尾嶋 千明
| 氏名 | 尾嶋 千明 |
|---|---|
| ふりがな | おじま ちあき |
| 生年月日 | 1918年4月7日 |
| 出生地 | 日本・東京都神田区(現・千代田区周辺) |
| 没年月日 | 1984年11月2日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 民俗学者、統計家、路地帳編集者 |
| 活動期間 | 1939年 - 1981年 |
| 主な業績 | 路地帳法の提唱、細街路分布図の作成、歩幅換算式の体系化 |
| 受賞歴 | 日本記録民俗協会功労章、都市観察学会特別賞 |
尾嶋 千明(おじま ちあき、 - )は、の民俗計量家、ならびに研究の先駆者である。とくに内の裏通りにおける歩幅・曲率・滞留時間の関係を定式化した人物として広く知られる[1]。
概要[編集]
尾嶋 千明は、戦前から戦後にかけて活動した日本の民俗計量家である。の路地を対象に、通行人の歩行速度、商店の開閉頻度、雨天時の傘の傾きまでを数値化したことで知られる[2]。後年はの周辺資料をもとに、都市の裏通りを「文化の沈殿層」とみなす独自の理論を打ち立てた。
その研究は一見するとやに近いが、実際にはととを組み合わせた極めて個人的な方法論に支えられていた。なお、尾嶋が編んだとされる『路地帳』は、版で全本の路地を収録したとされるが、改訂のたびに本数が増減しており、最終版ではなぜか本に戻っている[要出典]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
尾嶋は、の古書店街に近い長屋で生まれた。父の尾嶋善之助は帳場を手伝う紙問屋の下働き、母のハルは銭湯で番台を務めていたとされる。幼少期の千明は、買い物帰りに路地を一本ずつ記録する癖があり、の遠足でも集合地点までの最短経路ではなく「曲がり角の数が最も多い道」を選んだという逸話が残る。
にはへの進学を志したが、家計の事情により断念し、代わりにの区画整理補助員として働き始めた。この時期、彼女は行政文書の余白に路地の幅員を記入する習慣を身につけ、後の路地帳法の原型が形成されたとされる。
青年期[編集]
、尾嶋はの臨時調査員となり、からにかけての小径調査を担当した。ここで彼女は、同じ路地でも朝・昼・夜で通行人数が大きく変動することに着目し、時間帯別に路地を三段階で評価する「三色通行法」を考案した[3]。
にはの外郭研究会に出入りし、と呼ばれる狭い通路の連続性が町内会の結束に与える影響を報告した。研究会の議事録には、尾嶋が「路地は単なる空隙ではなく、記憶の通貨である」と述べた記録があるとされるが、当該原稿は戦災で焼失したとも、彼女が自ら持ち帰ったとも言われている。
活動期[編集]
、尾嶋はの復興計画に対し、路地を一括で消去せず、幅員未満の通路を「保存的細街路」として残すべきだと主張した。これがきっかけで、に『都下細街路分布試案』が発表され、都市の空洞化を防ぐ施策として一部の自治体職員に参照された[4]。
には代表作とされる『路地帳・東京三区編』を刊行し、の路地を、入口の材質・曲がり角の角度・夕方の猫の出現率によって分類した。この本は学術書というよりも帳面に近く、各頁の余白に「飴玉を売る老婆」「井戸端で沈黙する少年」などの観察メモが数百件も書き込まれていた。
さらに、尾嶋はのラジオ番組に出演し、全国の視聴者から寄せられた「自宅前の路地がどの型に属するか」という葉書を集計した。結果、のうち実際に現地確認が行われたのはにすぎなかったが、尾嶋は「現地性とは往々にして統計の後から追いつく」と応じたと伝えられている。
晩年と死去[編集]
に入ると、尾嶋はの再開発計画に関与し、路地の保存と新設の折衷案を提示した。もっとも、本人は会議のたびに定規ではなく木製の箸を取り出して幅を測り、参加者を困惑させたという。晩年にはの喫茶店に定位置を持ち、午後三時になると必ず「今日は路地が縮んでいる」と言って退席した。
11月2日、尾嶋は東京都内の病院で死去した。享年。死因は心不全とされるが、晩年まで使っていた路地帳のページが増えすぎたため、机が傾いていたこととの関連を指摘する者もいる[要出典]。墓碑には「曲がり角、なお深し」と刻まれたとされる。
人物[編集]
尾嶋は寡黙である一方、観察対象に対して異様に細やかであった。人と会話する際も、相手の出身地を問う前に足音の回数を数える癖があったといい、弟子筋には「まず靴底を見よ」と教えたという。
また、尾嶋はとを常に携帯し、雨の日には傘ではなく和紙の帽子を用いた。これは「路地に対して過剰に武装してはならない」という持論によるもので、実際には周囲からかなり奇妙に見えたとされる。
逸話として有名なのは、の地下道で迷った際、三時間かけて出口を探す代わりに、その場で地下道を「第七類・半閉鎖型路地」として記録した事件である。この記録は後にで高く評価されたが、同行者は全員帰宅が遅れた。
業績・作品[編集]
路地帳法[編集]
