新世界の神
| 名称 | 新世界の神 |
|---|---|
| 読み | しんせかいのかみ |
| 英語 | God of the New World |
| 初出 | 1897年頃とされる |
| 起源 | 東京市区改正期の私設講演録 |
| 主な担い手 | 都市計画家、宗教結社、評論家 |
| 影響を受けた分野 | 思想史、出版史、儀礼研究 |
| 象徴 | 白い地図、逆さの羅針盤、無窓の塔 |
新世界の神(しんせかいのかみ、英: God of the New World)は、で形成されたであり、しばしばの制定者やの象徴として扱われる概念である[1]。本来はの都市改造論に由来するとされるが、のちに、、に横断的に流用された[2]。
概要[編集]
新世界の神とは、を超えて新たな社会を設計する者を指す称号である。一般には抽象概念として理解されるが、のに関わった無名の技師たちが、洪水対策の会議録において冗談半分に用いた語が起点になったとされる[3]。
この語は当初、沿岸の埋立地を「神の視点で再配置する」という比喩にすぎなかった。しかしに入ると、の『白地図派』がこれを教義化し、さらに戦後には、、を経由して半ば伝説化したとされている。なお、初期資料の多くが火災で失われたため、起源についてはとされる説も少なくない。
起源[編集]
東京市区改正会議録と「白い都市」の構想[編集]
最も古い用例は、にの委託で作成されたとされる『東京低地改造補助意見書』の付録欄に見える。そこでは、排水路の直線化と区画整理を進めるため、担当技師のが「いまや新世界の神たる者は、地図を引き直す者である」と記したとされる[4]。
この記述は後年の編纂者によって大胆に脚色された可能性があるが、少なくとも・・の三地区で、洪水後の仮設道路がほぼ同時期に再整備されていたことは確認されている。都市を「祈りではなく測量で救う」という発想が、後の思想化の核となった。
白地図派の成立[編集]
の後、被災地の仮設住宅において、元印刷工のが主宰した読書会が「白地図派」と呼ばれるようになった。彼らは、都市の再建図面を宗教的な曼荼羅に見立て、中心に円環を置く独自の図像を作成したという[5]。
この集団はの貸席で毎月第2土曜に集まり、参加者は平均して17〜23人程度であったとされる。会合では必ず、白い方眼紙に赤鉛筆で一本だけ線を引き、その線を「新世界の神の通り道」と呼んだという逸話が残る。
思想と儀礼[編集]
逆さの羅針盤[編集]
新世界の神を象徴する道具として最も有名なのが、北を指す針を意図的に反転させた「逆さの羅針盤」である。これはの舶来品商が輸送用の誤封印を防ぐために作った器具が転用されたものとされ、信奉者はこれを机上に置いて意思決定を行った[6]。
記録によれば、儀礼では羅針盤を3回回し、最後に南西を指した角度で沈黙することが求められた。これにより「古い方角に従わない決意」を可視化するのだという。
無窓の塔と誓約文[編集]
頃、の倉庫街に「無窓の塔」と呼ばれる集合施設が現れた。実際には木造3階建ての倉庫を改装しただけであったが、外壁に窓が少ないことから象徴性が誇張され、巡礼地のように扱われた[7]。
塔内では誓約文『第七码の新世界宣言』が読み上げられ、参加者は各自の職業を1日だけ交換することを誓ったという。これは「神とは支配者ではなく、役割の可換性そのものである」という解釈につながった。
儀礼食と白い汁物[編集]
儀礼食としては、具を極端に少なくした白い汁物が供されることが多かった。これはの精進料理を参照したと説明される一方、実際には印刷用の糊の配合に近い粘度を求めたためだという奇妙な記録もある。
ある編集者は、1934年の会報に「信徒のうち4名が汁物を飲み過ぎて発声練習を中断した」と書き残しており、これが後の礼拝時の分量制限(椀の7分目まで)につながったとされる。
社会的影響[編集]
新世界の神は、思想としては辺縁的であったが、都市再開発の比喩としては長く流通した。の周辺では、区画整理案を揶揄して「新世界の神ごっこ」と呼ぶ慣行があったとされる[8]。また、戦後のやで活動した前衛劇団は、この語を「再配置される身体」のメタファーとして採用した。
一方で、1970年代の学生サークルが過激な政治スローガンとして流用したことから、語感の強さだけが独り歩きする事態も生じた。新聞各紙は「神」を冠するために危険思想と誤認し、実際にはただの地図編集論であったものが、半世紀以上にわたり不穏な含意を帯びて受容されたのである。
批判と論争[編集]
批判の中心は、第一に起源資料の曖昧さ、第二に思想内容の可塑性である。とくにの民俗学者は、1962年の論文で「新世界の神は、実在の教義というより都市改造の隠語が神秘化したものである」と指摘した[9]。
これに対し、信奉者側は「神秘化こそが都市の本質である」と反論したが、反論文の末尾に掲載された統計表の数値が年度ごとに微妙に異なっていたため、逆に信頼性を損ねた。なお、1988年の会報では信徒数が「約1,240名」と記されている一方、同じ号の別欄では「推計860名」とされており、編集体制の混乱が指摘されている。
派生文化[編集]
大衆文化への流入[編集]
末からにかけて、深夜ラジオや貸本漫画の中で「新世界の神」は便利な決め台詞として用いられた。とくにの古書店街では、背表紙が欠けた思想書の見出しにこの語が勝手に補われる現象が生じたという。
結果として、本来は都市再建論であったはずの概念が、青春の自意識や過剰な使命感を象徴する語として定着した。現在でも一部の同人誌では、編集長を「新世界の神」と呼ぶ慣習がある。
研究史[編集]
以降、の未整理資料をきっかけに断片的な再検討が進んだ。とくにによる『白地図と権威』は、都市計画、宗教儀礼、演劇史を横断する初の総合研究として評価された[10]。
ただし、同書が参照した「無窓の塔写真集」の奥付には、撮影者として存在しないはずのの名が記されており、後年の再版でひそかに削除された。これが意図的な偽装か、単なる植字ミスかは今も決着していない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精三郎『東京低地改造補助意見書附録』東京市区改正調査会, 1897年.
- ^ 荒井春雄『白地図派会報 第一巻』白地図社, 1924年.
- ^ 久保田雄司「都市神の生成と反転」『民俗と都市』Vol. 8, No. 2, 1962, pp. 41-67.
- ^ 佐伯美奈子『白地図と権威』国立文化研究所出版部, 1993年.
- ^ M. Thornton, “The Inverted Compass and Ritual Geography,” Journal of Urban Myth Studies, Vol. 14, No. 1, 1981, pp. 9-33.
- ^ 山口直子「無窓建築の宗教的誤読」『建築史学』第21巻第4号, 1975, pp. 112-129.
- ^ 中村秋人『新世界の神概説』青湾書房, 1958年.
- ^ Elizabeth P. Vale, “Mapping the White City Cult,” Proceedings of the Institute for Fictional Anthropology, Vol. 3, No. 2, 2004, pp. 201-219.
- ^ 河合信太郎『第七码の新世界宣言』私家版, 1931年.
- ^ 大森一樹「儀礼食としての白い汁物」『食文化研究』第12巻第1号, 1987, pp. 5-18.
外部リンク
- 白地図派資料館
- 都市神学アーカイブ
- 無窓の塔デジタルコレクション
- 新世界思想史研究会
- 架空文献目録DB