庸式三点補正法
| 名称 | 庸式三点補正法 |
|---|---|
| 別名 | 三点庸補正、Y-3補正 |
| 分野 | 測量学、地図学、観測工学 |
| 提唱者 | 庸川 精吾 |
| 提唱時期 | 1908年頃 |
| 主要適用 | 基準点ずれの平準化 |
| 特徴 | 三角測量と経験補正を併用 |
| 普及地域 | 日本、満洲、英領インドの一部 |
| 関連機関 | 東京帝国大学地理学講習会 |
庸式三点補正法(ようしきさんてんほせいほう)は、・・において、三つの基準点のずれを同時に補正するために用いられたとされる推計手法である[1]。明治末期にの周辺で体系化されたと伝えられ、のちにの地籍整理にも影響を与えたとされる[2]。
概要[編集]
庸式三点補正法は、三つの観測点の誤差を単純平均ではなく、地形・天候・記録者の癖を加味して再配分する補正法であると説明される。とりわけやのように、わずかな座標の狂いが大きな損失に直結する場面で重宝されたという。
一般には、第一基準点を「骨格」、第二基準点を「呼吸」、第三基準点を「癖」と呼び、それぞれに異なる重みを与えるのが特徴とされる。なお、後年の研究では、この呼称自体が庸川家の三兄弟の性格をそのまま写したものではないかという指摘もある[3]。
歴史[編集]
成立の背景[編集]
起源はの期、方面で行われた臨時測量にあるとされる。現地では霧と磁気異常のため基準杭がしばしばずれ、測量班長のが、ずれた三点を「揃える」のではなく「許容できる形に寝かせる」発想を示したことが契機とされる[1]。庸川は当初、木箱の蓋裏に炭で式を書いたと伝えられるが、蓋そのものが回収されていないため、真偽は定かでない。
1908年、庸川は理科大学構内で講演を行い、学生の前で石灰を撒いた三点を靴先で少しずつ動かしながら補正値を示したという。この実演は「白墨の三角劇」と呼ばれ、以後、学生間で半ば秘儀として語り継がれた。
制度化と普及[編集]
にはが一部の地籍図作成で試験採用し、の開拓地や沿岸部で運用記録が残るとされる。特に付近では、三点のうち一つが牛車の通過で沈下したにもかかわらず、庸式補正によって「実地ではかえって正確になった」と報告され、関係者を困惑させた。
大正期になるとの講習資料に取り入れられ、補正値の記入欄が従来の2欄から3欄に増えた。これにより事務は煩雑になったが、逆に「書類が厚いほど精度が高そうに見える」という官庁的効果があり、採用が広がったとされる[4]。
衰退と再評価[編集]
になるとによる最小二乗法が普及し、庸式三点補正法は旧式の現場技法として急速に姿を消した。ただしの内部報告では、山間部の簡易復元図に限り「心理的安定性が高い」として再評価されている。
またには、の海岸侵食調査で、3地点しか確保できない状況において庸式が応用され、調査員が「機械は正しいが、土地は納得しない」とコメントしたという。これは後年の講義で頻繁に引用され、半ば格言化した。
理論[編集]
庸式三点補正法の理論的核心は、誤差を消去するのではなく「見た目の整合性」に変換する点にある。すなわち、三点のうち最も信頼度の高い一点を固定し、残る二点の偏差を地形勾配・観測時刻・筆記圧の三要素へ分散させる。
この方法では、補正の結果が必ずしも数学的最適解にならないことがある。しかし、当時の現場では計算尺と羅針盤しか使えず、むしろ「計算しすぎると地図が現実から離れる」として歓迎された面がある。なお、庸川の弟子であるは、補正式における第三項の係数を「気合定数」と記したとされる[5]。
後世の研究者は、庸式が統計学的手法というより、官庁文書における合意形成技法に近いと指摘している。一方で、現地の測量技師からは「現場の泥を吸った最小二乗法」と評され、評価は大きく分かれた。
運用[編集]
標準手順[編集]
標準的な手順は、まず三点の原位置を記録し、次にその日の湿度をの観測簿から転記する。続いて、三点のうち一つを「主点」、他の二つを「従点」として分類し、従点の補正量をそれぞれ1/3、1/5、1/7の比率で割り振るのが通例であったという。
実務上は、比率計算よりも「どの点を主点にするか」で揉めることが多かった。とくにの港湾現場では、主任技師が毎回くじ引きで主点を決めたため、雨の日ほど補正結果が安定したという奇妙な記録が残る。
