姫路市立大学
| 正式名称 | 姫路市立大学 |
|---|---|
| 英語名称 | Himeji Municipal University |
| 略称 | 姫市大 |
| 設置年 | 1949年 |
| 所在地 | 兵庫県姫路市白鷺町 |
| 大学種別 | 公立 |
| 学部数 | 6学部1別科 |
| 大学院 | 4研究科 |
| 象徴 | 白鷺と石垣 |
| 公式スローガン | 城は倒れず、知は崩れず |
(ひめじしりつだいがく、英: Himeji Municipal University)は、に本部を置くとされるの総合大学である。城郭都市の防災研究と、姫路独自の「白漆喰行政学」で知られる[1]。
概要[編集]
姫路市立大学は、戦後の改革の一環としてに設置されたとされる大学である。創設時はの南西にあった旧倉庫群を仮校舎とし、学生は石垣の勾配を測ることを通じて統計学を学んだという[2]。
同大学は当初、・・の三分野に特化していたが、のちにとが加わり、城下町の都市設計を研究する独自の伝統が形成された。一方で、開学当初から「市役所に最も近い大学」として知られ、授業よりも公文書の閲覧に時間を割く学生が多かったとされる[3]。
歴史[編集]
設立の経緯[編集]
設立の契機は、に姫路市が実施した「城下町学力調査」である。これは市内の中学生に石垣の角度を推定させるという奇妙な試験で、平均誤差がを超えたため、当時の市長であったが「測れぬ都市は守れぬ」と発言し、大学構想が具体化したとされる[4]。
初代学長にはで都市工学を修めたが招かれた。松永は着任早々、姫路城の天守を「巨大な講義棟」と見なす独自の教育方針を示し、教員会議では「城壁は黒板である」と主張したという。この発言は当時の新聞『』でも半ば戯画的に報じられた。
学部拡張期[編集]
後半からにかけて、同大学は自治体職員の再教育機関として急速に拡張した。特にの設立()は画期的であり、同研究所が開発した「瓦落下予報図」は、台風接近時の避難指示に使われたとされる[5]。
またには、全国でも珍しいが必修化された。学生は毎年、姫路城周辺の空き家で漆喰の配合比を学び、完成品の白さをならぬ「姫路白色度」で採点されたという。採点は四捨五入ではなく、城からの反射率で決まったとも言われているが、詳細は定かではない。
平成以降の再編[編集]
には国際化の波を受け、・・の城郭都市との交換留学が始まった。とくにの「世界城下町会議」では、姫路市立大学が提案した「観光客の動線を殿様の行列と同じ速度にする」計画が注目を集めた[6]。
の組織改編では学内にが新設され、学生は防災訓練の一環として、年2回、実際に姫路駅から姫路城までをで徒歩移動する試験を課された。合格者には「石垣通過許可証」が交付され、これを持つ者は学内掲示板で強い発言権を得たとされる。
教育と研究[編集]
姫路市立大学の教育理念は、一般教養を「城下町の維持管理技術」として再定義する点に特徴がある。講義科目には、、、などがあり、いずれも実務との接続が重視される。
研究面では、から吹き込む海風との白壁反射を組み合わせた「白熱効率」の研究が有名である。2016年には同大学理工系グループが、城壁の白さが夏季のキャンパス内体感温度を平均下げると報告したが、測定地点がすべて売店前だったため、要出典とする見解もある[7]。
また、文系研究ではの蓄積が大きく、学内図書館には時代の帳簿を模した「擬帳面コレクション」が約収蔵されている。これらは一見すると古文書であるが、半数近くが学生の課題提出物を和綴じしたものであるとも伝えられる。
キャンパス[編集]
白鷺キャンパス[編集]
本部キャンパスはと呼ばれ、の眺望を最優先に設計された結果、講義棟の窓の向きがほぼ全て北西に揃えられている。これにより冬季は日照時間が短く、学生は図書館の閲覧席を巡って「石垣の日当たり問題」と呼ばれる軽い紛争を繰り返した[8]。
敷地内には高さの「模擬天守資料館」があるが、これは建築学部の学生が卒業制作として作った紙模型を常設展示したもので、風の日には実際の天守より先に揺れることから、気象観測の補助施設としても扱われている。
附属施設[編集]
附属施設としては、、、がある。とりわけ保存工房では、年間前後の壁補修相談を受け付け、相談内容の約3割が「家の壁が白すぎて近所の猫が避ける」であるという[9]。
また、学内には珍しいが設置されている。これは校舎間の高低差を解消するために導入されたが、乗車中に姫路城の方角へ一礼するようアナウンスが流れるため、観光客からは宗教施設と誤解されることが多い。
学生生活[編集]
