尻塩
| 名称 | 尻塩 |
|---|---|
| 読み | しりしお |
| 別名 | 臀部加塩法、港尻塩 |
| 起源 | 18世紀後期の相模湾沿岸とされる |
| 主な担い手 | 塩田職人、港湾仲買、民間療法家 |
| 用途 | 製塩、保温、腰痛緩和、符牒 |
| 衰退 | 明治期の衛生行政とともに減少 |
| 関連地域 | 神奈川県、千葉県、瀬戸内海沿岸 |
尻塩(しりしお)は、の沿岸部で発達したとされる塩製法およびそれに付随する民間療法、ならびに後期の港湾労働者の間で使われた隠語である。一般には臀部に海塩を当てて体温と湿気で結晶を変化させる技法として知られている[1]。
概要[編集]
尻塩は、塩田で採取した粗塩を布袋に詰め、臀部の皮膚表面に短時間あてて湿度と体温を利用し、粒径を均一化させるとされる技法である。実際には製塩工程の周辺作業にすぎなかったともいわれるが、港湾労働者のあいだでは「腰を温めれば塩が立つ」との経験則が重視された[2]。
また、尻塩は単なる塩づくりではなく、船荷の遅延を示す符牒としても用いられたとされる。たとえば「今日は尻塩が要る」は、倉庫の湿気が強く再乾燥が必要であることを意味し、外部の目を避けるために使われたという。なお、この符牒体系はの開港後に急速に広まったとする説が有力である。
歴史[編集]
起源伝承[編集]
尻塩の起源については、年間にの塩浜で起きた「夜半の潮返し」に由来するという説がもっとも有名である。記録上は、塩桶を運ぶ女性作業員が長時間の立ち仕事で腰を痛め、偶然尻に当てた温塩袋が結晶の乾燥を早めたことから始まったとされる[3]。この逸話は『浜口家日記』に記載があるとされるが、原本の所在は不明である。
一方で、の漁村では、干し網の下に塩袋を置く「下尻法」が先行していたとも伝えられる。こちらは臀部というより座布団のように使うもので、後年の民間療法化の際に解釈が拡大されたとみられている。
制度化と普及[編集]
5年頃、の廻船問屋・藤堂庄右衛門が、尻塩を工程表に組み込んだ「湿塩再生法」を考案したとされる。彼は一回あたりの接触時間を「七拍から九拍」と定め、潮風の強い日はから呼び寄せた記録係に計測させたという[4]。この細かな規定が、後の職人文化における冗談半分の模範となった。
には経由で外洋船の乗組員にも伝わり、英語で butt-brine technique と俗称されたとする船員記録がある。ただし、この訳語は20世紀に後付けされた可能性が高く、研究者の間では「翻訳された嘘」ではないかと議論されている。
明治以降の再解釈[編集]
期になると、衛生局が尻塩を「不衛生な民間温罨法」として警戒した一方、地方の診療所では腰痛用の温塩法として密かに継続された。とくにの一部農村では、田植え前の膝痛対策として臀部ではなく太腿に移す「尻塩転用法」が生まれ、これが今日の温熱パッドの原型になったという説もある[5]。
初期には、の博覧会で「生活改良の一例」として短時間だけ展示され、来場者の笑いを誘った。展示札には「作業能率を損なわず、塩の気脈を整える」と記されていたが、実演はあまりに誤解を招くとして2日で撤去されたとされる。
技法[編集]
尻塩の基本は、粗塩を白木の器に入れ、麻布で二重に包み、人体の下半身で生じる微弱な蒸気循環を利用する点にあるとされる。熟練者は塩の粒音を聴き分け、湿度が高い日は「三度打ち」、乾燥している日は「一度寝かせ」を行ったという[6]。
最も奇妙なのは、塩の質を判断するために、作業者が左右どちらの尻で当てたかを記録したという慣習である。右尻で処理した塩は「航海向き」、左尻で処理した塩は「保存向き」とされたが、この区別に科学的根拠はない。ただしの古い倉庫帳には、塩俵ごとに「右」「左」の朱書きが残っているとされ、民俗学者のあいだで妙な人気がある。
社会的影響[編集]
尻塩は、塩そのものよりも「身体を道具として使う」という発想に影響を与えたとされる。これにより、港湾地域では腰巻き、温罨法、砂浴などの身体技法が互いに結びつき、独特の作業文化が形成された。とくにの一部では、冬季の作業前に「尻塩を切る」と称して、座って湯気を当てる習慣があったという[7]。
一方で、衛生観念の近代化により、尻塩は「滑稽な旧習」として戯画化された。大正末期の寄席演目では、塩問屋を題材にした滑稽噺の小道具として登場し、そこから「尻塩みたいな話」という比喩表現が生まれたとされる。これは根拠が薄いが、地方紙の投書欄にはたしかに同様の用例が散見される。
批判と論争[編集]
尻塩をめぐっては、そもそも実在したのかという根本的な疑義がある。民俗学者の渡会敬三は、の論文で「尻塩は港湾労働の比喩表現が後年に物理技法へ転化した可能性が高い」と述べ、実態より語感が先行した概念だと指摘した[8]。
また、には健康雑誌が「古代の温塩美容法」として紹介したため、温泉旅館や健康器具メーカーが便乗し、座布団型の加温器が大量に売られた。これに対し、は「尻塩の再商品化は史料批判を欠く」と抗議したが、結果として知名度だけが不自然に上がったとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 藤堂庄右衛門『湿塩再生覚書』川崎廻船書房, 1805年.
- ^ 渡会敬三「尻塩俗伝の形成」『民俗と衛生』Vol.12, No.3, pp. 44-61, 1958年.
- ^ Margaret A. Thornton, “Butt-Brine Techniques in Coastal Japan,” Journal of Maritime Folklore, Vol. 7, No. 2, pp. 113-129, 1971.
- ^ 浜口静枝『三浦浜口家日記集成』神奈川地方史料刊行会, 1929年.
- ^ 小野寺克己「港湾符牒としての温塩法」『日本港史研究』第18巻第4号, pp. 201-219, 1966年.
- ^ R. H. Ellison, “Salt, Seat, and Steam: A Curious Practice,” Pacific Ethnography Review, Vol. 4, No. 1, pp. 5-18, 1983.
- ^ 佐伯みどり『近代衛生行政と民間温罨法』東京保健出版, 1994年.
- ^ 高瀬一郎「『尻塩』と書いて何と読むか」『ことばと暮らし』第9巻第1号, pp. 77-83, 2002年.
- ^ 日本民俗衛生協会編『生活技法の境界』日本民俗衛生協会出版部, 1976年.
- ^ Claire Dubois, “The Thermal Use of Brine in Port Communities,” Revue d’Anthropologie Maritime, Vol. 11, No. 4, pp. 301-318, 1990年.
外部リンク
- 日本港湾民俗資料館
- 相模湾生活技法アーカイブ
- 民間温塩法研究会
- 尻塩口承史デジタルコレクション
- 横浜近代衛生史センター