小林 龍和
| 氏名 | 小林 龍和 |
|---|---|
| ふりがな | こばやし たつかず |
| 生年月日 | 1898年4月17日 |
| 出生地 | 日本・千葉県銚子町 |
| 没年月日 | 1971年9月2日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 民間気象技師、潮汐記録家、随筆家 |
| 活動期間 | 1919年 - 1968年 |
| 主な業績 | 逆潮予報の制度化、龍和式風向盤の考案、湾岸伝承の採集 |
| 受賞歴 | 潮位観測功労章、東日本民俗記録賞 |
小林 龍和(こばやし たつかず、 - )は、の民間気象技師、潮汐記録家、ならびに都市伝説研究の先駆者である。とくにの「逆潮予報」を体系化した人物として広く知られる[1]。
概要[編集]
小林 龍和は、日本の民間気象技師である。主に沿岸の潮流変化を独自の手法で観測し、漁業・港湾交通・町内行事の判断材料として用いられた「逆潮予報」の実務化で知られる[1]。
また、彼はからにかけての湾岸地域で採取した口承をまとめ、潮汐と怪異譚を同じ帳面に記録したことで、後年の都市伝説研究に奇妙な影響を与えたとされる。一次資料が少ない一方で、の荷役係やの網元に彼の手帳の写しが残ったとする証言が多く、実在性の高い伝承的人物として扱われることがある[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
、の測風台に近い家に生まれる。父・小林庄五郎は回漕業の手伝いをしており、龍和は幼少期から河口の潮の満ち引きに強い関心を示したと伝えられる[3]。
12歳のころ、彼は浜辺に打ち上げられた木片の影の長さを毎朝同じ位置で測り、潮位との相関を独学でメモしたという。この記録は後年「少年龍和の三百六十五日観測」と呼ばれたが、実物は後の整理で失われたとされる。なお、一部では彼が当時すでにの古い予報表を読み解いていたとの証言もあるが、出典は確認されていない[要出典]。
青年期[編集]
、の夜学講座に出入りし、製図と簡易測量を学んだとされる。正式な在籍記録は残っていないが、当時の同窓会名簿には「小林龍和」という名が1度だけ現れ、欄外に「潮を見る者」と鉛筆で書かれている。
ごろからの倉庫街で港湾気象の臨時助手として働き、風向、塩分、船腹の傾きから逆潮の到来を予測する独自の帳票を作成した。特に8年の台風接近時に、通常の予報より34分早く荷役中止を勧告したことで、数隻の損害を免れたと伝えられる[4]。
活動期[編集]
、を名乗る小規模な集まりを主宰し、の魚市場裏で月2回の観測会を開いた。参加者は漁師、倉庫番、学生、占い師まで雑多で、会費は1回12銭であったという。
この時期に考案されたのが「龍和式風向盤」である。これは方位盤に湿度紙と鳴子を組み合わせた装置で、南風が「商用」、北東風が「説教」、西風が「休漁」を示すとされた。科学的根拠は薄いが、やの一部では昭和初期まで使われたとされ、港湾労働の合図として半ば慣習化していた。
には『湾岸逆潮記』を自費出版し、全128頁にわたり潮位表、港の怪談、町内会の苦情を同一紙面に並べた。この奇妙な構成が後の民俗学者に評価され、の周辺研究者が「現場の温度を持つ記録」と呼んだという説がある[5]。
晩年と死去[編集]
はの借家に移り、観測よりも記録の整理に時間を割いた。晩年は「潮は年々静かになる」と述べ、湾岸の埋立てと航路の変化に強い危機感を示したとされる。
に公的な観測活動から退き、、73歳で死去した。死因は心不全とされるが、最期まで机上にと赤鉛筆を置いていたという逸話があり、葬儀では参列者が焼香の代わりにその日の潮位を書き込んだ帳面を回したと伝えられる[6]。
人物[編集]
龍和は、几帳面である一方で、やや芝居がかった人物として知られる。観測会では必ず同じ紺の防水外套を着用し、開始時刻の3分前に「潮が見ている」と言って黙り込むのが癖であった。
また、彼は人に対しては温厚であったが、予報を軽んじる新聞記者には厳しく、ある記者が「迷信ではないか」と問うと、1時間後の風向と荷役遅延数を紙片に書き、実際にほぼ一致したという逸話が残る。もっとも、その紙片が事前に書かれていたのではないかという指摘もあり、弟子筋の間でも解釈が分かれている。
一方で、私生活では極端に甘味に弱く、観測所の棚にを常備していた。これが「潮位が下がると糖分が減る」と本人が主張したため、門弟の間では半ば呪術として受け止められていた。
業績・作品[編集]
逆潮予報の体系化[編集]
最大の業績は、港ごとの潮流逆転を数値ではなく「体感」「匂い」「鳴き砂の震え」で補正する逆潮予報の体系化である。龍和はを17の小区画に分け、潮見・風見・音見の3係数で判定する方式を提案した。
この方式は公式採用こそされなかったが、近くの一部倉庫では1960年代まで参考にされたとされる。特に霧の多い朝に強く、通常の予報より船員の体感に合うとされたことから、港の「実用民俗学」として再評価された[7]。
著作[編集]
代表作には『湾岸逆潮記』()、『潮鳴りと町内会』()、『風はどこへ退くか』()がある。いずれも学術書というよりは現場報告書に近く、地図の余白に弁当の包み紙が貼られている版が有名である。
とくに『潮鳴りと町内会』は、下の臨時避難路と潮位変化の関係を記した章が異様に詳しく、後年の研究者が「なぜここだけ40頁もあるのか」と首をかしげた。龍和自身は序文で「港は災害と伝説の境界である」と記している。
装置と採集記録[編集]
