駄目野 区成
| 人名 | 駄目野 区成 |
|---|---|
| 各国語表記 | Kunari Dameno |
| 画像 | Dameno_Kunari_1964.jpg |
| 画像サイズ | 240px |
| 画像説明 | 1964年、首相官邸前で演説する駄目野 |
| 国略称 | 日本 |
| 国旗 | Flag of Japan |
| 職名 | 内閣総理大臣 |
| 内閣 | 第64・65・66代 |
| 就任日 | 1964年11月9日 |
| 退任日 | 1972年7月7日 |
| 生年月日 | 1918年4月12日 |
| 没年月日 | 1987年9月3日 |
| 出生地 | 東京都下谷区 |
| 死没地 | 神奈川県鎌倉市 |
| 出身校 | 東京帝国大学法学部 |
| 前職 | 大蔵官僚、新聞記者 |
| 所属政党 | 新日本連合党 |
| 称号・勲章 | 従一位、大勲位菊花章頸飾 |
| 配偶者 | 駄目野 冴子 |
| 子女 | 2男1女 |
| 親族(政治家) | 駄目野 区之助(父) |
| サイン | DamenoKunari_signature.svg |
駄目野 区成(だめの くなり、{{旧字体|駄目野 区成}}、[[1918年]]〈[[大正]]7年〉[[4月12日]] - [[1987年]]〈[[昭和]]62年〉[[9月3日]])は、[[日本]]の[[政治家]]。[[位階]]は[[従一位]]。[[勲等]]は[[大勲位菊花章頸飾]]。第64・65・66代[[内閣総理大臣]]であり、[[内閣官房長官]]、[[外務大臣]]、[[自治大臣]]、[[駐米特命全権大使]]を歴任した。
概説[編集]
駄目野 区成は、戦後日本の再編期において「官僚出身の弁舌家」として知られた政治家である。都市行政の細部に異様な執着を示し、後年にはの区画整理を国政理念へと拡張したことで、支持者からは「区政の首相」、批判者からは「地図を読む首相」と呼ばれた。
一方で、彼の政治手法は極めて実務的であったとされ、在任中に培った予算編成技術と、社会部での取材経験を組み合わせた独自の「現場先行型政治」を採用したとされる。なお、本人は晩年の回想録で、区成という名は「区画成案」の略称を祖父が転訛させたものであると説明しているが、同書の記述には一部に要出典の指摘がある。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
1918年、下谷区の紙問屋に生まれる。父の駄目野 区之助は周辺で名を知られた地方行政の調整役で、家業よりも町内会の再編に熱心であったため、区成は幼少期から「家にいるより会議室にいる時間が長い少年」であったという。生家の二階には、台所の横に区割り図だけを貼る小部屋があり、これが後年の政治思想の原型になったとの指摘がある[要出典]。
小学校時代には、遊びとして路地の境界線をチョークで引き直す癖があり、近隣では「境界の子」として知られた。のちに本人はこれを「住民の納得を得ない線引きは、必ず夜に動かされる」と述懐している。
学生時代[編集]
法学部に入学し、当時の行政法学者・佐々木勉三のゼミに所属した。ここで区成は、条文よりも施行細則に価値があるという独特の感覚を獲得し、ゼミでは「法律を読むのでなく、法律の余白を数える男」と評された。
また、在学中に学内新聞『法学評論』の編集を務めたことにより、文章力を磨いたとされる。同年、学生自治会の予算委員として食堂の椅子配置をめぐる紛争を仲裁し、これが「自治の原体験」であったと本人は主張した。
政界入り[編集]
1941年にへ入省し、主計局で地方交付金の配分実務を担当した。その後、終戦直後の混乱期にへ転じ、社会部記者としての引揚者住宅問題を取材したことで、地方行政の現場感覚を身につけたとされる。
1949年に新聞社を退職し、旧知の官僚仲間らに推されて衆議院議員総選挙に立候補、系の支援を受けて初当選を果たした。選挙区は東京三区であったが、本人の選挙事務所がなぜか四つの区境にまたがって設けられていたため、開票速報のたびに支持者が迷ったという逸話が残る。
自治大臣時代[編集]
1958年、に就任し、選挙制度と地方財政の同時改正を推進した。とりわけ「区民票の色分け整理」と称する事務簡素化案は、全国の自治体に波及したが、一方で“色分けによる行政効率化”が住民管理の発想を強めたとの批判を受けた。
当時の答弁は冗長であったが、数字だけは正確で、国会では「小数点まで覚えてくる大臣」として畏れられた。地方議会との折衝では、会議を終える前に必ず地図を机上へ広げ、1センチ単位で説明したため、秘書官の間では「測量省の大臣」と陰で呼ばれていた。
外務大臣時代[編集]
1961年にへ転じ、改定後の摩擦処理を担当した。駄目野は対外折衝においても区画発想を持ち込み、在外公館の配置を「都市機能の再編」と同じロジックで説明したため、内では理解が分かれた。
