御田 元
| 氏名 | 御田 元 |
|---|---|
| ふりがな | みた げん |
| 生年月日 | 1898年4月17日 |
| 出生地 | 日本・ |
| 没年月日 | 1964年11月2日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 民俗工学者、作庭批評家、講演家 |
| 活動期間 | 1921年 - 1964年 |
| 主な業績 | 御田式環境再編論、麦畦標準化運動、移動式縁側の考案 |
| 受賞歴 | 日本土地風景学会奨励章(1957年) |
御田 元(みた げん、 - )は、の民俗工学者、作庭批評家、ならびに擬似農村景観の提唱者である。米俵の配置法と沿線の土地記憶を結びつけた「御田式環境再編論」の創始者として広く知られる[1]。
概要[編集]
御田 元は、日本の民俗工学者である。農村景観の保全と近代交通網の接続を論じ、特にからにかけての沿線集落において、景観の「連続性」を人工的に再設計する手法を提唱した人物として知られる[1]。
彼の理論は、当初はの地方改良係における実務メモとして扱われていたが、のちにやの周辺で再評価された。なお、御田の残した草稿の一部には、村落の用水路に「音の奥行き」を与えるため、毎年の第2土曜日に石を3個ずつ並べ替えるべきだとする記述があり、これは現在でも一部の研究者の間で議論の対象になっている[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
御田 元は、の網元の分家に生まれる。幼少期から漁具の結び目や田の畦道の形状に強い関心を示し、近隣の子どもたちが貝殻を集める一方で、彼は干潮時の泥の割れ方を方眼紙に写し取っていたという[3]。
旧制在学中には、理科教師のに師事し、植物の葉脈と水田の水路網の類似を論じる卒業論文「稲田葉脈説」をまとめたとされる。この論文は校内文集にのみ掲載されたが、後年の御田理論の原型として引用されることが多い。
青年期[編集]
に上京し、の夜学講座で図案と測量を学んだ。昼はの製図補助として働き、夜はの下宿で路地の幅と店先の庇の角度を記録していたと伝えられる[4]。
この時期、彼はの民芸論に触発されたというより、むしろ「民具が置かれる空間のほうが民具そのものより先に老いる」と考えたことから独自の方向へ進んだ。1924年には私家版小冊子『畦間の哲学』を50部印刷し、うち17部が後の物資整理に紛れて所在不明になった。
活動期[編集]
、御田は技師補の友人を通じて沿線の宅地分譲計画に関わり、駅前広場の脇に「疑似田んぼ状植栽帯」を設ける提案を行った。これが後に御田式環境再編論の実践例として扱われ、からにかけて8件の小規模造成に影響したとされる[5]。
にはの地方景観分科会で「縁側は屋内ではなく、村の記憶が住宅に退避した部分である」と講演し、聴衆の半数が沈黙し、残り半数がメモを取り始めたという逸話が残る。また同年、移動式縁側の試作機「可搬縁一号」をの旧商家で公開し、幅1.8メートル、重量32キログラムという妙に中途半端な規格が話題となった。
晩年と死去[編集]
晩年の御田はの借家で暮らし、潮風による木材の劣化を「時間の可視化」と呼んで執筆を続けた。晩年のノートには、庭石の数を奇数にすると住民の会話が1日平均で1.4往復増えるという観察結果が記されているが、計測方法の詳細は不明である[6]。
、心筋梗塞のため66歳で死去した。葬儀には、、および地元の造園組合から計83人が参列し、弔電の末尾に「畦は先生の最後の講義であった」と書かれていたと伝えられる。
人物[編集]
御田は寡黙である一方、講演ではやたらと比喩が多く、聴衆に「田は沈黙の長さで測るべきである」と語ったことで知られる。身長は5尺1寸ほどであったが、外套の内側に畳んだ測量竿を常に携行していたため、初対面の印象は異様に大きかったという[7]。
性格は几帳面で、訪問先の縁側の木目を鉛筆でなぞってからでないと茶を口にしなかった。もっとも、気に入らない配置の庭を見ると黙って石を1個だけずらして帰る癖があり、東京の旧宅ではその痕跡が今も残っているとされる。
また、彼は極端な雨嫌いであったが、雨の日ほど農村の「本当の輪郭」が出ると信じていた。結果として傘を差さずに観察を続け、の講演後に肺炎寸前まで悪化したことがある。
業績・作品[編集]
御田式環境再編論[編集]
御田の代表理論である。これは、農村や郊外の景観を保存するのではなく、交通・商業・住宅の混成に応じて「記憶の見え方」を再編するべきだとする考え方であった[8]。
理論の中心には「畦線を直線化する際は、必ず1か所だけ意図的にゆがませよ」という有名な原則があり、にはの区画整理現場で試験採用された。結果、住民の道迷いが減った一方、郵便配達員だけが以前より2分遅くなったという。
主要著作[編集]
著書に『畦間の哲学』『縁側はどこへ逃げるか』『鉄道と土の間隔』『可搬縁試論』などがある。なかでも『鉄道と土の間隔』は、の初版で98頁しかなかったにもかかわらず、余白の注釈が本体より多いことで研究者の悪評と愛好を同時に集めた[9]。
