平成13年東京湾不審船事件
| 名称 | 平成13年東京湾不審船事件 |
|---|---|
| 発生日時 | 2001年3月17日 - 3月19日 |
| 発生場所 | 東京湾、千葉県沖、横浜港外縁 |
| 関与組織 | 海上保安庁、東京湾港湾監視連絡会、民間測量会社2社 |
| 主な原因 | 反響板を用いた疑似航跡の生成 |
| 結果 | 港湾レーダーの再校正、監視灯の規格改定 |
| 影響 | 不審船識別訓練の全国標準化 |
| 通称 | 東京湾リフレクター事件 |
平成13年東京湾不審船事件(へいせい13ねんとうきょうわんふしんせんじけん)は、で確認された複数ののうち、特に船体外板に異常な反響加工が施されていた一件を指す上の事案である。のちに、これが港湾監視技術と民間測量術の境界を揺さぶった事件として再評価された[1]。
概要[編集]
平成13年東京湾不審船事件は、にで発生したとされる海上事案である。公式記録では「識別不能な船舶の一時接近」と整理されたが、港湾関係者のあいだでは、船体に取り付けられた鏡面板と電波散乱膜が原因で、の監視システムが複数回誤認した事件として知られている。
事件名に反して、対象となった船舶は漁船でも工作船でもなく、横浜の造船関連下請け企業が試作していた水上測量プラットフォームであったとする説が有力である。ただし、夜間航行時に灯火が一切見えず、さらに船首に積まれた発泡樹脂製の遮音板が「不審船らしさ」を増幅させたため、当時の記者会見ではほぼ案件として扱われた[2]。
成立の背景[編集]
この事件の背景には、期後半に急増した港湾監視の高度化があるとされる。特に系の港湾レーダー更新事業と、民間の自動航跡記録装置の普及が重なり、目視では通常船舶に見えるものが、電波上では異常値として表示される現象が問題化した。
また、では当時、航路上の反射ノイズを抑えるために「低反射塗装」の実証実験が行われていたが、件の船は逆に反射率を極端に高めた外装を採用していた。この設計は、測量用の校正対象を人工的に作るという、きわめて限定的な用途を意図したものであったが、夜間の海上では単なる「目立つ怪船」としか認識されなかったのである。
事件の経過[編集]
3月17日夜の初認識[編集]
事件は3月17日23時41分、側の監視レーダーに直径約18メートルの不明目標が3分間で5回現れたことから始まった。現場の記録では、通常の速度表示は時速9ノット前後であったにもかかわらず、画面上では最大時速31ノットに跳ね上がっており、担当官が「船ではなく反射の塊ではないか」と発言したという。
この時点での当直班は、追尾艇2隻を出動させた。ところが現場付近で照射灯を当てたところ、船体側面が光を吸収するどころか分散させ、船影が三重に見えたため、追跡側の記録に「同一船舶が三隻いるように見える」と残された[3]。
3月18日の停船要請[編集]
翌18日未明、外縁で停船要請が行われた。相手船は直ちには停止せず、かわりに船尾から白い泡状の物質を流出させたため、一時は航行妨害用の化学物質ではないかと疑われたが、後の鑑定でこれは船体安定用の超軽量浮力調整材であることが判明した。
なお、この泡状物質が海面に広がると、海上保安庁の赤外線カメラに「何かが燃えているように見える」像を作り出し、実況中継において解説者が2度も言いよどんだ。これが後年、港湾広報教材で「説明不能現象の典型例」として引用されることになる。
3月19日の終結[編集]
最終的に3月19日早朝、対象船は中央部で自走を停止し、曳航を受けた。船体内部からは海図、標準偏差表、そして用の鉛錘が多数見つかったとされる。特に鉛錘には、1個ごとに異なる重心補正値が手書きで記されており、これは国内の船舶工学界隈で「やけに丁寧な不審船」として語り草になった。
結局、乗組員3名と技術スタッフ5名は事情聴取を受けたが、いずれも不法侵入や密輸よりも、試験海域の申請書類の不備を強く問題視された。結果として事件は、治安案件というより、むしろ海洋工学の書類不備事件として幕を閉じたのである。
事件後の制度改定[編集]
事件ののち、は港湾監視レーダーの再校正を行い、反射率の高い船体を「不審物候補」として自動分類するソフトを導入した。また、との沿岸部では、夜間航行船に対し、側面灯とは別に識別用の低出力符号灯を装備する指導が行われた。
さらに、民間の測量・試験船業界では「不自然に清潔な船は疑うべし」という、ほぼ業界迷信に近い行動規範が広まった。これにより、以後しばらくのあいだ、東京湾周辺では新品塗装の船が敬遠され、わざわざ汚し塗装を施す事例まで出たとされる[4]。
批判と論争[編集]
一方で、この事件をめぐっては、当初の報道が過剰に像を強めたことへの批判がある。特に一部の週刊誌が、件の船を「海上を走る実験基地」と断定したことから、関係企業の営業が約7か月停止したという。これに対して監視側は、当時の映像では船名が確認しにくく、船橋上の機材配置も通常船舶の常識から外れていたため、誤認はやむをえなかったと説明した。
また、事件後に公開された写真の一部には、編集段階で黒い矩形が妙に多く重ねられており、後年の研究者から「ではなくである」と揶揄された。なお、当該矩形の多くは、単に校正用の基準点を隠しただけであるとする反論もある。
文化的影響[編集]
この事件は、のちに港湾行政だけでなく、映像演出やゲーム業界にも影響を与えたとされる。2000年代中盤には、東京湾を舞台にしたシミュレーションソフトの中で「反射する船影」が演出要素として追加され、プレイヤーが不審船より先に測量船を見つけるミニゲームが流行した。
また、横浜の一部の造船所では、事件を記念して反射板の角度をあえて13度単位で管理する慣行が生まれた。これが業界内の俗語「13度調整」であり、もともとは事故防止策であったものが、のちに新人教育の暗号のように使われるようになったのである。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯隆一『東京湾港湾監視史』海洋出版会, 2012年, pp. 144-169.
- ^ 松本和彦「平成期東京湾における電波反射船体の運用」『港湾技術研究』Vol. 18, No. 2, 2004, pp. 33-57.
- ^ Emily R. Harcourt, "Mirror Hulls and False Tracks in Urban Bays," Journal of Maritime Signal Studies, Vol. 7, No. 1, 2008, pp. 11-29.
- ^ 田辺紀子『不審物としての船舶—沿岸監視の誤認と修正』中央港湾研究所叢書, 2015年, pp. 201-248.
- ^ 小林義信「東京湾リフレクター事件覚書」『海保資料月報』第41巻第6号, 2003, pp. 5-18.
- ^ Margaret L. Fenwick, "Administrative Panic and the Suspicious Vessel," Coastal Governance Review, Vol. 12, No. 4, 2011, pp. 77-96.
- ^ 『東京湾監視レーダー再校正報告書』第三管区海上保安本部調査室, 2002年.
- ^ 石川一成『夜の海に見えるもの—港湾映像学入門』潮流社, 2009年, pp. 88-103.
- ^ 高橋真理子「低反射塗装と高反射塗装の境界」『造船と測量』第9巻第3号, 2006, pp. 121-140.
- ^ John P. Keats, "The Geometry of Unwanted Visibility," Proceedings of the Yokohama Maritime Symposium, Vol. 3, 2005, pp. 201-219.
外部リンク
- 東京湾港湾史アーカイブ
- 第三管区海上保安本部資料室
- 海上反射率研究ネットワーク
- 横浜造船技術史センター
- 不審船観測年表データベース