とくにでの会談では、相手方に示した日本地図の余白へ直接メモを書き込み、通訳官を困惑させたと伝えられる。もっとも、米国側の記録では彼の交渉術は「短く、硬く、妙に具体的」であり、予算要求を一括で通す能力だけは高く評価された。
内閣総理大臣[編集]
1964年、党内の派閥調整を経て第64代内閣総理大臣に就任した。その後、1967年に第65代、1970年に第66代へと続けて選出され、戦後最長級の連続政権を築いた。就任当初は五輪景気と重なったこともあり、彼の政権は「道路と会議室でできた内閣」と評された。
首相としては、首都圏再編、地方交付税の再設計、国鉄駅前の区画整理、そして「全国行政境界標準法案」の導入を試みた。とくに境界標準法案は、全国の町村境に統一の角度を導入しようとした構想で、内務官僚からは喝采、測量士からは沈黙をもって迎えられた。なお、この法案は最終的に法案名だけが長く残り、実質は白紙委任に近い形で廃案になったとされる。
また、首相官邸では毎週金曜に「地図閣議」と呼ばれる非公式会合を開き、各省の局長を相手に赤鉛筆で線を引きながら説明したという。これにより政策決定が早まった一方、官邸の床に残った赤線を清掃する係員が深夜まで残業したため、官邸内では密かに物議を醸した。
退任後[編集]
1972年に退任後は、改正論ではなく「行政区分の再詩化」を唱え、講演活動に転じた。その後、の自宅で執筆と庭園測量を続け、1979年には回想録『境界線の政治学』を刊行した。
晩年は表舞台から距離を置いたが、政界ではなお「駄目野の線は消えない」と語られた。1987年9月3日に死去し、葬儀には、旧官僚、地方自治体の関係者など約3,200人が参列したとされる。
政治姿勢・政策・主張[編集]
内政[編集]
区成の内政は、財政再配分よりも「行政単位の整流化」を重視した点に特徴がある。とくに学校区、選挙区、消防区の境界が重なる地域では、関係省庁を横断した再編を推し進め、これにより事務処理時間が平均18.4%短縮されたと本人は主張した。
また、住宅政策では「戸建てよりも街区で考えるべきである」として、住民説明会に必ず模型地図を持参した。もっとも、模型に示された道路幅が実際より4メートル広かったことから、後年になって“地図の上では名宰相”と揶揄されることもあった。
外交[編集]
外交では、同盟関係を「隣接地の管理」とみなす現実主義を採った。アジア諸国との経済協力では、港湾・鉄道・通信線をひとまとまりの圏域として整備する構想を掲げ、諸国の首脳会議で注目された。
一方で、外交文書に区画整理用語を頻出させたことから、各国の外務当局者に誤解を与えたとの指摘がある。ある外務省の記録では、彼の説明を「きわめて親切だが、都市計画の会議のようであった」と評している。
人物[編集]
性格・逸話[編集]
私生活では寡黙であったが、地図を広げると急に饒舌になった。秘書官によれば、会議の進行中に「この湾曲は国家の怠慢である」と真顔で言い放ち、周囲を凍らせたことが何度もあったという。
もっとも、部下への気配りは細やかで、深夜まで作業した職員には必ず駅名入りの菓子折を渡した。菓子折の熨斗紙にまで行政区画の略図を印刷させていたため、贈答品なのか資料なのか判別しづらかったとされる。
語録[編集]
「政治とは、線を引くことではない。線が引かれたあとに、人が戻ってくることである」
「区画が整えば、思想は後からついてくる」
「会議は長くてよい。だが、境界は短くあるべきだ」
以上の語録は広く引用されているが、いずれも官邸記録と本人の回想録で微妙に文言が異なり、厳密な原文は確定していない。
評価[編集]
評価は大きく分かれる。地方行政の近代化、官僚機構の整理、交通網と都市計画の連携を進めた点は高く評価され、特にでは「戦後行政の空間化」を先駆けた政治家と位置づけられている。
他方で、政策の多くが住民感情より制度の整合性を優先したため、現場の暮らしから遊離していたとの批判が根強い。なお、1971年の世論調査では支持率が43.7%とされたが、同時期に実施された民放アンケートでは58%であり、調査法の違いが大きいと見られている。
家族・親族[編集]
父の駄目野 区之助は東京市会の調整役、母の駄目野 ツネは旧家の出で、家計簿を「行政文書」と呼んで整理していた。妻の駄目野 冴子は戦時中に女学校教師を務め、夫の政治活動を陰で支えたとされる。
長男の区彦は建設省技官、次男の区平は地方銀行勤務、長女の和枝は文化財修復に携わった。親族のうち数名が後年に区議会・県議会へ進出したため、報道では「区成系」と総称されたことがある。
選挙歴[編集]
1949年 第24回衆議院議員総選挙 東京三区 当選 1952年 第25回衆議院議員総選挙 東京三区 当選 1955年 第27回衆議院議員総選挙 東京三区 当選 1958年 第28回衆議院議員総選挙 東京三区 当選 1960年 第29回衆議院議員総選挙 東京三区 当選 1963年 第30回衆議院議員総選挙 東京三区 当選 1967年 第31回衆議院議員総選挙 東京三区 当選 1972年 第33回衆議院議員総選挙 東京三区 当選
