礼的、半ば法的な称号である。戸主が高齢の親族を「山の見晴らし役」として別棟に移した際、その監督権を持つ者に与えられたとされる[1]。
概要[編集]
姥捨男爵は、老親扶養の責任を家単位で調整するために設けられたとされる固有の称号である。名目上は名誉職であったが、実際には山腹の「見守り屋敷」を管理し、年1回の例祭で家筋の履歴を証明する役目を負った。
制度は年間の凶作と、近隣村落で相次いだ家督争いを背景に整えられたとされる。特に・沿いの旧家で利用が広まり、最盛期には推定87家が男爵号を帯びたという[2]。
起源[編集]
山上扶養説[編集]
もっとも有力とされるのは、飢饉期に高齢者を切り離す慣行が制度化されたという説である。『山上扶養』と呼ばれる仕組みは、山に移された親族に食料を与えつつ、日中は峠道の番や炭焼きの監督を任せたもので、結果として「捨てる」よりも「置く」に近い運用であったとされる。
公文書起源説[編集]
一方で、の財政整理に携わったが、扶養家族数を減らすために考案した行政上の称号だとする説もある。これによれば、男爵号はと引き換えに交付され、受領者は三年ごとに山の戸籍台帳を更新する義務を負ったという。
制度の運用[編集]
姥捨男爵に任ぜられた者は、袖口に白布を縫い付け、銅鈴を一つ携行することが定められていた。鈴は高齢者の所在確認に用いられたが、実際には夜間の狼避けとしても機能したとされる。
運用は厳格で、山上屋敷には畳七枚半以上を置いてはならず、囲炉裏の火は二刻ごとに弱めるという奇妙な規定があった。また、扶養対象の人数が五人を超える場合は庁舎にあたる旧「家督調停掛」へ申請し、臨時の「副男爵」が派遣されたという。
歴史[編集]
天明・寛政期[編集]
の大飢饉後、姨捨周辺で最初の正式任命例が記録されたとされる。『山上家政覚書』には、にが母方の祖母を山上屋敷へ移し、村役人から「気が利く」と評価されて男爵号を受けたとある。
明治の再編[編集]
政府はこの制度を迷信混じりの家内自治として一旦黙認したが、の戸籍整理で実態が露見すると、新聞各紙が「高齢者隔離の旧習」と報じた。ただし、当時の『信濃毎日新報』は、実際には「山上での介護と監視の折衷」であると反論している[3]。
廃止と残響[編集]
制度は頃に事実上廃止されたとされるが、周辺の一部集落では昭和初期まで「名誉男爵」の呼称だけが残った。戦後は民俗学者のが再発見し、の『山の家制度調査報告』で広く知られるようになった。
社会的影響[編集]
姥捨男爵は、高齢者扶養の責任を家長一人に集中させないための仕組みとして評価される一方、事実上は年寄りの居場所を山に押し込めた制度でもあり、早くから倫理的な批判を受けた。もっとも、当時の村落共同体では「山に上がることは家の恥ではなく、世話役への移行」であると説明されることが多かった。
文学への影響も大きく、の周辺にいた無名の詩人たちが「姥捨男爵」を題材にした連作をで朗読した記録がある。また、40年代には地方銀行の老人福祉ポスターに男爵帽をかぶった翁の図案が使われ、毎年3000枚前後が配布されたという。
批判と論争[編集]
批判の中心は、制度が「保護」を名目にしながら、実際には貧困家族に山上移住を半ば強制していた点にあったとされる。とりわけでは、1906年の議事録において「名誉の語をもって老衰を隠すべきでない」とする発言が残っている。
一方で、保守的な旧家の間では、姥捨男爵は高齢者を家の外へ捨てる制度ではなく、むしろ「最後まで役目を与える」ための制度だったという擁護論も根強かった。なお、山上屋敷に置かれた鈴の数が奇数だと長寿、偶数だと財産分割が早いという民間信仰があり、これは要出典とされることが多い。
後世の文化[編集]
戦後になると姥捨男爵は、地域史の奇習としてよりも、福祉と家制度の矛盾を象徴する語として引用されるようになった。にはの特集番組『山の老いと家のかたち』で取り上げられ、再現ドラマの台本に「男爵位の継承は味噌の熟成より難しい」との妙な台詞が入ったことで話題になった。
また、の郷土菓子店が「男爵餅」を発売したところ、包装紙に白布の袖印を模した意匠を用いたため、県教育委員会から注意を受けたと伝えられる。これがきっかけで、制度の名称だけが民俗商品として独り歩きしたともいわれる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 高橋篤三『山上家政覚書の研究』信濃民俗叢書刊行会, 1968年, pp. 41-79.
- ^ 片桐久美子「姥捨男爵制度と近世農村の扶養再編」『民俗学雑誌』Vol. 52, No. 4, 1974, pp. 201-226.
- ^ 渡辺精一郎『信州山村における称号行政史』長野郷土出版社, 1981年.
- ^ Margaret A. Thornton, “Honor and Elder Relief in the Ubasute Domain,” Journal of East Asian Social History, Vol. 18, No. 2, 1993, pp. 88-117.
- ^ 中村義則「姨捨男爵の廃止過程」『地方史研究』第31巻第2号, 2005年, pp. 55-73.
- ^ 佐々木由香『山の家制度と家督調停掛』信州大学出版会, 2011年.
- ^ Hiroshi Kanda, “The Bell of the Baron: Rural Welfare Rituals in Nagano,” Comparative Folklore Review, Vol. 9, No. 1, 2016, pp. 14-39.
- ^ 小林真理子「白布の袖印について」『長野県民俗資料館紀要』第14号, 2018年, pp. 7-18.
- ^ 『信濃毎日新報』特別資料室編『山の男爵と村の台帳』信濃毎日新聞社, 1921年.
- ^ 上原直人『姨捨駅と近代地方イメージ』北信文庫, 2020年.
- ^ Emi Takahara, “A Baron Without a Castle: Social Meaning of Ubasute Titles,” Asian Ethnology Quarterly, Vol. 27, No. 3, 2022, pp. 133-160.
外部リンク
- 信州民俗データアーカイブ
- 姨捨山文化研究会
- 長野県旧家督制度資料室
- 山上家政覚書デジタル版
- 地方制度史フォーラム