山下哲朗
| 氏名 | 山下 哲朗 |
|---|---|
| 画像 | Tetsuro_Yamashita_2019.jpg |
| 画像サイズ | 280px |
| 画像説明 | 2019年の神戸市民体育館での公開練習 |
| 愛称 | 鉄梯子(てつはしご) |
| 生年月日 | 1984年7月18日 |
| 出身地 | 兵庫県姫路市 |
| 身長 | 181 cm |
| 体重 | 74 kg |
| 国籍 | 日本 |
| 背番号 | 12 |
| ポジション | ポインター |
| 所属チーム/クラブ | 神戸ブルーフィン |
| 利き手/利き足 | 右投左打 |
| medaltemplates | 2016 リオデジャネイロ 団体銀 |
山下 哲朗(やました てつろう、[[1984年]]〈[[昭和]]59年〉[[7月18日]] - )は、[[兵庫県]][[姫路市]]出身の[[プロラダー選手]]([[ポインター]])。右投左打。[[日本プロラダーリーグ]]の[[神戸ブルーフィン]]所属。[[2016年リオデジャネイロ大会]]で団体銀メダルを獲得し、同年にMVP に選ばれたことで知られる[1]。
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
山下はの市立城北第二小学校でに出会ったとされる。地元の町内会が年1回だけ設営する仮設コースで、当時の記録係を務めたの職員が、彼の「3段目で一度も視線を外さない癖」を見て競技転向を勧めたという[要出典]。
その後、に進学し、で3年連続優勝を果たした。とくに[[2001年]]の大会では、前夜の降雨により梯子の塗装がわずかに滑りやすくなっていたにもかかわらず、自己ベストを更新する11.42秒を記録し、地元紙の一面で「雨に強い男」と報じられた。
所属チーム別の経歴[編集]
[[2003年]]、にドラフト1位で入団し、プロ入りを果たした。新人ながら開幕戦で[[初出場]]を果たし、終盤の「着地後の1歩目」に関しては当時の監督であるから「競技の半分は視線管理である」と評された。
[[2008年]]には一度へ移籍したが、ポインターの人材が不足していた神戸側の要請もあり、翌年に再びへ復帰した。この復帰は、リーグ史上まれな「契約書の両面にサインした移籍」として語られている。[[2014年]]からは主将を務めた。
[[2019年]]にはチームにより公式アンバサダー兼選手に就任し、試合出場と同時に若手の梯子設計指導も担うようになった。なお、彼の担当した練習用ラダーは、段幅が通常より7ミリ狭く、選手会で一時議論を呼んだ。
代表経歴[編集]
山下は[[2006年]]にに選出され、[[アジア・ラダー選手権]]で国際デビューを果たした。初出場ながら4位に食い込み、同年のによる技術統計では、最終段での減速率が0.18秒と大会平均を大きく下回った。
[[2012年]]のでは団体戦の補欠登録であったが、前日の練習中に主力選手が足首を痛めたため、急遽出場となった。ここで見せた「第2支柱を使わない片手接触」が評価され、以後、代表では危機対応型ポインターとして定着した。
[[2016年]]のでは主将として団体銀メダルを獲得し、同年にの年間MVP に選ばれた。決勝では0.03秒差で金メダルを逃したが、最後の段で帽子が落ちなかった選手は彼だけだったとされる。
選手としての特徴[編集]
山下は、競技ラダーにおける「足運びの静音性」で知られている。踏面に触れた瞬間の音が極端に小さいため、会場内では審判が視認より先に彼の通過を察知するといわれた。
また、右投左打という珍しい利き方がそのまま競技フォームにも反映され、上半身のねじれを最小化した「斜行上体法」を完成させた。これはの測定で、平均心拍数を3.6拍/分ほど下げる効果があると報告されたが、当の本人は「たまたま姿勢が悪いだけ」と語っている。
一方で、発進直後に一度だけ踵を止める癖があり、ファンの間では「哲朗の間」と呼ばれている。この一拍があることで、逆に加速時の安定性が増すとされるが、実戦では審判によって判定が割れることもあった。
人物[編集]
山下は寡黙な性格として知られるが、試合前だけは妙に細かい。遠征先のホテルでは、必ず梯子の金属音を確認し、朝食のゆで卵を食べる順番まで決めていたという。
のアジア遠征では、の競技場裏にあった工具倉庫の前で30分ほど立ち尽くし、「本当のラダーは使う者の呼吸で決まる」とメモに書いた。これが後年、彼の著書『段差の思想』の草稿になったとされる。
また、地元では祭礼の山車を毎年見に来る有名人としても知られ、町内会では「山下が来ると屋台の傾きが直る」と半ば迷信のように語られていた。なお、本人は極端な高所恐怖症で、2.5メートル以上の足場には今も慣れないという。
記録[編集]
タイトル[編集]
[[2007年]]、[[2009年]]、[[2013年]]の個人総合タイトルを獲得した。とくに[[2009年]]は、序盤3戦で合計0.41秒の遅れを喫しながら、終盤5連勝を果たして逆転優勝を決めた。
また、通算8回の月間最優秀選手を受賞しており、そのうち4回は「風向きの変化に最も強い選手」として選ばれた。
表彰[編集]
[[2016年]]にはを受け、翌年にはを受賞した。さらに[[2020年]]、を授与され、受章式では市長が「梯子をここまで文化にした例はない」と挨拶した。
一方で、[[2018年]]にから「競技用具の美学的統一性」について特別表彰を受けたことは、同連盟の規程上きわめて異例であった。
代表歴・個人記録[編集]
代表通算は92試合出場、18得点、アシスト41とされる。ラダー競技においては得点よりも支柱接触回数が重視されるが、山下は4大会連続で接触率90%超を維持した。
