廣淫堂 魂圖醪屢
| 氏名 | 廣淫堂 魂圖醪屢 |
|---|---|
| ふりがな | まいんどう こんとろうる |
| 生年月日 | 1894年7月18日 |
| 出生地 | 大阪府堺市大浜町 |
| 没年月日 | 1961年2月9日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 催眠術師、興行師、著述家 |
| 活動期間 | 1916年 - 1956年 |
| 主な業績 | 魂抜き催眠術の体系化、夜間暗示講演の巡業化 |
| 受賞歴 | 関西演芸協会特別感謝状(1933年) |
廣淫堂 魂圖醪屢(まいんどう こんとろうる、 - )は、の催眠術師、興行師、元犯罪者である。大正末期から昭和初期にかけて、とを中心に「魂抜き催眠」と呼ばれる独自の術式を広めた人物として広く知られる[1]。
概要[編集]
廣淫堂 魂圖醪屢は、末期から中期にかけて活動した日本の催眠術師である。自らを「心身逆照学の実践者」と称し、からへ移った後、寄席・見世物小屋・地方講演会を横断する形で名を上げた。
彼の名は、催眠を用いて記憶の一部を一時的に遮断し、暗示により別の人格的反応を引き出すとされた「魂抜き催眠」の流行とともに広まった。もっとも、当時の新聞はこれを奇術と断じる一方で、警察関係者の中には「尋問の補助技術として危険である」と警戒する者もいたとされる[2]。
なお、廣淫堂の本名や学歴には諸説があり、後年の資料ではの聴講生だったという説まで見られるが、確実な裏付けはない。とはいえ、彼がの都市娯楽と治安不安の境界で活動したことは、多くの回想録に共通している。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
廣淫堂は、堺市大浜町の船具商の家に生まれたとされる。幼少期は周辺の市で口上売りを眺めて育ち、特に砂絵、蛇使い、透視術の口上に強い影響を受けたという。十二歳のころ、近隣の按摩師から「呼吸の数で人の緊張は測れる」と教わったことが、後の術式の基礎になったと本人は述べている。
一方で、地元の戸籍簿には同名の人物が見当たらず、青年期に自ら名乗りを変えたのではないかとも推測されている。広く流布した「廣淫堂」という屋号めいた姓は、の興行主に付けられた芸名であるとする説が有力である。
青年期[編集]
ごろ、廣淫堂はの港湾倉庫で荷役の補助をしていた際、偶然知り合ったロシア系亡命者から初歩のを学んだとされる。もっとも、その亡命者の実在も定かではなく、後年の彼は講演で「私は三度、同じ男から違う名前を教わった」と笑っていたという。
にはの小劇場で初めて公開実演を行い、観客三十四名のうち二十八名が「手が温かくなった」「子どものころの匂いを思い出した」と証言したことで評判になった。翌年にはとを巡業し、地方紙の広告欄に「失意者を十五分で静める男」として掲載された。
活動期[編集]
活動の最盛期はの後である。廣淫堂は被災者向けの無料相談会を装い、避難所周辺で「眠りの整理法」と称する講話を行った。これが評判を呼び、の興行主と契約を結び、夜間公演では一晩に平均を集めたとされる[3]。
には『魂圖醪屢式暗示法講義録』を自費出版し、初版のうちが三か月で売れたと記録されている。ただし、残部の多くは弟子筋による買い占めであったという指摘もある。翌年、から「群衆心理を著しく刺激する」として演目の一部に制限が加えられたが、廣淫堂はこれを逆手に取り、検閲済みの演目だけを集めた「静寂講談」を考案した。
には紙上で、彼の術式が「被暗示者の肩甲骨の間に生じる微細な筋緊張を観察する」と紹介され、関西演芸協会から特別感謝状を受けた。なお、この時期に弟子がいたとされるが、全員が同時に同じ旅館に滞在していた記録はなく、実際の数は不明である。
晩年と死去[編集]
は、廣淫堂は鎌倉市の借家で細々と著述を続けた。戦時中に「精神統一補助員」として官庁に出入りしたとの噂が残るが、本人は晩年、「私はどの役所にも所属していない。ただ、役所に似た顔をしていただけだ」と語ったという。
に最後の巡業を終え、その後は弟子たちに技法を口述する生活に入った。、心臓発作のためで死去した。葬儀はの寺院で営まれ、参列者の一部が「式中に妙に眠くなった」と証言したことから、最後まで演出を疑う声があった。
人物[編集]
廣淫堂は、極端に几帳面でありながら、私生活では道具の置き方に頓着しなかったと伝えられる。机上には、、が必ず並んでいたが、肝心の帳簿だけはしばしば畳の下から見つかったという。
また、観客を選ぶ際に「左利きは暗示が深く入る」「雨の日に来る者は回復が早い」といった独自の経験則を用いた。本人は統計学を装っていたが、弟子の回想では、その根拠の多くが出前のの伸び具合に由来していたともされる[4]。
逸話として有名なのは、にの野外実演で、寝つけない男に対し「君は今、明日の自分を待っている」と一言だけ告げて退場させた話である。この男は翌朝、なぜか方面へ歩いていたとされるが、廣淫堂は「回復の第一歩である」と述べたという。