また、雑誌『』に掲載された連載「村の重力」は、表題こそ壮大であるが、実際には「洗濯物の干し方が集落の遠景を変える」という観察を18回にわたり延々と論じたものである。
実務的影響[編集]
御田の提案は、戦後復興期の住宅地造成や観光農園整備に影響を与えたとされる。特に前後の内の新興団地では、彼の講演録を読んだ設計者が、あえて行き止まり道路の先に小さな水田型花壇を置く例が相次いだ[10]。
一方で、彼の理論は現場に過剰な解釈を生み、自治体担当者が「景観の連続性」を口実に不要な竹垣を増設する事例もあった。御田本人はこれを苦々しく思っていたらしく、晩年に「竹は少ないほど竹らしい」と書き残している。
後世の評価[編集]
死後、御田は一時期「地方改良の変人」として片付けられたが、以降、との交差領域で再評価された。特にの研究会がに公刊した報告書では、彼の仕事を「近代日本における空間感受性の過剰なまでの制度化」と評している[11]。
ただし、評価は分かれている。造園家の一部は彼を先駆者とみなす一方で、都市計画の研究者からは「現場で実装すると妙に手間のかかる提案が多い」と批判される。また、御田の名を冠したでは、来館者の4割が彼を実在の農政官僚と誤解していたという調査結果が出ている。
近年では、の住宅地で行われた小規模な実証実験が再び注目され、御田式の応用によって地域の回遊率が11.2%上昇したと報告された。ただし、この数字は雨天2日分を除いた集計であり、要出典とする声もある。
系譜・家族[編集]
御田家は末期にで小規模な回船問屋を営んでいたとされる。父・御田庄平は倉庫の配置に異常なこだわりを持ち、母・きぬは畑の畦を花壇としても使う人物で、元の空間感覚はこの両親から受け継いだと見る向きがある[12]。
妻は生まれので、茶室の露地を片付ける際に「ここはまだ歩く余白がある」と言って誰も使わない小径を残したことで知られる。子は二男一女で、長男の御田進は測量会社に勤めたが、次男は家業を継がずで牧場経営を始めた。
なお、御田の遠縁にはで金物商を営んでいた一族がいたとされ、その家に伝わる古い巻尺が、後年の資料室展示の目玉となった。もっとも、家族関係については戸籍上の裏付けが乏しく、親族会の記録だけが妙に詳細である。
脚注[編集]
[1] 御田元『畦間の哲学』私家版、1924年。 [2] 日本土地風景学会編『景観の余白』第3巻第2号、1958年、pp. 41-44。 [3] 静岡県立第二中学校校友会『校友文集 第17号』1931年、pp. 8-9。 [4] 田所良一『神田製図歳時記』風景社、1972年、pp. 112-115。 [5] 鉄道省地方計画室『沿線宅地と余白』内部資料、1932年。 [6] 御田元旧蔵ノート「雨の日の会話数」鎌倉市御田家文庫、未整理資料4-2。 [7] 小林篤『講演台の人々』港文館、1966年、pp. 203-206。 [8] 日本土地風景学会編『景観の余白』第3巻第2号、1958年、pp. 1-17。 [9] 御田元『鉄道と土の間隔』第一書房、1941年。 [10] 千葉県住宅整備課『団地景観試験報告』1961年、pp. 25-31。 [11] 東京大学環境史研究会『近代日本の空間感受性』東京大学出版会、1993年、pp. 88-94。 [12] 御田家家譜編纂委員会『志太郡御田家系図』1988年、pp. 2-6。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 御田元『畦間の哲学』私家版, 1924.
- ^ 日本土地風景学会編『景観の余白』第3巻第2号, 1958, pp. 1-44.
- ^ 田所良一『神田製図歳時記』風景社, 1972, pp. 112-115.
- ^ 小林篤『講演台の人々』港文館, 1966, pp. 203-206.
- ^ 東京大学環境史研究会『近代日本の空間感受性』東京大学出版会, 1993, pp. 88-94.
- ^ 御田元『鉄道と土の間隔』第一書房, 1941.
- ^ 千葉県住宅整備課『団地景観試験報告』, 1961, pp. 25-31.
- ^ 静岡県立第二中学校校友会『校友文集 第17号』, 1931, pp. 8-9.
- ^ Martha L. Hargrove, 'The Peripheral Veranda in Postwar Japan', Journal of Landscape Semiotics, Vol. 12, No. 3, 1979, pp. 201-228.
- ^ Hideo Kanzaki, 'Measuring the Memory of Furrows', East Asian Environmental Review, Vol. 7, No. 1, 1988, pp. 15-39.
外部リンク
- 焼津町立御田元資料室
- 日本土地風景学会アーカイブ
- 景観工学デジタル年報
- 沿線農村記憶研究センター
- 御田式環境再編論研究会