宇喜名駅
| 所在地 | 沖縄県中頭郡宇喜名町 |
|---|---|
| 所属事業者 | 宇喜名軽便鉄道 |
| 路線 | 宇喜名本線 |
| キロ程 | 0.0km(起点) |
| 駅構造 | 地上駅 |
| ホーム | 1面2線 |
| 開業 | 1938年4月12日 |
| 廃止 | 1987年11月3日 |
| 備考 | 開業当初は貨客混合駅 |
宇喜名駅(うきなえき)は、中部の旧砂丘地帯に設置されたとされるの終着駅である。駅名は、周辺で行われていた「宇喜名返し」と呼ばれる潮風対策工法に由来するとされる[1]。
概要[編集]
宇喜名駅は、初期に中部で建設が進められたの中心駅として計画された駅である。公式には終着駅とされたが、実際には「潮位観測の都合で毎朝少しだけ延伸していた」とする記録が残る。
駅舎は木造平屋で、待合室の床下にの前身とされる研究班が設置した湿度測定装置が埋め込まれていたといい、地元では「駅そのものが気象台だった」と語られている[2]。
成立の経緯[編集]
宇喜名駅の起源は、1920年代後半にの製糖業者と塩田経営者が共同で設立した「宇喜名交通改良会」にさかのぼるとされる。同会は砂浜の移動を抑えるため、線路敷にサンゴ砂と黒糖廃蜜を混ぜた独自の路盤を採用し、これが後の宇喜名式締固め法として鉄道工学史に知られることになった。
1935年、の地方改修局は同駅を「半農半漁地域の交通核」として認定し、駅前に荷役用の回転台と、雨天時だけ運行される籠車乗り場を併設した。なお、この認定文書には「駅名は語感が明るいこと」とだけ書かれており、審査担当者の趣味が強く反映しているとの指摘がある[3]。
歴史[編集]
開業と最盛期[編集]
1938年の開業当日、宇喜名駅にはから来た視察団が到着し、祝賀餅まきのほか、停車中の客車に向けて製糖用の蒸気が試験噴射された。これにより駅舎の天井がわずかに黒く煤けたが、かえって「沖縄の歴史を感じる」と好評であった。
1940年代前半には、駅前広場で毎月第二土曜に「海風市場」が開かれ、干し魚、サトウキビ、輸入セメント、そしてなぜか製のコメディ雑誌が並んだ。来場者は年間約8万4,000人に達したとされ、近隣の学校では遠足の定番地点になっていた。
戦後の再編[編集]
戦後、宇喜名駅はによる接収の対象外となったが、これは駅舎に設置されていた湿度測定装置が「軍事施設ではなく農業研究施設」と誤認されたためであると伝えられる。1952年にはホーム端に琉球語・日本語・英語の三言語案内板が立てられたが、英語表記の"Ukina"が一時期"Ukinaa"と誤記され、切符に印字された文字がそのまま駅の俗称になった。
1958年には初の自動券売機が設置されたが、紙幣の湿気対策が不十分で、切符が半分だけ印字されたまま排出される事故が続いた。駅員はこれを「半券文化」と呼び、回収された半券の裏面に時刻を手書きする運用を始めたという。
衰退と廃止[編集]
1969年以降、自動車道路の整備が進み、宇喜名駅の乗降客は急減した。ただし、駅前のバス停が混雑しすぎたため、朝の通勤時には駅の跡地を横切る形で徒歩連絡が復活し、皮肉にも駅周辺の人流は一時的に増加した。
1987年11月3日、宇喜名本線の全線廃止に伴い宇喜名駅も営業を終了した。最終列車は定刻より17分遅れ、ホームでは旧駅長のがハーモニカで『てぃんさぐぬ花』を吹いたとされるが、これは当日の記録写真が一枚しか残っていないため、後年になってから補強された逸話である[4]。
駅舎と設備[編集]
宇喜名駅の駅舎は、沖縄の風土に合わせて軒を深く取り、壁面には防湿のための漆喰と、日照反射を抑えるための青緑色の顔料が使われていた。外観は質素であったが、改札口の上には手書きの木札が7枚吊られ、遅延、増結、暴風、潮位、祭礼、検査、臨時列車を知らせる用途に分けられていた。
構内には小さな貨物側線が2本あり、そのうち1本は「黒糖専用線」と呼ばれていた。線路脇の待避所にはベンチが3脚あるだけであったが、地元ではそこを「停車場議会」と呼び、運行改善や村の婚礼日程まで議論していたという。
社会的影響[編集]
宇喜名駅は、単なる交通施設ではなく、周辺集落の通称や商習慣を形成した点で注目される。駅前で配布された時刻表は、農作業の開始時間、潮干狩りの適期、牛の飼育日誌にまで転用され、当時の家計簿には「宇喜名着10:14」といった鉄道時刻を基準にした記載が珍しくなかった。
また、駅弁として売られた「宇喜名巻き」は、サトウキビ粉を少量混ぜた薄焼き卵で米を包む独特の食品で、修学旅行生の間で人気を博した。もっとも、甘味が強すぎて冷めると皿に張り付くため、駅員は「食べる前に軽く叩け」と注意書きを掲示していた[5]。
批判と論争[編集]
宇喜名駅をめぐっては、開業当初から「駅名に対して実際の集落名が少しずつ変形している」との批判があった。とりわけ1960年代には、地元の古老が「もともとは宇喜名ではなく宇城名であった」と証言し、駅名の制定過程に方言委員会が介入したのではないかという論争が起きた。
また、駅舎の保存運動が1980年代に高まりを見せた一方、保存対象とされた建物の柱に後年の補修材が多く使われていたことから、「史跡というより大型の工作物ではないか」とする反対意見も出た。なお、保存派が提出した請願書の末尾には、なぜかの民芸品店の押印があったため、現在も真偽が判然としていない[6]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐久間理一郎『南島軽便鉄道史の断章』琉球交通研究会, 1994.
- ^ Martha H. Ellison, "Railways and Humidity in the Ryukyu Islands", Journal of Pacific Infrastructure Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 44-67, 2001.
- ^ 仲宗根博文『宇喜名駅と湿度計の政治学』沖縄地方史叢書刊行会, 1987.
- ^ Thomas J. Weller, "Stations That Measured the Weather", The Antiquarian Rail Review, Vol. 8, No. 2, pp. 101-119, 1978.
- ^ 上原ユミ『駅前市場と時刻表文化』南西文化出版, 2005.
- ^ Nobuko Arakaki, "A Study on the Half-Ticket Culture of Coastal Okinawa", Ryukyuan Economic Quarterly, Vol. 5, No. 1, pp. 12-29, 1966.
- ^ 比嘉正己『宇喜名交通改良会資料集』中頭史料保存会, 1979.
- ^ Jean-Pierre Dufour, "サンゴ砂の締固めと地方鉄道の発展"、Revue d'Histoire Ferroviaire, Vol. 19, No. 4, pp. 233-248, 1990.
- ^ 仲村精吉『最終列車の記憶』宇喜名駅OB会, 1988.
- ^ 宮城香織『駅弁「宇喜名巻き」の成立と変遷』食文化研究所, 2011.
外部リンク
- 宇喜名駅アーカイブセンター
- 南島軽便鉄道資料室
- 沖縄廃駅蒐集同好会
- 宇喜名町史デジタル館
- 海風市場保存委員会