寺田 友子
| 氏名 | 寺田 友子 |
|---|---|
| ふりがな | てらだ ともこ |
| 生年月日 | 4月18日 |
| 出生地 | |
| 没年月日 | 11月2日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 発酵文化研究者・香味監査官 |
| 活動期間 | 1962年 - 2006年 |
| 主な業績 | 発酵官能試験の標準化/「香味監査」制度の創設 |
| 受賞歴 | 農林香味賞(第12回)、旭日香味章(想定)など |
寺田 友子(てらだ ともこ、 - )は、の発酵文化研究者。発酵官能試験(通称「香味監査」)の制度化で広く知られる[1]。
概要[編集]
寺田 友子は、日本の発酵文化研究者であり、発酵食品の評価を官能と統計の両面から扱う手法を「香味監査」として体系化した人物である[1]。
彼女の名が最初に広まったのは、大学院の臨床研究として提出された「麹香の時間曲線(麹香TQ)」が、食品衛生監督機構の審査を通過したことによるとされる[2]。以後、官能評価を「感想」から「監査可能な計測」へ押し上げた功績が語り継がれている[3]。
生涯[編集]
生い立ち
寺田はに生まれ、祖父の味噌蔵で、温度と湿度の違いによって麹の香りが変わる様子を毎朝「3分前倒し」で観察していたとされる[4]。彼女が当時付けていたノートには、発酵槽のふたを開ける角度を「指1本分(約1.8cm)」と書き込み、香りの立ち上がりを「ベル曲線の第2戻り(-14秒)」と表現していたという[5]。
青年期
、中学時代に新潟港で行われた「食文化講習会」がきっかけとなり、彼女は麹菌の分類よりも、匂いが人の記憶と結びつく瞬間を研究したいと考えるようになった[6]。その後、の女子専門学校で食品化学を学び、卒業研究は「匂いの主観ブレを“監査票”で縮める」方式の提案であったとされる[7]。
活動期
1962年、寺田は系統の研究所に採用され、「発酵官能試験」の試験運用を担当した[8]。ただし当初、この制度は食品メーカーの反発を招き、「評価が人間任せになる」という批判が相次いだ。寺田はこれを鎮めるため、官能の回答を点数化するだけでなく、香りの“説明言語”をの協力で統一し、「同じ匂いを別の言葉で言ってしまう事故」を統計的に補正したとされる[9]。
晩年と死去
晩年の寺田は、若手に対して「測っているのは匂いではなく、人が匂いに“手続きを当てる癖”である」と講義したと伝えられている[10]。彼女はに表舞台から退き、家庭で発酵スターターの管理を続けた後、11月2日、内の自宅で死去したと記録されている[11]。享年は72歳とされるが、生前の本人メモには「7×2=14日余り、まだ香りが足りない」といった回りくどい記述が残ったともいう[12]。
人物[編集]
寺田は几帳面で、机の上に置く計測器を「匂いの強い順」ではなく「匂いの残りやすい順」に並べることで、交差汚染を防いだとされる[13]。また、会議で急に沈黙する際には必ず「喉の奥を一回だけ湿らせてから」発言すると周囲に伝えていたという[14]。
一方で、彼女の趣味は意外にもクラシック音楽ではなく、の山間部で採取したという古い味噌の樽が鳴らす“微小振動”を録音することであったとされる[15]。寺田は「音は香りの前触れになる」と主張し、官能試験の前に、被験者へ同じ長さの環境音を聴かせてから評価を開始したと報告されている[16]。
逸話として、彼女は「評価の欠点を“言い訳”として提出させる」方式を採用した。たとえば、被験者が「甘い」と言えない場合、代替として「甘いの“手前”の温度感」を書かせ、それを後で再分類する手法で精度を上げたとされる[17]。この変則的なルールが、後に“監査票の遊び心”として業界で模倣されることになった。
業績・作品[編集]
寺田の代表的な業績は、発酵食品の官能評価を体系化した『発酵官能試験の実務設計』であるとされる[18]。同書では、香りを「立ち上がり」「持続」「余韻」「言語遅延」の4要素に分け、さらに回答者ごとのブレを補正する“遅延回帰”の考え方が紹介されたとされる[19]。
作品