彼の発明とされる「龍和式風向盤」は、現存するものが3基しか確認されていない。うち1基はの収蔵庫に眠っているとされ、もう1基はの旧家の土蔵から発見されたが、湿度紙がすべて海苔の養殖記録に転用されていた。
また、採集記録『湾岸百話』には、船幽霊、逆さ提灯、潮に沈む駅名標など、現在では都市伝説として扱われる話が並ぶ。これらが本当に龍和の実見だったのかは不明であるが、少なくとも彼がそれらを「翌日の潮位と関係する現象」として整理しようとしていた点は確かである[8]。
後世の評価[編集]
龍和の評価は、、、の3分野で大きく異なる。気象学者の間では疑似科学的な側面が問題視された一方、民俗学者からは「近代化の摩擦を記録した稀有な観測者」として高く評価された。
以降、の再開発に伴い湾岸の古い帳面が散逸すると、龍和の記録はむしろ都市史資料として注目されるようになった。とくにの一部研究会では、彼の手帳を「気象と噂の二重帳簿」と呼び、当時の労働環境を知る補助史料として扱った。
もっとも、近年の研究では「観測結果の一部が後日加筆された可能性」が指摘されており、龍和本人がどこまで実測者で、どこから物語作者だったのかは判然としない。なお、1962年版の手帳にの埋立地名が書かれている頁があることが確認されているが、筆跡鑑定は一致していない[要出典]。
系譜・家族[編集]
父は小林庄五郎、母は小林かねで、3人きょうだいの長男であったとされる。弟・小林新太郎はで帳場を務め、妹・とめはの裁縫学校に進んだという。
配偶者については諸説あり、にの和紙問屋の娘・小林ハルと婚姻したとする記録が最も多いが、実際には同居人にすぎなかったとの証言もある。子は2人で、長男・小林龍一はの港湾測量会社へ、長女・小林澄子はの図書館司書となったと伝えられる。
また、弟子筋には、、など国籍も経歴もばらばらな人物が名を連ねるが、これは龍和の帳面を写した者が後年「門人」として自己申告した結果とみられる。
脚注[編集]
[1] 小林龍和研究会編『湾岸観測家列伝』潮文社、1994年、pp. 18-23。
[2] 鎌倉市史編纂室『埋立以前の記憶』第4巻第2号、2001年、pp. 141-149。
[3] 田所和夫「銚子町における少年観測日誌の断章」『日本港湾民俗学会誌』Vol. 12, No. 3, 1987, pp. 55-68。
[4] Margaret A. Thornton, “Harbor Winds and the Prewar Alarm Sheets,” Journal of East Asian Maritime Studies, Vol. 8, No. 1, 1979, pp. 201-219.
[5] 近藤雅彦『潮と怪談のあいだ』海鳴書房、1983年、pp. 77-90。
[6] 神奈川県民俗資料館『鎌倉近代観測者名簿』収蔵目録第17集、1972年、pp. 5-9。
[7] Robert J. Ellison, “Countertide Forecasting in Urban Bays,” Pacific Studies Quarterly, Vol. 14, No. 4, 1991, pp. 33-47。
[8] 小林龍和『湾岸百話』私家版写本、1938年、pp. 1-112。
[9] 佐伯みどり「龍和式風向盤の復元試験」『日本観測技術史研究』第21巻第1号、2008年、pp. 12-29。
[10] Theodor K. Matsuura, “Notes on Tidal Folklore in the Tokyo Bay Area,” Studies in Japanese Vernacular Knowledge, Vol. 2, No. 2, 1965, pp. 88-101。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 小林龍和研究会編『湾岸観測家列伝』潮文社, 1994.
- ^ 田所和夫「銚子町における少年観測日誌の断章」『日本港湾民俗学会誌』Vol. 12, No. 3, 1987, pp. 55-68.
- ^ 近藤雅彦『潮と怪談のあいだ』海鳴書房, 1983.
- ^ Margaret A. Thornton, “Harbor Winds and the Prewar Alarm Sheets,” Journal of East Asian Maritime Studies, Vol. 8, No. 1, 1979, pp. 201-219.
- ^ 神奈川県民俗資料館『鎌倉近代観測者名簿』収蔵目録第17集, 1972.
- ^ Robert J. Ellison, “Countertide Forecasting in Urban Bays,” Pacific Studies Quarterly, Vol. 14, No. 4, 1991, pp. 33-47.
- ^ 佐伯みどり「龍和式風向盤の復元試験」『日本観測技術史研究』第21巻第1号, 2008, pp. 12-29.
- ^ 小林龍和『湾岸百話』私家版写本, 1938.
- ^ Theodor K. Matsuura, “Notes on Tidal Folklore in the Tokyo Bay Area,” Studies in Japanese Vernacular Knowledge, Vol. 2, No. 2, 1965, pp. 88-101.
- ^ 鎌倉市史編纂室『埋立以前の記憶』第4巻第2号, 2001, pp. 141-149.
外部リンク
- 潮汐民俗アーカイブ
- 東京湾近代観測史研究所
- 港湾伝承データベース
- 龍和式風向盤復元委員会
- 湾岸怪異資料室