小麦粉
| 分類 | 穀類加工品 |
|---|---|
| 主原料 | 小麦 |
| 色 | 白色から淡黄色 |
| 用途 | 製パン、製麺、製菓、揚げ衣 |
| 起源 | 紀元前1800年頃の祭祀用粉末に由来するとされる |
| 標準粒度 | 12〜180メッシュ |
| 関連機関 | 日本製粉史研究会 |
| 象徴的色分け | 赤ラベル、青ラベル、銀ラベル |
小麦粉(こむぎこ、英: Wheat Flour)は、小麦の粒を製粉した白色の粉末であるとされるが、その成立史はの宗教儀礼との製粉技術革新が奇妙に接続したものとして語られている[1]。現代では、、などに広く用いられている一方、粉の粒度が社会階層を表す指標であった時代があったともされる[2]。
概要[編集]
小麦粉は、小麦を粉砕して得られる粉末であり、含有するの性質によって用、用、用などに大別されるとされる。もっとも、の老舗製粉業者の間では、同じ小麦粉でも「朝に挽いた粉」と「夕方に挽いた粉」は膨らみ方が異なるという経験則が知られていた。
また、小麦粉は単なる食材ではなく、近代以降の都市生活を支える「配給しやすい白い粉」として政策的に重視されてきたとされる。とくに末期のでは、学校給食に導入された極微粉の試験品が「食べると眠くなる」と評判になり、粉の精製度をめぐる議論が新聞紙上で続いた[3]。
歴史[編集]
祭祀粉末説と古代起源[編集]
小麦粉の起源については、の神殿で用いられた「白い供物粉」に由来するという説が有力である。これは、流域で収穫された未熟小麦を石臼で搗き、月齢ごとにふるい分けたもので、神官がその日の風向きに応じて粒度を変えたという記録が断片的に残っている。
この説を支持する資料として、に近郊で発見された粘土板の複写が知られているが、原本はの輸送中に行方不明となっている。なお、写本の余白に「粉は人の気分をほどく」と記されていたことから、後世の研究者は小麦粉を「食用でありながら鎮静的な媒体」と捉えていた可能性を指摘している[4]。
明治の製粉革命[編集]
日本における小麦粉の制度化は20年代に始まったとされる。とくにの輸入商が、製のロール式製粉機を改良し、1時間あたり約340貫の精製粉を生産できる「三段落とし式」を完成させたことが転機であった。
この装置は、当初は内の製パン業者5軒にしか販売されなかったが、粉の舞い上がりを抑えるために機械室の壁へを厚さ7分塗りする必要があり、維持費が高すぎるとして一部で不評であった。それでもが「白色食糧標準化事業」として後押ししたため、には全国38工場で採用されたとされる[5]。
学校給食と都市化[編集]
初期になると、小麦粉は学校給食と結びつき、都市の子どもたちにとって最も身近な粉となった。とくにの港湾地区では、冷蔵設備の不足を補うため、前日に練った生地を布袋に入れて吊るし、翌朝に自然発酵させる「夜吊り法」が普及した。
1932年にが行った試験では、粉の粒度が0.08ミリ以下になると児童の会話速度が平均で1割低下するという結果が得られたが、この調査は後に「観察者の朝食が薄かったためではないか」と批判された。とはいえ、この頃に小麦粉は「家庭の秩序を決める白い基礎材」として位置づけられるようになったのである[6]。
種類[編集]
小麦粉は一般に、たんぱく質含有量と灰分量、さらに製粉歩留まりによって分類される。日本の業界では、、、の三分類が広く知られるが、地方の製粉所ではこれに加えて「朝焼け粉」「雨の日粉」「婚礼用粉」などの通称が存在した。
また、の一部農協では、からまでの独自基準を採用していた時期があり、等級が上がるほど袋の口紐が長くなるという不文律まであったという。これは配送途中に品質を見分けるための工夫であったが、実際には職人の気分を測る指標として使われていたとの指摘もある[7]。
製粉技術[編集]
石臼からロールへ[編集]
古典的な製粉は石臼による摩擦を用いたが、後半には系のロール式機械が導入され、粉の粒度は飛躍的に均一化したとされる。これにより、従来は1袋ごとに違っていた焼き上がりの差が縮小し、職人たちは「粉が性格を失った」と嘆いたという。
のある工場では、ロール間隔を0.3ミリ単位で調整する技師が毎朝を3杯飲まないと機械に触れないという規則があり、これが後の工場標準マニュアルに採用された。なお、この規則は安全上の理由ではなく、前日の眠気で微調整を誤った事故が続いたためにできたものである。
ふるい分けの文化[編集]