寺田は単著に加え、監修として多くの手引書に関わった。中でも『香味監査票—改訂第3版』は業界標準として参照されたとされるが、当時の編集部は「改訂理由が“鼻の気分”のせいと言われ、困った」と回想しているという[20]。また、雑誌掲載の短報として、発酵室の空調を「1時間当たり0.7℃刻み」で切り替えると、香味の再現性が上がるという主張が掲載されたとされる[21]。
さらに寺田は、研究データの可視化にこだわり、「麹香の時間曲線(麹香TQ)」という指標を公開した。曲線の第2戻りが出たタイミング(平均で試料投入から約86分後)を合否ラインにする運用が検討されたとされるが、現場では「そんな正確さに、味は負ける」と反発も起きたとされる[22]。
後世の評価[編集]
後世の評価は分かれている。肯定的には、寺田が官能評価を科学的手続きとして整えたことで、いわゆる“職人の勘”が属人的に終わるのを避けられたという見方がある[23]。特に災害時の衛生評価で、短時間に大量の発酵食品をスクリーニングする際に役立ったとする報告が残っている[24]。
一方で批判もある。香味監査が普及するにつれて、評価が“言語規格”に引きずられ、地域差の香りが薄れていくのではないかという指摘がなされた[25]。また、寺田が提唱した遅延回帰は、統計的には説明可能でも、被験者の生活文化まで回帰させてしまう恐れがあるとして議論になったとされる[26]。
ただし、批判者でさえ「寺田のメモは異様に具体的で、現場の人が読みながら再現できる」と評価しているという点では一致している[27]。その結果、現在では“科学のふりをした丁寧さ”として、彼女の方法が教材化されることもある。
系譜・家族[編集]
寺田の家系は、代々新潟の港町で発酵関連の実務に携わってきた家として語られる[28]。父は材木商とされ、母は台帳係であったとされるが、寺田自身は「家族は味よりも手続きを信じていた」と述べたと伝わる[29]。
また、寺田には姉のすみ(すみ、生まれ)がおり、姉は病院の調理部門で働いていたという[30]。姉妹は、同じ試料を別の部屋で評価し、結果がどれだけ食い違うかを“家庭内監査”として記録していたとされる[31]。この家庭内実験が、後の寺田の「言語遅延」概念につながったという説がある[32]。
寺田は結婚後も研究を続け、夫とは研究所の食堂で出会ったとされるが、夫の名前は資料によって「佐伯」「前田」など揺れがあり、寺田の遺稿ノートでは“仮名のまま”にされていたとされる[33]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 寺田友子『発酵官能試験の実務設計』香味監査出版, 1978年.
- ^ 中村玲奈『麹香TQの統計論(第2巻)』日本発酵学会, 1983年.
- ^ Margaret A. Thornton,『Sensory Compliance in Fermentation』Cambridge Palate Studies, 1991.
- ^ 佐伯健太『香味監査票の改訂過程(pp. 112-145)』中央官能出版社, 1989年.
- ^ 鈴木一弘『災害時スクリーニングと発酵の手続き化』第23巻第4号, 発酵衛生研究誌, 1995年, pp. 33-58.
- ^ 山城綾子『言語遅延と被験者の生活文化』Vol. 7, No. 1, 日本味覚情報学会誌, 2001年, pp. 9-27.
- ^ 田口正則『職人の勘は減ったか:香味監査の影と光』農林統計選書, 2004年.
- ^ 国立言語研究所編『語彙統一の試験運用(第1報)』国立言語研究所, 1972年.
- ^ 小野寺光『香りの監査—現場の声(想定)』文藝発酵社, 2010年.
- ^ World Society of Fermented Senses『Standardizing Odor Protocols』Vol. 12, Issue 2, pp. 201-230, 1997.
外部リンク
- 香味監査アーカイブ
- 麹香TQ 可視化ギャラリー
- 発酵官能試験 実務資料室
- 日本発酵学会・寺田友子追悼ページ
- 官能語彙マッピング(試作)