弓矢差別
| 名称 | 弓矢差別 |
|---|---|
| 読み | ゆみやさべつ |
| 英語 | Bow and Arrow Discrimination |
| 分類 | 社会史・民俗学・制度史 |
| 起源 | 室町後期の山間共同体 |
| 提唱者 | 戸倉源四郎 |
| 主な対象 | 弓具・矢羽・弦の継承者 |
| 関連制度 | 矢札制、三本羽制、夜射免許 |
| 研究拠点 | 帝国民俗研究所、京都府立山村資料館 |
弓矢差別(ゆみやさべつ、英: Bow and Arrow Discrimination)は、の保有・携帯・継承様式を理由として生じる社会的な選別と排除を指す概念である。主にの狩猟共同体に由来するとされ、のちにの身分制度研究の中で再定義された[1]。
概要[編集]
弓矢差別は、特定のやを持つ者が、共同体の宴席・婚姻・狩場の配分において不利に扱われる現象を指すとされる。表向きには武芸の優劣に関わる慣習と説明されたが、実際には矢羽の産地、弦の撚り数、筒巻の文様によって「血筋」を判定する運用が行われていたという。
この概念は、末期にの郷土史家・戸倉源四郎が、飛騨山地の古文書『矢取覚』を紹介したことから広く知られるようになった。ただし、同書の原本はにの古物商で一度目撃されたのみで、以後の所在が不明であるため、研究上はやや扱いが難しい[2]。
起源[編集]
山村の矢羽組合[編集]
弓矢差別の起源は、後期の山間共同体に設けられた矢羽組合に求められる。ここではやが羽根の入手経路を厳格に管理し、を用いる家とを用いる家の間に、婚姻上の優劣が生じたとされる。組合の記録には、羽根を三本束ねた家を「清矢」、四本束ねた家を「雑矢」と呼んだとの記述があるが、これが実在したかは不明である。
一部の民俗学者は、この分類が本来は矢の性能管理にすぎず、後世の身分秩序がそこへ投影されたものだと主張している。しかし、の旧家に残る矢筒の底から、なぜかで包まれた「半矢戸籍」が発見されたという報告もあり、論争は続いている。
戸倉源四郎の再発見[編集]
戸倉はに『地方風俗と射礼』を刊行し、その第3章で「弓矢差別は身分差別の最古層にある」と断じた。彼はので、矢羽の長さが2寸7分を超える家は隣組の寄合で上座に着けない、という聞き取りを5件だけ集め、それを全国的慣行に拡大解釈したとされる。
なお、戸倉が用いた統計には「矢の逆差配率 18.4%」という謎の数値が含まれており、後年の研究者の間では「当時の筆記癖であろう」と片づけられた一方、実は彼が屋で見た成績表を転記しただけではないかという説もある。
制度化の過程[編集]
矢札制と夜射免許[編集]
中期になると、一部の藩では弓具に木札を付けて系譜を明示する「矢札制」が敷かれたとされる。札には家名、弦の材質、弓の反り、そして「夜射免許の有無」が記され、これにより宴席での席次や許可が調整されたという。
とくにの支藩であるとされる「白峯預所」では、矢札を持たない者が婚礼の余興で弓を引くと、仲人が即座に膳を下げさせたとの逸話が残る。もっとも、この制度は「役所が矢まで管理していた」という点で不自然さが強く、後世の創作と見る研究者も少なくない。
三本羽制の成立[編集]
年間には、矢羽の枚数が三本であることを「正統」とみなし、それ以外を補助具とする三本羽制が広まったとされる。これは表向きには風切り音の安定化を理由にしていたが、実際には四本羽の家系を「騒がしい血筋」として遠ざける社会的装置であったと説明されることが多い。
の旧藩林における狩猟記録では、三本羽の矢を使う者には獲物の分配が1.5倍与えられた一方、二本羽の者は冬籠りの薪運びを命じられたという。数字の細かさに反して記録の筆跡があまりに整いすぎており、資料批判の対象になっている。
近代における再編[編集]
以降、弓矢差別は明確な制度としては廃れたとされるが、地域社会では「弓袋の色」「矢尻の金属比率」「弦を張る回数」が家格の象徴として残存した。とくに下の弓道場では、初心者に紅色の弓袋を配る慣行があり、これが「赤袋階層」と呼ばれる小さな侮蔑語を生んだと伝えられる。
にはの地方慣行調査で「矢具偏見」の項目が追加され、との2県で計17件の報告があった。しかし報告者の多くが学校教員であったため、実地というより作文の香りが強いと評される。
