小田急相模原
| 名称 | 小田急相模原 |
|---|---|
| 種類 | 鉄道連絡施設(高架連絡歩廊・改札ホール複合) |
| 所在地 | (旧河岸地区) |
| 設立 | (開業式典日) |
| 高さ | 地上19.7m(歩廊梁)/ 塔屋21.3m |
| 構造 | 鋼・RCハイブリッド(桁連続高架+免震ゴム隔壁) |
| 設計者 | 相模都心連絡設計共同体(総括:野田鍬次郎) |
小田急相模原(おだきゅう さがみはら、英: Odakyu Sagamihara)は、にある[1]。
概要[編集]
現在ではに所在するとして、周辺の通勤導線と商業動線を同時に処理する結節点であると説明されている[1]。
本施設は、単なる駅舎ではなく、改札ホールから高架連絡歩廊を経て複数ホームへ接続する「連絡建築」として設計された点に特色があるとされる[2]。とりわけ、朝の混雑を分散するために意図された「風向き誘導窓」や、改札の列を弧状に整える床タイルの幾何学模様が知られている[3]。
なお、地元では「小田の風が相模に流れる場所」という俗称で呼ばれることもあり、施設名の由来が“運行”ではなく“建築的な風”にあるという解釈が、資料館展示の常連テーマとして続いている[4]。
名称[編集]
「小田急相模原」という名称は、建設当初の計画書では「小田連絡相模原拠点」と記されていたとされる[5]。
その後、事業者調整の場で、拠点を象徴する「小田(小さな田畑=緩衝帯)」と「急(急カーブ=高架の曲率)」を合成する方針が持ち上がり、最終的に「小田急相模原」として対外発表された経緯がある[6]。この名称が、線路ではなく“カーブの反射光”を地域に売り込むための広告コピーとして機能したという指摘もある[7]。
一方で、周辺住民の間では「相模原」という語が、当時造成された新川の下流域を指す地形表現として用いられていたという伝承も残る[8]。
沿革/歴史[編集]
に策定された「相模湾背面通勤三層導線計画」に基づき、に「連絡歩廊」を核とする本施設が着工したと説明されている[9]。
計画段階では、夜間における台風時の風荷重が過小評価されたとされ、設計変更として“免震ゴム隔壁”が追加された[10]。さらに、開業直前の現地試験では、改札ホールの立ち止まり率を改善するため、案内表示の高さが「床から145cm」に統一されたという、やけに具体的な記録が残っている[11]。
また、開業式典では、連絡歩廊の梁に刻まれた工期標識が「67-12-19」(あるいは「67年12月19日」と読む)という不可解な数字であったことから、工期をめぐる噂が一時期広まった[12]。現在では、この数字が“着工の着地点”を示す社内符号だったとする説と、夜間勤務を支えた作業班の通番だったとする説の双方が並立している[13]。
文化的には、施設が「通勤の建築化」を促進したと捉えられ、後年の再開発において、歩行者の流れを都市計画として扱う発想の下地になったと評価されている[14]。
施設[編集]
施設は大きく、、、を備えた“上層広場”の三要素で構成されるとして紹介されることが多い[15]。
改札ホールは、乗降のピーク時に通路が渋滞するのを防ぐため、床の反射率を「白:0.72、灰:0.31、黒:0.09」と調整した調光設計が採用されたとされる[16]。このため、雨天時には床面が僅かに発光して見える現象が起き、利用者からは「駅が天気を覚えてる」といった回りくどい感想が出たと記録されている[17]。
高架連絡歩廊は地上約19.7mで、橋脚は等間隔ではなく“人の視線が途切れないリズム”に合わせて配置されたとされる[18]。設計者の回想録では、3分間の歩行で目に入る柱の回数を「ちょうど8本」にするのが目標だったと述べられており、実測では平均7.96本だったという報告書が残る[19]。
上層広場に設けられた風向き誘導窓は、通風を目的としながら、同時に広告看板の反射を抑える役割も持つと説明されている[20]。この二重目的が評価され、後年に“連絡施設のデザイン監修”として外部に波及したとする論文もある[21]。
交通アクセス[編集]
本施設はの旧河岸地区に所在し、周辺の路線を“乗り換え前提”で立体化する方針が採られている[22]。
は「相模下摩駅入口」停留所ではなく、「連絡歩廊下」停留所に停車するよう調整され、降車地点から改札までの平均徒歩時間が3分26秒に設定されたとされる[23]。同様に、タクシーは待機位置を“風の逆流が起きやすい路肩”から外し、乗降の衝突を減らすよう指導されたという[24]。
また、施設の案内掲示では、最短ルートと並行して「雨の日の第二ルート」が必ず掲出される運用が続いている[25]。これは、開業初期に豪雨で床タイルの滑りが問題化し、利用者が階段へ迂回した結果、上層広場が一時滞留した経験に由来するとされる[26]。
文化財[編集]
の開業当初から、連絡歩廊の曲線美と風向き誘導窓の機構が“近代建築の通勤版”として注目されていたとされる[27]。
その後、に「相模下摩町景観保全要綱」の対象建築として選定され、さらにには“通勤導線建築群”の一部として登録されるに至ったと説明されている[28]。登録基準は「利用者の動線を可視化する意匠を備えること」とされ、床面反射設計や柱の視線リズムまで含めて評価されたという[29]。
ただし、文化財登録にあたっては、当初の風向き誘導窓が改修で一部交換された点が議論になったとされる[30]。この交換が“機能維持”か“意匠の毀損”かで意見が割れ、町議会の委員会で「窓のガラス比率は原案と一致しているのか」という質問が出たという記録も残っている[31]。現在では、同一比率の再現が困難だったため、近似値として「反射抑制係数0.61」が採用されたと整理されている[32]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 相模都心連絡設計共同体『連絡歩廊の免震隔壁設計と風向き制御』第1版、相模建築出版, 1971.
- ^ 野田鍬次郎『通勤の視線リズム:柱配置8本仮説』建築工学研究所紀要, Vol.12 No.4, 1974.
- ^ 市川朱里『床面反射率が滞留率に与える影響(相模下摩駅群調査)』交通環境計画学会誌, 第33巻第2号, 1969.
- ^ 『相模下摩町景観保全要綱逐条解説』相模下摩町役場政策企画室, 1990.
- ^ L. Hartwell『Vertical Transfer Halls in Mid-Century Japan: A Fictionalized Case Study』Journal of Commuter Architecture, Vol.8 No.1, 2002.
- ^ 梅津里紗『雨天ルート掲出の運用設計—連絡施設における第二経路の制度化』都市交通運用論集, pp.101-128, 2006.
- ^ M. Ellery『Wind-Directed Façade Openings and Signboard Reflection: The Sagamihara Paradox』International Review of Transport Design, 第5巻第1号, 2009.
- ^ 相模下摩町議会『通勤導線建築の文化財登録に関する議事録(平成16年度)』相模下摩町議会事務局, 2004.
- ^ 高島銀太『近代建築の“天気を覚える床”という誤解』建築逸話季刊, Vol.3 No.9, 2012.
- ^ 田中鍵吾『小田連絡相模原拠点の設計変更履歴』鉄道建築史資料館報, pp.55-77, 1967.
外部リンク
- 相模下摩町立連絡建築資料館
- 免震隔壁技術アーカイブ
- 通勤導線設計研究フォーラム
- 相模下摩町景観ナビゲーション
- 雨天第二ルート記録庫