個人記録では、[[2014年]]の国内選手権で「12連続段抜け成功」を達成し、これは現在もリーグ記録である。また、[[2017年]]には試合中の最高到達速度24.8km/hを記録したが、計測器が一部手作業だったため、公式記録集では小さく「参考値」と書かれている。
出演[編集]
山下は現役時代からへの出演が多く、特にのテレビCM「登るなら、段は静かに。」は全国的な反響を呼んだ。CMでは無言のまま15秒で3種類のラダーを渡り切り、最後に「足音は、嘘をつかない」とだけ言う構成であった。
また、のスポーツ番組『あしたの段差』や、の情報番組『よんでよろしいですか』にたびたび出演した。[[2018年]]にはの年末特番で、巨大ラダーの上でお笑い芸人と早歩き対決を行い、勝敗よりも「芸人側が途中で靴ひもを結び直した」ことのほうが話題になった。
出演料の一部はに寄付されていたとされ、これが競技ラダーの普及活動につながったという。
著書[編集]
著書には、競技論と随筆を兼ねた『段差の思想』([[2017年]]、)がある。発売初週で1.8万部を記録し、アスリートの自伝としては異例のロングセラーとなった。
ほかに『静かな足音』([[2021年]]、)や、『ポインター論序説 まずは三段目から』([[2023年]]、同社)があり、後者はタイトルの妙に学術的な響きから大学の図書館に誤配された例が報告されている。
なお、[[2024年]]に刊行された『山下哲朗のラダー日誌 365日』は、本人のメモをほぼそのまま活字化したもので、ページの半分以上が「段の湿度」「金具の冷え方」などの観察記録で占められている。
背番号[編集]
山下の背番号は12である。本人は[[2003年]]の入団会見で「12段目までに勝負が決まる」と語ったことからこの番号を選んだとされる。
ただし、[[2008年]]の在籍時のみ背番号18を着用していた。これは当時の12番が契約上「若手優先枠」に指定されていたためで、復帰後は再び12番に戻っている。
ファンの間では12番のユニフォームを逆さまに掲げる応援が定着しており、ホーム戦ではしばしば「12段の奇跡」と呼ばれる現象が起きたという。
脚注[編集]
注釈
[1] リオ大会の団体銀メダルについては、公認記録集で確認できるが、当日の気温補正値の扱いをめぐって一部記述に差異がある。
[2] 斜行上体法の効果についてはの内部報告書が出典とされるが、公開版には同名の図版が掲載されていない。
出典
山田隆志『現代ラダー競技史』, 2018年.
木下瑞穂『段差の美学と身体制御』, 2020年.
H. K. Ellison, “Pointer Dynamics in Urban Ladder Sports”, , Vol. 14, No. 2, 2017, pp. 41-66.
中村一成『日本プロラダーリーグ十年史』, 2019年.
Suzanne Miller, “Silent Footwork and Competitive Balance”, , Vol. 22, No. 4, 2018, pp. 112-139.
兵庫県スポーツ振興課編『兵庫の競技文化資料集』, 2021年.
田辺雅也『梯子と戦術—ポインターの実践記録—』, 2016年.
R. Sato, “A Study of the 12-Step Split and Its Unofficial Chronometry”, , Vol. 3, No. 1, 2022, pp. 5-19.
『スポーツ年鑑 2016』, 2016年.
神戸ブルーフィン広報室『選手名鑑 2019』, 2019年.
鈴木綾『なぜ山下哲朗は音を立てないのか』, 2024年.
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
神戸ブルーフィン公式プロフィール
日本ラダー連盟 選手紹介
姫路市スポーツ名鑑
スポーツアーカイブ・ラダー年鑑
山下哲朗ファン倶楽部
脚注
- ^ 山田隆志『現代ラダー競技史』朝日スポーツ出版, 2018年.
- ^ 木下瑞穂『段差の美学と身体制御』岩波書店, 2020年.
- ^ H. K. Ellison, “Pointer Dynamics in Urban Ladder Sports”, Journal of Applied Athletic Studies, Vol. 14, No. 2, 2017, pp. 41-66.
- ^ 中村一成『日本プロラダーリーグ十年史』講談社, 2019年.
- ^ Suzanne Miller, “Silent Footwork and Competitive Balance”, Sports Science Review, Vol. 22, No. 4, 2018, pp. 112-139.
- ^ 兵庫県スポーツ振興課編『兵庫の競技文化資料集』兵庫県庁, 2021年.
- ^ 田辺雅也『梯子と戦術—ポインターの実践記録—』学研プラス, 2016年.
- ^ R. Sato, “A Study of the 12-Step Split and Its Unofficial Chronometry”, International Ladder Journal, Vol. 3, No. 1, 2022, pp. 5-19.
- ^ 『スポーツ年鑑 2016』毎日新聞社, 2016年.
- ^ 鈴木綾『なぜ山下哲朗は音を立てないのか』新潮社, 2024年.
外部リンク
- 神戸ブルーフィン公式サイト
- 日本ラダー連盟 公式記録室
- 姫路市スポーツアーカイブ
- 日本競技資料博物館
- 山下哲朗後援会 公式ページ