宮下 権蔵
| 人名 | 宮下 権蔵 |
|---|---|
| 各国語表記 | Gonzō Miyashita |
| 画像 | Miyashita_Gonzo_1958.jpg |
| 画像サイズ | 220px |
| 画像説明 | 第54代内閣総理大臣就任時の宮下 |
| 国略称 | 日本 |
| 国旗 | Flag of Japan |
| 職名 | 内閣総理大臣 |
| 内閣 | 宮下内閣 |
| 就任日 | 1958年11月12日 |
| 退任日 | 1961年7月19日 |
| 生年月日 | 1911年4月19日 |
| 没年月日 | 1987年9月3日 |
| 出生地 | 福岡県遠賀郡若松村 |
| 死没地 | 東京都千代田区 |
| 出身校 | 東京帝国大学法学部 |
| 前職 | 大蔵省主計局書記官 |
| 所属政党 | 国民刷新党 |
| 称号・勲章 | 従一位、大勲位菊花章頸飾 |
| 配偶者 | 宮下喜代 |
| 子女 | 宮下正彦、宮下和子 |
| 親族(政治家) | 宮下徳三(父)、宮下権平(祖父) |
| サイン | Miyashita_Gonzo_signature.svg |
宮下 権蔵(みやした ごんぞう、{{旧字体|宮下權藏}}、[[1911年]]〈[[明治]]44年〉[[4月19日]] - [[1987年]]〈[[昭和]]62年〉[[9月3日]])は、[[日本]]の[[政治家]]。[[位階]]は[[従一位]]。[[勲等]]は[[大勲位菊花章頸飾]]。第54代[[内閣総理大臣]]、[[大蔵大臣]]、[[通商産業大臣]]、[[内閣官房長官]]などを歴任した[1]。
概説[編集]
宮下権蔵は、戦後日本において「配分政治」と呼ばれる独自の行政技術を体系化した政治家である。終戦直後の混乱期にで培った数理感覚を政界へ持ち込み、のちにの実務派として頭角を現した[2]。
また、地方への財源分配を「焼き印付き予算」と呼んで一括管理したことで知られ、当時の官僚と政党の双方から畏怖と歓迎を同時に受けた。支持者は彼を「数字で国を立て直した男」と称し、批判者は「帳簿で国民感情を測ろうとした人物」と評したとの指摘がある[3]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
宮下は[[福岡県]]遠賀郡若松村の米穀商の家に[[1911年]]に生まれる。父・宮下徳三は村会議員を経て郡農会の役員を務めた人物であり、幼少期の宮下は帳簿と米俵の数を競わせる奇妙な教育を受けたという[4]。
一説によれば、8歳の時に村の水害で流された帳簿を独力で復元し、村役場から「算盤で川を止める少年」と呼ばれた。もっとも、この逸話は本人が晩年に語り始めたものであり、事実関係には疑義が残る。
学生時代[編集]
宮下は旧制中学を経て[[東京帝国大学]]法学部に入学した。学生時代は自治寮の規則委員を務め、夜間の消灯時刻をめぐって自治会と対立したが、その際に「規則とは例外を管理するためにある」と発言したとされる[5]。
同年、演説会で財政再建を論じたことから、法学部よりもむしろ[[大蔵省]]向きの人材として注目された。卒業論文は「臨時補給金制度の比較研究」で、のちの予算編成手法の原型になったとされるが、要旨しか残っていない。
政界入り[編集]
宮下は[[大蔵省]]主計局に入省し、戦時中は配給統制に関する実務を担当した。[[1947年]]に退官すると、旧知の実業家らの推挙によりから[[衆議院議員総選挙]]に立候補し、福岡3区で初当選を果たした[6]。
その後、党内の財政派を代表する若手として重用され、[[内閣官房長官]]に就任する。これは同年の政局再編により突然生じた空席を埋めるためであったが、宮下は官邸の電話交換台まで点検したため、秘書官から「役職より先に機械の位置を覚えた男」と記録されている。
大蔵大臣時代[編集]
宮下は[[大蔵大臣]]に就任すると、戦後復興の柱として「三段階均衡予算」を導入した。これは歳入、歳出、世論を同時に整えるという理論で、当時の新聞は「財政学と能楽の折衷」と評した[7]。
また、全国の税務署に対し、月末の窓口混雑を避けるため窓口番号を奇数日にだけ変更する「逆算整理」を命じたことがある。実務上は不評であったが、徴税成績は一時的に上昇し、宮下の官僚的威信を決定的に高めた。
内閣総理大臣[編集]
宮下は[[1958年]]に第54代内閣総理大臣に就任した。就任直後、彼は官邸に「政務整理室」を設け、各省の報告書を色付きの木札で分類させたが、この方式はのちに一部省庁で「宮下式札割」と呼ばれた[8]。
宮下内閣では通貨安定と産業合理化が重点とされ、特にとの連携による「沿岸工業帯計画」が推進された。一方で、地方の農協からは「港に工場を置くために村を地図からずらした」と批判され、野党はこれを『地理改竄内閣』と揶揄した。
退任後[編集]
宮下は[[1961年]]に退任した後、表舞台から距離を置きつつも、党内の重鎮として影響力を保った。その後、財政制度審議会の特別顧問を務めたほか、日中友好促進の名目で民間訪中団を何度か主宰した[9]。
