宿す魂その剣に乗せ風を切り裂き鮮やかに駆ける
| 分類 | 剣術用誓句・呼吸法・演舞術 |
|---|---|
| 起源 | 大正末期、京都府の私設道場 |
| 考案者 | 坂東 玄馬とされる |
| 主な使用分野 | 剣劇、武道教育、神前奉納演武 |
| 普及期 | 昭和10年代から昭和40年代 |
| 関連団体 | 帝都演武協会、近畿呼吸剣法研究会 |
| 象徴色 | 藍白 |
| 代表的技法 | 三拍子送気法、風切り二段踏み |
| 通称 | 長句の型 |
宿す魂その剣に乗せ風を切り裂き鮮やかに駆ける(やどすたましいそのけんにのせかぜをきりさきあざやかにかける)は、のおよびにおいて用いられる誓句兼呼吸法の一種である。もとは末期にの稽古場で考案されたとされ、のちにの舞台剣劇や教育にも影響を与えたとされる[1]。
概要[編集]
宿す魂その剣に乗せ風を切り裂き鮮やかに駆けるは、刀身に気を宿し、踏み込みの速度と発声を一致させることで、相手の視界と呼吸を崩すことを目的としたとされる。実際にはの一派に見られる精神統一の掛け声と、の見得の所作が混淆したもので、短く言えば「長すぎる気合」であるとも評される[2]。
この句が特異であったのは、技法そのものよりも、句を完結させるまで打突を遅らせてはならないという不文律にあるとされる。そのため、上達者は一息で八歩を踏み、なおかつ刀を振り抜く必要があり、初期には稽古後に茶碗蒸しを食べる際の息切れが問題化したという記録が残る[3]。
歴史[編集]
成立[編集]
また、当初は「魂を乗せよ、刃を置け、風を裂き、なお走れ」という四分割の命令文であったが、に第3代門人・三宅正助がこれを一息で唱えるよう改変したことで、現在の定型句が成立したとされる。三宅は後年、の神社奉納演武で同句を使用し、観客の一部が「ありがたいが長い」と記した絵馬を奉納したという[5]。
普及[編集]
、の外郭にあったとされる「国民演武研究嘱託」が、呼吸法を伴う短句の指導資料の中でこの句を紹介したことで、各地のに広まった。もっとも、学校現場では全文を唱える時間が授業に食い込み、のある学校では校長が「その前に整列せよ」と述べた直後に稽古時間が尽きたという逸話がある[6]。
戦後になると、浅草の剣劇一座が舞台演出に転用し、刀を抜く瞬間に照明が走る「風切り演出」が定番化した。とくにの公演『風塵八景』では、長句を唱え終えた直後に床下の送風機が作動し、客席の巻き寿司が半数ほど傾いたことから、演出家の白井光堂が「これは武道ではなく気圧の芸である」と述べたとされる[7]。
制度化と衰退[編集]
にはが「長句の型」を準礼法として採択したが、実技審査において受験者の37%が第4拍で息継ぎして失格したため、翌年からは「句の最後まで足が止まらない者のみ可」とする厳格な運用が導入された。これにより合格率は12.4%まで低下したが、逆に若年層の人気は高まり、都内の道場では練習用の竹刀が年間約2,800本消費されたという[8]。
一方で後半には、短時間で効果を示す新式の掛け声法が流行し、この長い句は「古式ゆかしいが実用に乏しい」としていったん衰退した。ただし、のNHK特集『声と刃のあいだ』放送後に再評価が進み、現在では舞台演武、地域祭礼、そして一部の健康法サークルで細々と継承されている。
技法[編集]
この句の運用には、三拍子送気法、風切り二段踏み、遅延抜刀の三要素があるとされる。三拍子送気法は「宿す魂」「その剣に乗せ」「風を切り裂き鮮やかに駆ける」の三分節に合わせて息を配分する方法で、熟練者ほど語尾で声が低くなる傾向がある[9]。
風切り二段踏みは、前足で地面を擦るように半歩進み、続けて後足を大きく送る足運びである。これにより見た目には速く、実際にはやや遅いという独特の反転効果が生まれるため、舞台剣劇ではしばしば重宝された。ただし、体育館の床では滑りやすく、の私立高校で一度だけ審判台まで到達する事故が起きたと報告されている[10]。
遅延抜刀は、句の「風」を発する直前まで鯉口を切らず、最後の3拍で刀身を現す技法である。これを極めた者は刀より先に静寂が走るとされ、坂東道統では「先に場を斬る」と表現された。なお、現代の保存会では安全上の理由から、抜刀の代わりに木刀の鞘鳴りで代用する場合も多い。
社会的影響[編集]
本句は武道用語としてのみならず、企業研修や学校行事のスローガンにも転用された。とくにには、の商社が朝礼でこの句を唱和させた結果、社員の歩行速度が平均で12%向上したという社内報告が残る一方、会議が長引くようになったとの指摘もある[11]。
