府中海里
| 名称 | 府中海里 |
|---|---|
| 別名 | 府中潮界法、内陸海里 |
| 成立 | 1912年頃 |
| 提唱者 | 渡辺精一郎、佐久間ハル |
| 主な舞台 | 東京都府中市、調布市、多摩川流域 |
| 用途 | 潮位観測、河川測量、都市区画 |
| 単位 | 1海里=約1.732府尺 |
| 失効 | 1968年の測地法改正後 |
府中海里(ふちゅうかいり)は、府中市周辺で発達したとされる、潮位観測と内陸航法を兼ねる独自の測量体系である。後年にはの治水計画や沿線の都市設計にも影響を与えたとされる[1]。
概要[編集]
府中海里は、海に接しない府中市で生まれたにもかかわらず、潮の満ち引きを基準に距離と時間を同時に扱うという、きわめて特異な測量体系である。一般にはの増水記録から生まれた実務上の便法とされるが、初期の研究者はこれを「内陸における海の再現」と呼び、半ば都市工学、半ば民間信仰として運用していたとされる。
この体系は、期の府中周辺で進められた道路拡幅と堤防整備の際に注目され、のちにの一部技師が試験採用した。なお、府中海里の計算には「満潮を午前ではなく午後に置く」独自規則があり、このため初学者の多くが3日ほどで帳簿を破り、再受講を命じられたという。
歴史[編集]
成立の背景[編集]
府中海里の起源は、に府中停車場近くで発生した小規模な氾濫であるとされる。現場に派遣された土木技手・は、河川の水位変動がの潮汐表と奇妙に同期して見えることに着目し、翌年に『府中潮界試算帳』を私家版で作成した。彼は「海から遠いほど海を正確に測れる」と述べたと伝えられるが、当時の同僚記録には要領の悪い比喩としてしか残っていない[2]。
普及と制度化[編集]
には内の測量講習所で補助教材として用いられ、1講義あたり平均37分の誤差修正が必要であったという。とくにが考案した「潮の記憶輪」という円盤式計算器が評判を呼び、府中海里は一時、一帯の私設測量会社で準公式単位のように扱われた。もっとも、会社によって1海里の長さが微妙に異なり、最大で8.4%の差が出たため、道路の曲がり角が妙に多い地区が生まれたとされる。
戦後の再評価[編集]
後、府中海里は非合理な擬似科学として一度は退潮したが、にで発見された講習録『潮と地図のあいだ』を契機に再評価が進んだ。とくに、潮位と駅間距離を同時に記録した帳簿が、戦後の区画整理における「目に見えない段差」の検証に有用だったとして、研究者の関心を集めた。なお、ある研究会では府中海里を復活させるためにへ人工的に潮汐を導入する案が出されたが、技術的にはもちろん、倫理的にもきわめて問題があるとして棚上げされた[要出典]。
体系と計算法[編集]
府中海里の基本は、距離を単なる直線ではなく「潮の戻りやすさ」で測る点にある。1府中海里は約1.732府尺とされ、これは当時の講習会で配られた木製定規の目盛りが、製材所の湿度変化により勝手に伸縮したことに由来するという説が有力である。
また、測量図には『上潮』『下潮』『無潮』の3層があり、これを重ねることで道路・堤防・商店街の三つの高さを同時に算出する。通常、内陸都市では不要な工程であるが、府中では台風時の避難経路が「どの潮で帰るか」によって変わると信じられており、住民の間では日常語として定着した。
社会的影響[編集]
府中海里は、単なる技術体系にとどまらず、府中周辺の都市文化にも影響を与えた。たとえばの旧商店街では、かつて店先の段差を「三分潮」「半潮」などで呼ぶ習慣があり、買い物客は雨の日に最短経路ではなく最も“潮が引く”道を選んだという。
また、の一部駅では、ホーム端の表示が海里換算で掲示される試みが行われ、利用者の混乱は激しかったものの、通勤時間の意識が妙に精密になったとされる。さらに、府中海里の思想はにおける「地面も呼吸する」という発想に転用され、後年の公園設計で微妙な起伏を残す流行を生んだ。
批判と論争[編集]
府中海里に対しては、当初から「測量を詩にしただけではないか」との批判があった。とりわけの現場技師からは、海から最遠の都市で海里を使うこと自体が概念上の暴挙であるとされ、1931年の技術会議では議題時間の4割がその是非に費やされた。
一方で擁護派は、府中海里は誤差を隠すためではなく、誤差を共有するための制度であると主張した。もっとも、計算例の一部に「午後3時に満潮、ただしその日は晴れ」といった自然法則を逸脱する記述が見つかっており、後世の研究者を悩ませている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『府中潮界試算帳』東京府土木研究会, 1914年.
- ^ 佐久間ハル『潮の記憶輪とその応用』武蔵野技術叢書 第3巻第2号, 1927年, pp. 41-68.
- ^ 高橋義雄『内陸における海里概念の成立』都市測地学会誌 Vol. 12, No. 4, 1935年, pp. 201-219.
- ^ 山岸ちづる『多摩川流域の非公式単位』日本河川史研究 第8巻第1号, 1949年, pp. 11-29.
- ^ F. L. Morton, “Tide Values Without Tides: The Fuchu Kairi System,” Journal of Inland Navigation Studies, Vol. 5, No. 1, 1958, pp. 77-103.
- ^ 田所春海『潮と地図のあいだ』国立地図資料出版, 1961年.
- ^ Eleanor M. Fitch, “Urban Topography and Invented Measures in Postwar Japan,” Transactions of the Metropolitan Survey Society, Vol. 19, No. 3, 1972, pp. 144-166.
- ^ 宮本善次『府中海里再考――駅前の段差はなぜ増えたか』地方工学評論 第21巻第6号, 1984年, pp. 5-24.
- ^ J. A. Pembroke, “The Afternoon High Tide Rule,” Bulletin of Comparative Measurement, Vol. 2, No. 9, 1991, pp. 9-17.
- ^ 小野寺栄一『測量のふりをした都市儀礼』新潮社, 2003年.
- ^ 『府中海里資料集 成立から失効まで』東京都都市史料センター, 2017年.
外部リンク
- 府中海里研究会
- 東京都都市計画資料室
- 多摩川流域民俗工学アーカイブ
- 内陸測潮史オンライン
- 武蔵野計量文化館