新幹線パワー40000系電車
| 正式名称 | 新幹線パワー40000系電車 |
|---|---|
| 通称 | パワー4万、40K系 |
| 用途 | 高速鉄道の動力・制御方式研究 |
| 製造所 | 川崎重工業 神戸車両実験工場 |
| 導入年 | 1978年 |
| 最高試験速度 | 403 km/h |
| 編成両数 | 8両、のち12両 |
| 主機関 | MPS-40形循環推進機 |
| 所属 | 鉄道技術総合研究会 新幹線動力センター |
| 廃止 | 1996年 |
新幹線パワー40000系電車(しんかんせんパワー40000けいでんしゃ)は、の高速鉄道研究計画「」から派生したとされる、用の架空の試験電車である。車両ごとに発電・蓄電・整流を完結させる「車上循環式推進」を特徴とし、の初登場以来、極端に高い加速度と異様な静粛性で知られている[1]。
概要[編集]
新幹線パワー40000系電車は、の過密化に対処するため、末期の技術陣が開発したとされる試験電車である。名称の「40000」は計画時の目標出力40,000馬力に由来するとされるが、実際には車内の照明と冷房が強すぎたために乗務員からそう呼ばれたという説もある[2]。
本系列は、車両床下に搭載された大型フライホイールと、屋根上の小型潮流タービンを組み合わせ、走行中に自ら電力を増幅するという独自方式で注目を集めた。また、試験運転のたびに沿線のラジオに微弱な雑音が入り、の技術協力班が「時報が半拍早く聞こえる」と報告したことから、一部では“時刻表を先取りする電車”として半ば伝説化したとされる。
歴史[編集]
構想の成立[編集]
起源はのオイルショック後、鉄道局内で行われた非公開会合「第4高速化研究懇談会」にあるとされる。議事録によれば、当時の主任技師であったが「速度は抵抗の勝利ではなく、慣性の管理である」と述べ、従来のとは全く異なる車体設計を提案したという[3]。
この提案は当初、空想的すぎるとして却下されたが、の若手設計者が試作した「車上整流回路」が偶然にも駅構内の蛍光灯を安定させたことから、研究費がつくことになった。なお、この実験での自動販売機が一時的に全機種そろって当たりを出したという逸話が残る。
試作1号編成[編集]
に登場した1号編成は、神戸工場で9か月半かけて組み立てられた。外観は銀色を基調とするが、夜間試験時には車体側面の導波板が青白く発光し、沿線住民から「空飛ぶの懐中電灯」と呼ばれたという。
特筆すべきは、先頭車に搭載された「圧縮空気式前照灯」である。これはトンネル突入時にライトの光軸を自動で伸ばす仕組みで、からまでの区間で2回だけ実用化された。ただし、1回目の実験では照射距離が長すぎて、約1.8km先の踏切警報機まで同時に点灯してしまったため、以後は“光量制限器”が標準装備となった。
量産化と失敗[編集]
には量産先行車として8両編成が3本製造されたが、動力増幅機構の調整が難しく、車両ごとに最高速度が異なるという珍現象が発生した。特に第2編成は先頭車のみが異常に速く、試験区間の終端で後続車両を待ちきれず、結果として編成が1.3kmほど引き伸ばされた状態で停止したとされる[4]。
このため、の担当者は“柔らかい連結”という概念を導入し、連結器に微細な遊びを持たせる改造を施した。これにより揺れは減少したが、車内販売のワゴンだけが曲線通過時に独自に先行する問題が残り、乗客からは「おでんが先に到着する電車」と揶揄された。
設計[編集]
動力方式[編集]
本系列最大の特徴は、MPS-40形循環推進機による車上循環式推進である。床下の発電機で得た電力を、車体側面の蓄電素子に一度ため、再びモーターへ戻すことで“失われたはずの加速分”を回収するという理屈であった[5]。
当時の資料では、理論上のエネルギー回収率は118%に達すると記載されているが、これは雨天時にパンタグラフへ付着した水滴が補助的に回路へ戻るためと説明されている。もっとも、後年の再検証では、測定器の目盛りが逆向きに取り付けられていた可能性が指摘されている。
車内設備[編集]
車内は当初、研究員向けの簡易設備であったが、試験走行の機会が増えるにつれて、〜間の長距離移動に対応するために“仮設グリーン化”が進んだ。座席はが開発した半固定回転椅子で、加減速時に利用者の向きが自然と進行方向へ整う構造である。
また、食堂車には「高速用味噌汁安定器」が設置され、揺れても具材が沈まないようにする仕組みが導入された。これにより、豆腐が常に液面中央に浮遊したまま運ばれ、検食担当のは「栄養より美観が先行している」と記録している。
安全装置[編集]
安全面では、に加えて「自律減速補助輪」が試験的に導入された。これは異常時に車輪の外側へ小型補助輪がせり出し、空気抵抗を意図的に増大させることで速度を落とす装置である。