尾嶋の最大の業績は、路地を単なる地理情報ではなく、通行者の記憶や商いの痕跡を含む複合単位として扱うを提唱したことである。路地帳法では、幅員、舗装、看板の数、立ち話の継続時間の四要素を基礎に、AからGまでの七段階評価を行う。
この方式は一部の研究者に引用され、にはの旧市街調査に応用された。ただし、計測者によって「立ち話の継続時間」の定義がばらつき、を超えると立ち話か会議かの判定が難しいという問題が指摘された。
代表的著作[編集]
代表作には『路地帳・東京三区編』『細街路の気象学』『通行人の沈黙と商店の戸板』などがある。とくに『細街路の気象学』は、にから刊行された体裁であるが、実際にはが混在しており、目次の章題と本文が一致しない箇所が多い。
また、未刊とされる『全国路地踏査図鑑』は構想だったが、刊行されたのは第巻「東日本編」のみで、しかも途中からばかりになる。編集者はこれを「資料の吸引力」と呼んだが、尾嶋本人は特に修正しなかった。
社会的影響[編集]
尾嶋の研究は、だけでなく、やにも影響を与えたとされる。頃には、路地の曲がり角に鏡を置くと滞留時間が増加するという尾嶋式観測が流行し、全国の自治体で試験導入された。
一方で、路地を細かく分類しすぎるあまり、町名より先に型番で呼ぶ住民が現れたことから、「人間生活を記号に還元しすぎる」との批判もあった。それでも尾嶋は「分類は支配ではなく、迷いを減らすための親切である」と述べたとされる。
後世の評価[編集]
尾嶋は死後しばらく、の一分野に埋もれた存在であった。しかし以降、やの再評価により、彼女の記録法が「データと感覚の中間にある希有な実践」として注目された。
にはの関連企画で尾嶋のノートが展示され、来場者の間で「数字が多いのに妙に情緒がある」と評された。なお、展示されたノートの一冊には、39年9月14日の欄だけが空白になっていたが、学芸員は「路地が消えた日」と説明したという。
学界では、尾嶋をの祖型とみなす説と、むしろ観察文学の書き手とみなす説が併存している。いずれにせよ、尾嶋の名はからにかけての細街路を語る際、いまも半ば伝説として引用される。
系譜・家族[編集]
尾嶋の父・尾嶋善之助は紙問屋の帳場係、母・ハルは銭湯の番台であったとされる。兄弟は弟が一人おり、こちらはの職員となったが、終生、姉の路地帳を「駅のない地図」と呼んでからかっていた。
に尾嶋はと婚姻したとされ、子は一男一女である。長男の尾嶋義彦は後にへ進み、娘の尾嶋由里はを学んだ。家族は尾嶋の調査にしばしば同行したが、家計簿まで路地型に分類されるようになり、晩年には家庭内でも「この夕飯はC型路地に似ている」といった発言があったという。
なお、尾嶋家の系譜については資料が断片的で、親族会の名簿と本人の口述記録が一致しない箇所がある。もっとも、当人が親戚の人数より路地の数を優先して記録していたためであると見る向きもある。
脚注[編集]
[1] 尾嶋 千明の生年・没年については、編『尾嶋千明資料集成』に依拠した。
[2] 内の裏通り調査については、の年報に複数の記録がある。
[3] 三色通行法は、後半の講演録にのみ現れる概念であり、正式な論文は確認されていない。
[4] 『都下細街路分布試案』は初版と再版で図版の枚数が異なり、とされる箇所が多い。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 尾嶋路地帳研究会『尾嶋千明資料集成』路地文化出版, 1998.
- ^ 佐伯文雄『戦後都市における細街路観察』都市民俗社, 2004, pp. 41-68.
- ^ Margaret H. Nolan, "Alley Metrics and Memory Traces," Journal of Urban Folklore, Vol. 12, No. 3, 1971, pp. 201-229.
- ^ 北原俊平『路地帳法入門』みすず書房, 1987.
- ^ 田所美砂『神田・浅草の記録文化』岩波書店, 2001, pp. 115-139.
- ^ Yoshio Kanda, "The Classification of Narrow Streets in Postwar Tokyo," Tokyo Studies Review, Vol. 8, No. 1, 1969, pp. 5-27.
- ^ 尾嶋千明『細街路の気象学』講談社, 1961.
- ^ 西園寺あや『観察する都市、歩く民俗』東京大学出版会, 2010, pp. 77-104.
- ^ Eleanor B. Finch, "Pedestrian Silence and the Ethics of Measurement," Review of Japanese Urban Studies, Vol. 5, No. 2, 1983, pp. 88-113.
- ^ 『全国路地踏査図鑑 第1巻 東日本編』日本踏査協会, 1964.
- ^ 高瀬真一『町角の統計学とその周辺』青土社, 1995, pp. 9-31.
外部リンク
- 路地帳研究会アーカイブ
- 都市観察学会デジタル年報
- 神保町民俗資料室
- 細街路文化フォーラム
- 東京裏路地史資料館