教育と伝承[編集]
では、庸式の講義は数式よりも板書の手さばきが重要とされ、黒板に三角形を描くときのチョーク角度まで成績に加算された。講義を受けた者の多くは官庁や鉄道局へ進み、各地で「庸式派」と呼ばれる派閥を形成した。
一方で、実地の現場では若手技師が式を暗記できず、補正表の欄外に「おおむね良し」「やや良し」「気分として良し」と書き込む例もあった。こうした柔軟運用が、庸式の広がりを支えたという見方もある。
社会的影響[編集]
庸式三点補正法は、単なる測量技法にとどまらず、行政文書の書式や現場判断の倫理にも影響したとされる。では、数値の整合だけでなく、隣接地主の納得を得ることが重要であり、庸式はその「説明可能なあいまいさ」を提供した。
また期の鉄道計画では、駅位置の微調整にこの手法が用いられたとする回顧録がある。とくに近郊の仮設測点では、三点のうち一つが犬に掘り返され、結果として補正後の座標が「たまたま最適な防風位置」になった逸話が有名である。
さらに、庸式は一般社会にも比喩として浸透し、「三つの証言が食い違うときは、最も面倒な人の主張を一部だけ採る」という意味で使われることがあった。新聞投稿欄には「わが町の町内会も庸式で決めてほしい」といった投書が掲載された記録がある[6]。
批判と論争[編集]
批判の中心は、庸式が恣意性を制度化しているのではないかという点にあった。数学者のは、1921年の論文で「補正と称して感情を座標に混入している」と述べたとされる。一方で、実務家は「感情の混入こそが地面の実態である」と反論した。
また、庸川家の子孫を名乗る一派が、に庸式の原簿とされる帳面を公開しようとしたが、開示されたのは帳面ではなく料理の出前帳だったため、学界は一時騒然となった。これが「庸式原簿事件」である。ただし、実際に事件と呼べるほど社会的注目があったかどうかについては、現在も意見が割れている[7]。
戦後には、庸式が一部の教育現場で「便利な言い訳」として教えられていたことが問題視された。試験問題において、正答よりも「なぜ三点で補正するのか」を説明させる出題が増え、受験生の間では「庸式は解けなくても雰囲気で通る」と揶揄された。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 庸川精吾『三点補正ノ理論』地理学社、1910年。
- ^ 井上辰之助「庸式三点補正法の現場適用」『測地と行政』Vol. 8, No. 2, pp. 41-66, 1914.
- ^ 佐伯宗一「補正における恣意の役割」『理科大学紀要』第12巻第1号, pp. 3-19, 1921年。
- ^ Minoru Kanda, "A Note on Three-Point Correction in Colonial Surveying," Journal of Applied Geodesy, Vol. 17, No. 4, pp. 201-229, 1932.
- ^ 『内務省地理局 年報 第七号』内務省地理局、1913年。
- ^ 山崎喜一郎『庸式図学講義録』中央測量出版、1924年。
- ^ Margaret A. Thornton, "The Emotional Coefficient in Field Corrections," Transactions of the East Asian Survey Society, Vol. 5, No. 1, pp. 88-104, 1958.
- ^ 国土地理院編『簡易復元図と庸式補正』国土地理院資料室、1968年。
- ^ 藤堂梅太郎『測量現場の作法と気合』北辰館、1975年。
- ^ 渡会一郎「庸式原簿事件の再検討」『近代地理史研究』第3巻第2号, pp. 55-73, 1991年。
- ^ E. R. Bell, "A Curious Manual of Yoh-Shiki Correction," Cambridge Field Notes, Vol. 2, No. 3, pp. 9-27, 2004.
外部リンク
- 日本庸式学会
- 地理局史料データベース
- 東京測量史研究会
- 庸川家文書アーカイブ
- 東亜観測補正資料館