ただし、構内での公開走行では補助輪が逆に共振し、車両がわずかに浮き上がる事態が発生した。その際、司会を務めていたアナウンサーが「まるで鉄の鳥であります」と実況したことが、後年まで鉄道趣味誌で引用された。
運用[編集]
新幹線パワー40000系は、営業列車としては一度も定期運用につかなかったが、周辺の試験線および内の長距離耐久試験で散発的に使用された。特にの夏季試験では、403 km/hを記録した直後に社内のアイスコーヒーが全て気泡化し、補給担当者が一時的に作業を中止したという[6]。
乗務員の間では、出発前に必ず編成番号を3回唱える慣習があり、これを怠ると車内放送の音程が半音上がると信じられていた。また、試験終了後に車体側面へ付着した“金属臭のする霧”が沿線で採取され、工学部の分析で鉄分ではなく「期待値の残留物」と説明されたこともある。
一方で、地方線区への波及効果は大きく、の駅案内表示更新や高速化ダイヤの思想に間接的影響を与えたとされる。もっとも、現場からは「速すぎる列車は、駅弁の売り切れ時刻まで早める」として慎重論も根強かった。
社会的影響[編集]
本系列は、鉄道技術の象徴というより、むしろ“国が本気で速さを夢見た時代”の記号として語られている。1980年代後半には、技術誌だけでなく系の評論でも取り上げられ、速度の倫理や輸送の美学を論じる題材となった。
また、沿線自治体では本系列にあやかったイベントが相次ぎ、の一部商店街では「40000系カレー」や「循環推進焼きそば」が販売された。とくに「循環推進焼きそば」は、皿の上で麺を三回かき回すと増えると宣伝され、初日で完売したという[7]。
なお、後も、パワー40000系の制御思想は若干の改変を受けつつ研究用の設計思想として残り、のちの高速試験車両に“車内で発電を完結させようとしない慎重さ”をもたらしたと評価されている。
批判と論争[編集]
批判の中心は、やはりその理論値の飛躍にあった。とくにエネルギー回収率118%の説明は、の一部研究者から「熱力学の机上演芸」と揶揄されたほか、測定条件の再現性をめぐって長く議論が続いた。
また、車上循環式推進に必要な“空気の清浄な部分だけを再利用する”という設計方針については、現実に実装できるか疑問視する声が多かった。これに対し設計主任の高瀬は「空気は概念である」と発言したとされるが、この発言の原文を確認できる一次資料は見つかっていない[要出典]。
一方で、熱狂的な支持者は本系列を「鉄道史上もっとも誠実な過剰設計」と呼び、模型界隈では今なお人気が高い。特に1/80スケールではフライホイールの再現が困難なため、模型メーカー各社が“回らない回転体”を競って開発するという逆説的な流行を生んだ。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 高瀬俊一郎『新幹線動力循環論序説』鉄道技術評論社, 1979, pp. 12-31.
- ^ 川崎重工業車両設計部『MPS-40形循環推進機 取扱記録』神戸工場資料集, Vol. 4, pp. 88-104.
- ^ 森下恵子「高速鉄道における車上発電の限界」『交通工学研究』第18巻第2号, 1983, pp. 41-57.
- ^ 松田一彦『国鉄末期試験車両の思想』中央鉄道出版, 1988, pp. 203-226.
- ^ A. Thornton, “On-board Energy Recycling in Experimental Shinkansen Units,” Journal of East Asian Rail Studies, Vol. 7, No. 1, 1991, pp. 5-29.
- ^ 渡辺精一郎「新幹線パワー40000系の空力特性と時報誤差」『鉄道技術月報』第52巻第8号, 1986, pp. 14-19.
- ^ 国鉄労働科学班『長距離試験走行における食堂車衛生報告書』内部資料, 1985, pp. 66-79.
- ^ 伊藤さやか『高速移動と駅弁販売の時間経済学』交通文化社, 1994, pp. 9-38.
- ^ Y. Kondo, “The Phenomenology of Rolling Stock Enthusiasm,” Railway Heritage Quarterly, Vol. 11, No. 3, 1997, pp. 77-93.
- ^ 田所直樹『車内で発電する鉄道車両のすべて』新潮架空社, 2001, pp. 1-144.
外部リンク
- 鉄道技術総合研究会アーカイブ
- 国鉄試験車両デジタル資料館
- 新幹線動力史研究フォーラム
- 高速鉄道幻視録
- 川崎重工業旧車両資料室