業績・作品[編集]
廣淫堂の業績として最も知られるのは、「魂抜き催眠」の体系化である。これは、被暗示者に対し呼吸の拍と視線の焦点をずらし、記憶の一部を一時退避させた上で、別の情動を誘導するという理論であった。実際には舞台照明、香料、長口上の組み合わせが大きかったとみられるが、廣淫堂は「技法の三分の一は沈黙である」と主張した。
代表作には『魂圖醪屢式暗示法講義録』、『夜更けの静眠術』、『群衆を静める七つの間』があり、なかでも『夜更けの静眠術』はにから再版され、地方の治安担当者にまで読まれたとされる。また、未刊行原稿『浅草十二夜覚書』には、催眠中に聞こえる「鈴の音」を利用した集団暗示の記述があり、研究者の間で真偽をめぐる議論が続いている。
さらに、彼は演目の進行表を極端に細分化し、開始からごとに観客の姿勢を変えさせる手法を用いた。これにより集中率が向上したと自ら報告しているが、比較対象が「前座の長い漫才」であったため、学術的には評価が分かれている。
後世の評価[編集]
後世において廣淫堂は、との境界を押し広げた人物として再評価されている。とりわけ以降の催眠研究史では、彼の術式が実証的であるというより、都市娯楽における「信じさせる装置」として優れていた点が注目された。
一方で、彼の実演が失神や軽度の混乱を招いた例も報告されており、の一部研究者は、廣淫堂流の反復暗示に「集団同調圧力の商業化」が見られると批判した[5]。また、の新聞投書欄には「人を眠らせる前に生活を眠らせる者だ」との辛辣な意見も掲載されている。
それでも、の資料館展示では、彼のメモ帳に記された「人は完全には操れない。ただ、疲れている方向へはよく傾く」という一文が引用され、半ば名言として扱われている。もっとも、この文が本当に本人の筆によるものかは確認されていない。
系譜・家族[編集]
廣淫堂はに出身の縫製職人の娘・廣瀬たつと結婚したとされる。たつは興行の会計と舞台衣装を管理し、廣淫堂の活動を実務面から支えた人物である。二人の間には長男・、長女・がいたという。
長男の恒一は父の術式を継がず、を経て広告業に進んだ。一方、すみゑは戦後に朗読教室を開き、父の著書の一部を抄録していた。なお、弟子筋には、、などがいたとされるが、いずれも実在確認が難しく、複数の芸名が混在している可能性が高い。
廣淫堂の一族には「一代に一人は眠りに詳しい者が出る」という奇妙な慣習があったと伝えられ、親族会では必ず最初にの沈黙を置いたという。
脚注[編集]
[1] 『魂圖醪屢年譜』廣淫堂記念館編、1938年。
[2] 山田伊之助「催眠術と都市治安」『近代風俗研究』Vol.12, No.3, pp.44-58, 1952年。
[3] 佐伯秋彦『浅草夜会と暗示興行』東洋演劇出版社, 1974年.
[4] Margaret L. Thornton, “The Kinetic Pause in Popular Hypnosis,” Journal of Urban Performance Studies, Vol. 8, No. 2, pp. 101-119, 1981.
[5] 大阪医科大学精神衛生学教室「廣淫堂式集団暗示の観察記録」『精神衛生紀要』第7巻第1号, pp. 3-21, 1949年.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山田伊之助『催眠術と都市治安』近代風俗研究社, 1952年.
- ^ 佐伯秋彦『浅草夜会と暗示興行』東洋演劇出版社, 1974年.
- ^ 廣淫堂 魂圖醪屢『魂圖醪屢式暗示法講義録』自費出版, 1927年.
- ^ 廣淫堂記念館編『魂圖醪屢年譜』廣淫堂記念館, 1938年.
- ^ 大沢みちる『戦前都市芸能と催眠の実践』風見書房, 1991年.
- ^ Margaret L. Thornton, “The Kinetic Pause in Popular Hypnosis,” Journal of Urban Performance Studies, Vol. 8, No. 2, pp. 101-119, 1981.
- ^ 北村静翁『夜更けの静眠術』東京書房, 1935年.
- ^ 大阪医科大学精神衛生学教室『精神衛生紀要』第7巻第1号, pp. 3-21, 1949年.
- ^ Harold J. Wexler, “Stage Suggestion and Crowd Compliance in Early Show Trials,” The Review of Social Sleight, Vol. 4, No. 1, pp. 12-39, 1967.
- ^ 『浅草十二夜覚書』廣淫堂旧蔵手稿, 未刊.
- ^ 藤原妙子『眠りを売る男たち』白鷺出版, 2008年.
外部リンク
- 廣淫堂資料室
- 近代暗示芸能アーカイブ
- 関西演芸史研究会
- 浅草夜会デジタル年鑑
- 都市催眠文化センター