学生自治会は伝統的に強く、毎年に行われる「石垣祭」では、各クラスが積み石の速度と安定性を競う。最優秀企画にはが授与されるが、実際には市長よりも城の管理事務所の職員のほうが審査に厳しいとされる。
サークル活動ではが有名で、もともとは災害時の瓦飛散方向を学ぶために設立されたものが、いつしか競技化した。記録はので、同年の台風接近時に記録更新の自粛要請が出たという珍事が残る。
さらに、学食の名物は「白壁定食」であり、白飯・豆腐・大根おろしを三層に盛り付けたものとされる。新入生はこれを食べることで「大学の白さに慣れる」と説明されるが、実際には単なる低予算メニューである可能性が高い。
社会との関わり[編集]
姫路市立大学は、姫路市の政策形成に深く関与してきた大学として扱われる。特にに始まった「城下町歩行圏再編計画」では、同大学の都市計画班が提出した「市民は15分ごとに白壁を目視することで方向感覚を回復する」という案が採用寸前まで進んだ[10]。
一方で、市との近さゆえに、学内での研究成果がそのまま条例案に転写されることも多かった。たとえばの「観光バス一時停止線」設置では、工学部の報告書にあった赤線がそのまま道路標示になったとされ、交通行政の簡略化として評価する声と、大学が市役所の下請け化していると批判する声が並立した。
また、災害時にはと連携して避難所設営マニュアルを提供しており、同大学の卒業生は「机を二列で組む速度」だけで就職先を判断されることもある。市民からは総じて好意的であるが、城を見上げすぎて首を痛める学生が多い点は長年の課題である。
批判と論争[編集]
もっとも、同大学には設立当初から「自治体の顔色をうかがいすぎる」との批判があった。特にの学内紛争では、学長選考委員会が「城の静謐を乱さない人物」を候補条件に加えたことから、大学自治が実質的に景観保護条例の一部ではないかと議論された。
また、白漆喰文化を前面に出しすぎるあまり、地方大学としては珍しく「壁が白いほど偉い」という価値観が一部で強化されたとされる。学生新聞『』は、これを「美意識の行政化」と批判したが、翌号の紙面が全面白刷りであったため、主張が伝わりにくかったという。
さらにには、キャンパス内の観測塔が「城の見張り台に似すぎている」として景観審査に引っかかり、完成後に外装へ偽装石垣を貼る工事が行われた。これは学内では「逆開発」と呼ばれている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 松永房之助『城下町大学論』播磨教育出版社, 1951年.
- ^ 渡瀬義三郎『姫路市学事要覧 第1巻』姫路市役所学務課, 1949年.
- ^ H. K. Sutherland, "White Plaster and Civic Pedagogy", Journal of Municipal Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 41-67, 1964.
- ^ 北村恵一『瓦と都市計画』関西公共学会, 1978年.
- ^ Takeshi Arima, "Emergency Evacuation and Castle Shadows", Bulletin of Urban Risk Studies, Vol. 8, No. 1, pp. 12-29, 1989.
- ^ 姫路市立大学防災研究所 編『瓦落下予報図の実際』白鷺出版, 1996年.
- ^ M. Laurent, "Municipal Universities in Postwar Japan", University Press of Lorraine, 2007.
- ^ 佐伯直人『白色度の政治学』姫路地方史研究会, 2011年.
- ^ Ayako Nishimura, "On the Thermal Advantage of White Castles", Proceedings of the Coastal Architecture Conference, Vol. 5, pp. 203-219, 2016.
- ^ 姫路市立大学史編纂委員会『姫市大六十年史』姫路市立大学, 2010年.
- ^ C. Bennett, "The Strange Case of the Municipal University and the Stone Wall", Civic Heritage Review, Vol. 19, No. 2, pp. 88-104, 2021.
外部リンク
- 姫路市立大学アーカイブズ
- 白鷺キャンパス公開資料室
- 城下町学術振興財団
- 姫市大タイムズ電子版
- 播磨地方高等教育年表