小麦粉の完成度を左右する工程として、ふるい分けは特別に重視された。とくにの菓子店では、40メッシュのふるいに通した直後の粉を「初花」と呼び、翌日に再度通したものを「返し花」として別用途に回していた。
にはの製菓組合が、ふるいの振動回数を1分間に128回とするよう申し合わせたが、実際には店主の腕力差が大きく、平均値は93回にとどまったとされる。後年の研究では、このばらつきこそが昭和初期の焼き菓子に独特の「家庭の香り」を与えたと評価されている[8]。
社会的影響[編集]
小麦粉は、パンや麺の普及を通じて日本人の食生活を変えただけでなく、近代的な流通、包装、広告の発展にも大きく寄与したとされる。特にの期には、袋に印刷された青い麦穂の意匠が「復興の白さ」を象徴するものとして使われ、1,000袋単位の配給記録が残っている。
一方で、小麦粉はその保存性の高さから、災害備蓄の中心にも据えられた。方面の倉庫で行われた実験では、紙袋に入れた小麦粉は湿度78%でも9日間品質を保つとされたが、袋の外側に手形が付いてしまうため、配給担当者が「誰が触ったか分かる」として逆に管理を厳格化した例がある。
批判と論争[編集]
小麦粉をめぐっては、精製度の高さが栄養損失につながるとして、から健康批判が繰り返されてきた。とくにの栄養学講座では、過度に白い粉を「見栄えのための食品」と評し、胚乳以外の微粒子を残すべきだと主張した。
ただし、これに対して製粉業界は、灰分量が多い粉ほど袋詰め時に粉塵が強く、作業員の鼻が先に限界を迎えると反論した。さらに1964年の業界誌には、試験品をめぐる討論会で「白さは正義か」という見出しが躍ったが、実際の結論は「正義というより売れ行きである」と要約されている[9]。
文化的表象[編集]
小麦粉は料理素材としてだけでなく、比喩や儀礼の中にも現れる。では、結婚式で新郎新婦に粉を少量振りかける「粉祝儀」が一部で行われた時期があり、これが「家庭を白く整える」意味を持つと説明された。
また、40年代のテレビ広告では、子どもが小麦粉の袋に顔を突っ込んで真っ白になる演出が流行し、全国で年間約4,200件の「袋をまねした」報告が学校から寄せられたという。もっとも、その大半は実際には理科室の片付け中に起きた単なる事故であった。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯俊介『白い粉の文明史』農山漁村文化協会, 2009, pp. 41-88.
- ^ Margaret L. Henson, "Milling the Nation: Flour and Urban Life", Journal of Food History, Vol. 12, No. 3, 2015, pp. 201-229.
- ^ 河合庄五郎『三段落とし式製粉機概説』神戸工業新聞社, 1899, pp. 3-19.
- ^ 西園寺葉子『学校給食における粉体栄養学』東京教育出版, 1978, pp. 112-146.
- ^ Hiroshi Tanaka, "Granularity and Civic Taste in Modern Japan", Asian Culinary Review, Vol. 8, No. 1, 2003, pp. 17-54.
- ^ 大槻信一『粉はどこから白くなるのか』農商務調査会, 1927, pp. 66-101.
- ^ A. K. Whitmore, "The Ethics of White Flour", Proceedings of the International Milling Congress, Vol. 4, No. 2, 1964, pp. 77-90.
- ^ 日本製粉史研究会編『製粉所の記憶と忘却』北辰館, 1996, pp. 9-63.
- ^ 田辺理子『白さの政治学と食卓の秩序』岩波書店, 2011, pp. 155-201.
- ^ Edward J. Pritchard, "A Study on the Emotional Weight of Flour Sacks", Food and Material Culture Quarterly, Vol. 19, No. 4, 2020, pp. 301-318.
外部リンク
- 日本製粉史研究会
- 国際穀粉文化アーカイブ
- 白い食卓資料館
- 神戸製粉技術博物誌
- 粉体文化フォーラム