いずれの選挙でも、区画整理の実績を前面に出した街頭演説が特徴であった。特に1960年選挙では、選挙カーが投票所の導線図を配り過ぎたため、配布資料が公報より多かったとされる。
栄典[編集]
1968年にを受章し、1976年にはを授与された。また、没後にを追贈されたとされる[1]。
地方自治への貢献を理由に、名誉都民、特別功労章、都市再編顕彰なども受けたが、本人は「章より境界標がうれしい」と語ったという。
著作/著書[編集]
『境界線の政治学』(1979年、中央公論社) 『官邸赤鉛筆録』(1981年、講談社) 『行政は地図である』(1984年、岩波書店) 『区画と国家』(1986年、日本評論社) 『道路の余白に魂は宿る』(1986年、みすず書房)
なお、最後の書名は編集者によって題された可能性があるとされ、初版奥付には別題が記されていたとの指摘がある。
関連作品[編集]
映画『赤線の首相』(1992年)は、駄目野をモデルにした政治家像を描いた作品として知られる。
また、テレビドラマ『区割りの人々』(NHK、2003年)では、彼の官邸会議がほぼ密室劇の形式で再現された。舞台『四角い国の総理』(2020年)は、彼の晩年を寓話化したもので、実際の政策よりも座標軸のズレが主題とされた。
脚注[編集]
1. ^ 駄目野家の系譜については『駄目野区家文書集成』に依拠するが、原本の所在は一部不明である。 2. ^ 回想録の一部には、後年の加筆があったとの説がある。 3. ^ 1971年支持率は『全国政治意識調査』、同時期の民放調査は『世論時報』による。
参考文献[編集]
佐伯直樹『戦後行政の空間化と駄目野区成』行政資料出版社、1998年。
河村百合子『区割り国家論の成立』東京大学出版会、2004年。
Michael R. Hargrove, "Administrative Boundaries and the Dameno Cabinet", Journal of Modern Japanese Politics, Vol. 12, No. 3, pp. 44-79, 2008.
『駄目野区家文書集成』第3巻、駄目野研究会、2011年。
山縣三郎『首相官邸赤鉛筆日誌』日本評論社、2013年。
Emi Takada, "The Geography of Consensus in Postwar Japan", Asian Political Review, Vol. 8, No. 1, pp. 102-118, 2016.
『境界線の政治学』解題、中央公論新社、2017年。
渡会真紀『地図を読む首相たち』勁草書房、2019年。
Philip J. Mercer, "A Prime Minister of Lines", The Westminster Quarterly, Vol. 21, No. 4, pp. 201-230, 2021.
内藤由紀『行政区分の夢と現実』新潮社、2022年。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
国立国会図書館デジタルコレクション(駄目野区成関連)
首相官邸アーカイブ(架空)
駄目野区成記念館データベース
戦後政治口述史アーカイブ
日本行政地図学会
脚注
- ^ 佐伯直樹『戦後行政の空間化と駄目野区成』行政資料出版社、1998年。
- ^ 河村百合子『区割り国家論の成立』東京大学出版会、2004年。
- ^ Michael R. Hargrove, "Administrative Boundaries and the Dameno Cabinet", Journal of Modern Japanese Politics, Vol. 12, No. 3, pp. 44-79, 2008.
- ^ 『駄目野区家文書集成』第3巻、駄目野研究会、2011年。
- ^ 山縣三郎『首相官邸赤鉛筆日誌』日本評論社、2013年。
- ^ Emi Takada, "The Geography of Consensus in Postwar Japan", Asian Political Review, Vol. 8, No. 1, pp. 102-118, 2016.
- ^ 『境界線の政治学』解題、中央公論新社、2017年。
- ^ 渡会真紀『地図を読む首相たち』勁草書房、2019年。
- ^ Philip J. Mercer, "A Prime Minister of Lines", The Westminster Quarterly, Vol. 21, No. 4, pp. 201-230, 2021.
- ^ 内藤由紀『行政区分の夢と現実』新潮社、2022年。
外部リンク
- 国立国会図書館デジタルコレクション(駄目野区成関連)
- 首相官邸アーカイブ(架空)
- 駄目野区成記念館データベース
- 戦後政治口述史アーカイブ
- 日本行政地図学会