晩年は東京都内の自宅で回顧録の執筆に専念し、1987年に死去した。死後、遺族が保管していたとされる「予算折衷図」が公開されたが、図の余白に米相場の落書きが多数あったため、研究者の間では真偽をめぐる議論が続いている。
政治姿勢・政策・主張[編集]
内政[編集]
宮下の内政思想は、国家を巨大な会計帳簿として捉える点に特徴があった。彼は福祉、公共事業、地方交付税を「相互に貸し借りし合う三勘定」とみなし、単年度主義をやや嫌ったことで知られている[10]。
また、人口流出対策として「定住奨励米券」を提唱し、一定の条件を満たした世帯に毎年4.8升分の地域通貨を配布する案を検討した。制度化はされなかったが、北海道との一部では試験的に木札が流通したとされる。
外交[編集]
外交面では、宮下は対米協調を基本としつつ、アジア諸国との財政技術交流を重視した。とくにでの会談では、相手国の通訳が追いつかないほど細かく金利を説明したため、米側は彼を「the ledger prime minister」と呼んだという[11]。
一方で、近隣諸国に対しては「港湾の数字は国境を越える」と述べ、経済協定の条文に倉庫面積まで記載しようとした。このような姿勢は実務的である半面、政治的には柔軟性を欠くとの指摘がある。
人物[編集]
性格・逸話[編集]
宮下は寡黙であったが、会議では発言が短い代わりに異様に具体的であった。たとえば「この案は悪くない。ただし印刷は右下を3ミリ詰めろ」と指示したという逸話が残る[12]。
また、視察先で握手を求められると、相手の手の温度を推定して翌日の官報原稿の字間を変えたとされる。秘書官の回想によれば、彼は「政治は感情で始まり、紙で終わる」が口癖であった。
語録[編集]
宮下の語録としては、「国家とは、最後に残った封筒の宛名である」「景気は上向くものではない、揃えるものだ」などが広く引用されている[13]。
もっとも有名なのは、予算委員会での「数字は嘘をつかないが、並べ方は嘘をつく」である。これは後年、財務官僚の研修資料にも転載されたが、出典欄が毎回微妙に異なっている。
評価[編集]
宮下は、戦後の復興期に行政の安定化へ寄与した政治家として高く評価される一方、官僚主導を助長したとの批判も根強い。特に地方自治体からは、財源配分を条件付きで厳格化したことに対し、「中央集権を数字で美化した」との声があった[14]。
研究者の間では、宮下を型の現実主義者と比較する見方と、むしろ戦前官僚制の延長線上にある管理型政治家とみる見方が併存している。近年では、彼の政策を「高度成長の下準備ではなく、成長を測る物差しそのものを作った」と再評価する論考も増えている。
家族・親族[編集]
宮下家は福岡の米穀商から分岐した一族で、祖父の宮下権平は村内でも珍しい新聞購読者であったとされる。父・徳三は地方政治に関わり、叔父の宮下善七はの荷役組合に所属していた[15]。
配偶者の喜代は旧制女学校出身で、のちに後援会の会計を一手に担った。長男の正彦は通産官僚、長女の和子は大学教授となり、孫世代にも地方議員が複数いることから、宮下家は「財政と票の両方を継ぐ家系」として知られている。
選挙歴[編集]
宮下は[[1947年]]の[[衆議院議員総選挙]]で初当選を果たしたのち、[[1952年]]、[[1955年]]、[[1958年]]、[[1960年]]の各選挙で再選された。とくに1958年の選挙では、演説よりも駅頭で配った「家計再建表」が効果を発揮し、得票率は前回比で7.3ポイント上昇した[16]。
ただし、1963年の選挙では本人が全国遊説を避けたため、代理候補の演説が「本人より本人らしい」と評判になり、票が伸び悩んだ。以後、選挙運動における写真サイズと候補者名の活字寸法を重視したことで、広告業界からも注目されることとなった。
栄典[編集]
宮下は[[従一位]]、[[大勲位菊花章頸飾]]のほか、[[勲一等旭日大綬章]]、[[文化勲章]]を受章したとされる[17]。なお、文化勲章については「政治家としての受章は異例である」と当時の新聞が報じたが、実際には財政制度の研究業績に対するものと説明された。
また、退任後には複数の地方自治体から名誉市民章が贈られた。いずれも本人は辞退しかけたが、最終的には「受け取り用紙が既に印刷済み」であることを理由に受諾したという。
著作/著書[編集]
宮下は著書に『予算と米袋』『行政は線ではなく勘定である』『札束の哲学』などがある[18]。いずれも硬質な文体で知られ、巻末にまで脚注が付されている点が特徴であった。
とりわけ『地方財政の縫合術』は、地方交付税の配分を縫製に例えた一冊として官庁図書館で長く回覧された。また、晩年に口述筆記された『内閣は帳面の集合である』は、本文の3割が欄外注で占められている。
関連作品[編集]
宮下を題材とした作品には、映画『木札の男』(1969年)、テレビドラマ『官邸のそろばん』(NHK、1978年)、舞台『第54代の午後』などがある[19]。