社会的影響[編集]
婚姻・葬送への波及[編集]
弓矢差別は婚姻において最も露骨に現れたとされる。たとえば、矢羽にを用いる家は「水筋」として敬遠され、羽の家は祝儀袋の水引を一本多く結ぶ習俗があったという。また葬送では、弓を納める向きによって死者の来世が「直矢」「返矢」に分かれると信じられ、弔問客が手向けの矢を折る風習もあった。
の山村で行われたとされる1931年の聞き取りでは、ある老女が「うちは三代続けて矢が軽いから、嫁が来ない」と語ったと記録されている。もっとも、その直後に同じ聞き取り票へ研究者が「弓の軽重は本人の気立てとは無関係」と書き添えており、調査態度の雑さが窺える。
教育と博物館展示[編集]
戦後になると、弓矢差別は「古風な迷信」として教育現場で紹介され、道徳教材の一節に採用された。しかしのでは、展示用の復元弓が高価すぎたため、代用品としてを弦に見立てたパネルが使われ、児童が差別構造より先に清掃道具を覚えるという副作用が生じた。
の民具館では、1964年に「矢札制の復元展示」が行われ、入場者のうち37%が本物の古文書だと信じたと報告されている。館側は後年、展示キャプションの一部に「諸説ある」と書いておけばよかったとコメントした。
批判と論争[編集]
弓矢差別研究は、初期から「実在した慣行の誇張ではないか」という批判にさらされてきた。とくにのは、戸倉の資料群に含まれる矢羽サンプルがすべて同じ紙箱に入っていた点を挙げ、「現地採集ではなく、同じ古道具屋の棚から揃えた可能性が高い」と指摘した。
一方で支持派は、差別の本質は制度の有無ではなく、共同体が弓具を人格化して扱った事実にあると反論する。もっとも、支持派の会合では毎回、座長が弓を持っていない参加者に発言権を与えない慣習があったとされ、研究対象と研究態度の境界が曖昧であるとの批判も根強い[3]。
なお、にで開催された「矢と人間」展では、来場者アンケートの自由記述欄に「思ったより差別が細かい」「矢羽の話なのに胃が痛い」といった感想が並び、この概念が半ばユーモラスな民俗譚として受容されていることも示された。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 戸倉源四郎『地方風俗と射礼』京洛書院, 1928年.
- ^ 佐伯正道「矢札制の成立過程とその残響」『民俗史研究』Vol. 14, No. 2, pp. 33-58, 1961年.
- ^ Margaret A. Thornton, "Arrow Status and Kinship in Alpine Villages," Journal of Comparative Ritual Studies, Vol. 9, No. 4, pp. 201-227, 1974.
- ^ 渡部清十郎『山村弓具史序説』北陸文化出版, 1956年.
- ^ 藤崎蘭子「三本羽制と婚姻規範」『日本民俗学雑誌』第41巻第3号, pp. 112-139, 1983年.
- ^ K. S. Ellery, "The Social Life of Quivers," Proceedings of the Institute of Ethnographic Mechanics, Vol. 2, pp. 7-19, 1949.
- ^ 高田礼之助『矢と家格—近世日本の弓具分類』青峰社, 1971年.
- ^ 内藤ユキ『弓矢差別の教育利用とその誤読』教育資料社, 1998年.
- ^ 佐伯正道「赤袋階層の発見」『地方慣行年報』第7号, pp. 5-21, 1962年.
- ^ M. R. Feldman, "The Misplaced Feather: A Note on Bow-Based Stratification," Anthropology Review Quarterly, Vol. 18, No. 1, pp. 88-96, 1987.
- ^ 山辺嘉一『矢具偏見研究ノート』山峡書房, 2004年.
外部リンク
- 帝国民俗研究所デジタルアーカイブ
- 京都府立山村資料館
- 日本弓具社会史学会
- 矢札制復元プロジェクト
- 地方風俗電子図書館