また、地域文化への影響も見逃せない。郡上市の夏祭りでは、長句を唱えてから踊り出す「風切り踊り」が定着し、踊り手は必ず三歩目で視線を上げる慣習がある。地元ではこの所作を「魂乗せ」と呼び、観光客向けの説明板にはなぜかの風速図に似た図が掲示されている。
一方で、教育的効果をめぐっては賛否が分かれた。ある保健体育研究会は、呼吸を整える訓練として有益であるとしたが、別の報告では「長すぎて準備運動が本体になる」として要再検討とされた。いずれにせよ、句の知名度は以降にインターネット上の武道掲示板で再燃し、現在でも一部では“最も詠唱時間の長い剣の合図”として知られている。
批判と論争[編集]
批判の多くは、その実用性と由来の不明確さに向けられている。とくにの『近畿武芸研究』では、歴史資料上に同句の初出が確認できないとして、後世の創作ではないかとの疑義が呈された[12]。これに対し保存会側は、古文書の墨が薄すぎて読めないだけであると反論している。
また、句の長さそのものが論争の種でもあった。全国大会では、選手が句の後半で失速し審判の視線を浴びる事例が相次ぎ、には「8秒を超える気合は演舞の範囲を逸脱する」とする内規案が出されたが、結局採択されなかった。なお、審判の一人が「これは技ではなく朗読である」と述べた発言は、今も引用されることがある。
さらに、内の一部道場では、子ども向けに短縮版「宿す魂、乗せて駆ける」が導入されたが、これはもはや別物であるとして古参門人から強い反発を受けた。もっとも、保存会の内部資料には「短縮版でも十分に汗は出る」とあり、ここに現場の折衷が見られる。
脚注[編集]
[1] 坂東武備館編『長句剣法資料集 第4輯』私家版、1939年。 [2] 田口春夫「演舞における呼吸と間」『武芸文化研究』第12巻第3号、1958年、pp. 41-58。 [3] 中西いづみ『稽古と胃腸のあいだ』京洛書房、1971年。 [4] 佐伯義明「祇園小屋と剣術の越境」『京都芸能史論』Vol. 8、1964年、pp. 113-129。 [5] 奈良県神社奉納演武記録委員会『奉納と長句』1979年、pp. 7-9。 [6] 文部省演武資料課「中等学校における礼法的発声の扱い」内部資料、1940年。 [7] 白井光堂『舞台剣劇の照明と風』東都芸術出版、1961年。 [8] 全日本剣芸連盟『年報 昭和39年度』、1965年、pp. 22-27。 [9] 小松崎潤「三拍子送気法の生理学的検討」『東亜武道医学雑誌』第5巻第1号、1976年、pp. 5-19。 [10] 神奈川県高体連武道部「平成元年度 競技事故報告」1989年。 [11] 大阪商工会議所『朝礼慣行と身体活動』1982年。 [12] 岡村進『近畿武芸研究』第17巻第2号、1972年、pp. 201-204。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 坂東武備館編『長句剣法資料集 第4輯』私家版, 1939年.
- ^ 田口春夫「演舞における呼吸と間」『武芸文化研究』第12巻第3号, 1958年, pp. 41-58.
- ^ 佐伯義明「祇園小屋と剣術の越境」『京都芸能史論』Vol. 8, 1964年, pp. 113-129.
- ^ 中西いづみ『稽古と胃腸のあいだ』京洛書房, 1971年.
- ^ 小松崎潤「三拍子送気法の生理学的検討」『東亜武道医学雑誌』第5巻第1号, 1976年, pp. 5-19.
- ^ 岡村進『近畿武芸研究』第17巻第2号, 1972年, pp. 201-204.
- ^ 白井光堂『舞台剣劇の照明と風』東都芸術出版, 1961年.
- ^ 全日本剣芸連盟『年報 昭和39年度』, 1965年, pp. 22-27.
- ^ 村瀬英子「礼法と発声の地方差」『日本身体文化学会誌』第9巻第4号, 1988年, pp. 77-90.
- ^ Harold T. Wainwright, "Wind-Cutting Chants in Prewar Japanese Stage Combat," Journal of Martial Performance Studies, Vol. 3, No. 2, 1992, pp. 14-31.
外部リンク
- 坂東武備館アーカイブ
- 近畿呼吸剣法研究会
- 帝都演武協会資料室
- 長句剣法保存会
- 東亜武道医学雑誌電子版