また、若手研究者による朗読劇『予算委員会、午後三時』では、宮下役の俳優が実際に電卓を打ちながら台詞を読む演出が採用され話題となった。いずれも史実再現というより、宮下の「制度を演じるように生きた」側面を戯画化した作品とされる。
脚注[編集]
1. ^ 宮下の公的経歴については『内閣総理大臣官報便覧』に基づく。 2. ^ 宮下が「配分政治」を標榜した経緯は、後年の回想録に詳しい。 3. ^ この呼称は地方紙の社説に初出があるとされる。 4. ^ 家族史については遺族提供資料による。 5. ^ 学生時代の発言は複数証言があるが、原記録は未確認である。 6. ^ 1947年総選挙の得票数は14,982票であったとされる。 7. ^ 三段階均衡予算は財政学会で賛否が分かれた。 8. ^ 宮下式札割は一部省庁の内部文書にのみ確認される。 9. ^ 訪中団の記録は民間団体資料に散在する。 10. ^ 予算三勘定論は宮下の私塾講義録に見える。 11. ^ 米側の呼称は在米公館の電報に基づくとされる。 12. ^ 秘書官回想録『官邸の引き出し』より。 13. ^ 語録は後世の編集が多く、真正性には注意を要する。 14. ^ 地方財政への影響については研究者の見解が分かれる。 15. ^ 親族関係は系譜調査により整理された。 16. ^ 1958年選挙の数字は選挙公報記録による。 17. ^ 栄典一覧は官報掲載順に従う。 18. ^ 著作目録は国立国会図書館所蔵目録に基づく。 19. ^ 作品一覧は映像資料研究会の整理票による。
参考文献[編集]
・佐伯修一『戦後財政と宮下権蔵』日本経済評論社、1994年。 ・Margaret L. Thornton, The Ledger Statesman: Postwar Japan and Miyashita Gonzō, University of California Press, 2001, pp. 44-91. ・井原清隆『官邸の帳面学』中央公論新社、2007年。 ・Hiroshi Kanda, "Fiscal Choreography in Early Postwar Cabinets," Journal of East Asian Political History, Vol. 18, No. 2, 2012, pp. 117-146. ・高瀬真帆『木札と国家設計』岩波書店、2015年。 ・A. J. Bell, "The Rice Voucher Proposals of Prime Minister Miyashita," Pacific Policy Review, Vol. 9, Issue 1, 2016, pp. 5-29. ・中野宗一『宮下内閣の地方配分政策』有斐閣、2018年。 ・遠山和夫『予算と米袋の政治学』勁草書房、2020年。 ・山岡礼子『日本官僚制の奇妙な実験』東京大学出版会、2022年。 ・『財政と礼儀のあいだ――宮下権蔵演説集』第2巻第4号、国民刷新党史料室、1983年。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
国立国会図書館デジタルコレクション 首相官邸アーカイブ 宮下権蔵研究会 戦後政治史資料館 福岡近代政治人物録
脚注
- ^ 佐伯修一『戦後財政と宮下権蔵』日本経済評論社、1994年.
- ^ Margaret L. Thornton, The Ledger Statesman: Postwar Japan and Miyashita Gonzō, University of California Press, 2001, pp. 44-91.
- ^ 井原清隆『官邸の帳面学』中央公論新社、2007年.
- ^ Hiroshi Kanda, "Fiscal Choreography in Early Postwar Cabinets," Journal of East Asian Political History, Vol. 18, No. 2, 2012, pp. 117-146.
- ^ 高瀬真帆『木札と国家設計』岩波書店、2015年.
- ^ A. J. Bell, "The Rice Voucher Proposals of Prime Minister Miyashita," Pacific Policy Review, Vol. 9, Issue 1, 2016, pp. 5-29.
- ^ 中野宗一『宮下内閣の地方配分政策』有斐閣、2018年.
- ^ 遠山和夫『予算と米袋の政治学』勁草書房、2020年.
- ^ 山岡礼子『日本官僚制の奇妙な実験』東京大学出版会、2022年.
- ^ 『財政と礼儀のあいだ――宮下権蔵演説集』第2巻第4号、国民刷新党史料室、1983年.
外部リンク
- 国立国会図書館デジタルコレクション
- 首相官邸アーカイブ
- 宮下権蔵研究会
- 戦後政治史資料館
- 福岡近代政治人物録