新幹線倍増計画
| 正式名称 | 新幹線倍増計画 |
|---|---|
| 別名 | 倍増運転構想、二重軌道整理案 |
| 提唱者 | 運輸省高速鉄道整備室 |
| 開始時期 | 頃 |
| 主対象 | 東海道・山陽・東北の各新幹線区間 |
| 成果 | 1時間当たり列車本数の増加、案内表示の全面更新 |
| 特徴 | 設備増強と心理的な倍増効果の併用 |
| 関連法令 | 高速鉄道輸送力調整特別措置法 |
| 主な実施機関 | 日本国有鉄道、運輸省、鉄道技術研究所 |
新幹線倍増計画(しんかんせんばいぞうけいかく)は、およびその後継諸機関が、の運行密度を実質的に二倍化するために採用したとされる輸送政策である。一般には輸送力増強策として知られているが、初期には「列車本数の倍増」ではなく「線路の見た目を倍にする」構想として始まったともいわれる[1]。
概要[編集]
新幹線倍増計画は、の高度経済成長期に、都市間移動の飽和を受けて策定されたとされる高速鉄道再編策である。表向きには輸送力の増強であるが、当初は「倍増」の意味をめぐり、列車本数、座席数、ダイヤ密度、さらには車内放送の回数まで倍にする案が並立していた。
この計画の奇妙な点は、関係官庁の文書においても「倍増」の定義が最後まで統一されなかったことである。結果として、からまでの所要時間短縮よりも、発車標の表示更新速度とホーム上の整列誘導が先に刷新されたとされる[2]。
成立の経緯[編集]
運輸省内部の「二倍」論[編集]
発端は秋に運輸省で開かれた非公開の調整会議にあるとされる。鉄道局の若手技官・が、輸送量の不足を説明するために「現在の新幹線は、国民の期待の半分しか走っていない」と発言し、これが新聞用語としての「倍増」に転化したとされる。
当初は車両増備が中心であったが、の試算では、ホーム案内係を倍にした方が体感的な混雑緩和が大きいという結果が出たため、計画は「輸送設備の増強」と「見せ方の倍増」に二分された。なお、この試算表は紙幅の都合で実際にはしかなかったが、のちにあったと広報資料に記され、要出典とされることがある[3]。
東海道新幹線試験区間[編集]
最初の実験はとの間で行われたとされる。ここでは列車間隔を詰めるだけでなく、同じ時刻表を左右対称に印刷した「倍増版ダイヤ」が配布され、利用者の多くが本当に列車本数が増えたと誤認したという。
また、の広報班は、駅構内放送を通常の1.8倍の音量で流すことで「列車が増えた印象」をつくる実験を実施した。ところが、で停車中の乗客が一斉に時刻表を見上げたため、結果として案内板の視認率が37%向上したと報告されている。
実施内容[編集]
計画の中核は、車両増備、運行整理、駅設備改修の三本柱である。車両面ではに相当する初期編成の再配置が行われ、予備編成を平日昼間にも運用に回すことで、見かけ上の「倍増」を実現したとされる。
一方、駅設備では、、において改札口の左右対称化が進められた。特にでは、案内サインを通常の2倍の高さに掲出したため、遠方から見ると新幹線が倍に増えたように見えたというエピソードが残る。
さらに、は1971年度補正で「心理的輸送容量増進費」なる科目を設け、混雑時の乗客に対して「次の列車はすぐ来る」という文言を二度繰り返すよう車掌に指導した。これにより苦情件数は減少したが、アナウンスが長くなりすぎて発車ベルが聞こえにくくなったと指摘されている。
拡大と波及[編集]
山陽・東北への横展開[編集]
への波及はの延伸後に本格化した。ここでは「倍増」の概念が列車増発よりも接続改善に重点を移し、での乗換時間を7分から3分へ短縮することが「実質的二倍」として宣伝された。
では、寒冷地対策と合わせて窓ガラスの結露対策が進められ、結露した面積の減少を「視界倍増」と称した広報が話題になった。これを受けて、沿線自治体では新幹線関連予算を「倍増」ではなく「体感倍増」と呼ぶようになったとされる。
地方自治体の便乗[編集]
計画の成功に便乗し、複数の自治体が独自の倍増策を打ち出した。たとえばでは駅前の横断歩道を二本並べて設置する案が検討され、では新幹線到着時刻に合わせて路面電車の電停看板を倍にしたという。
もっとも、これらの施策は輸送効率よりも「新幹線が来た感」の演出に寄っていたため、国鉄内部では「新幹線倍増計画は、実は都市景観倍増計画である」と揶揄されたことがある。
社会的影響[編集]
新幹線倍増計画は、交通政策だけでなく、広告業界にも影響を与えたとされる。頃から、百貨店や自動車会社が「倍増」の語を好んで使うようになり、の電飾広告には「2倍速」「2倍快適」といった表現が氾濫した。
また、鉄道ファンの間では、同一時刻に2本の列車を撮影することを「倍増撮り」と呼ぶ小さな流行が生まれた。もっとも、実際には列車本数が増えたわけではないため、撮影者はホーム上で同じ車両を角度を変えて二度撮るという、かなり奇妙な手法を採用したという。
一方で、の一部は、倍増の名のもとに業務量だけが増えたとして抗議し、駅長室に「倍増は休日も倍にすべきである」と書かれた張り紙が掲示された事件も記録されている。
批判と論争[編集]
最大の批判は、「倍増」と称しながら、実際には一部区間の増発と案内設備の更新にとどまった点である。とりわけの国会質疑では、野党議員が「列車が二倍になったのか、ポスターが二倍になったのか」と追及し、担当官が「両方である」と答弁したことが議事録に残る[4]。
また、は、初期0系編成の塗装更新が進むにつれ、オリジナルの「倍増前車両」が少なくなったと批判した。これに対し国鉄は、実際の保存車両よりも「倍増前の空気」を保存する方が重要であると反論したが、この説明はあまり理解されなかった。
なお、後年になってからは、計画の一部文書にしか存在しない「高速鉄道輸送力調整特別措置法」が実在したかのように扱われたため、研究者の間でしばしば混乱が生じている。
評価[編集]
学術的には、新幹線倍増計画は日本の高速鉄道史における「定量目標の曖昧さを行政文書で隠蔽した好例」と評価されることが多い。交通政策史研究者のは、これを「輸送力の増強ではなく、増強という言葉の増強であった」と総括している[5]。
ただし、結果としてダイヤ編成の柔軟化、駅案内の改善、車両運用の効率化が進んだことも事実であり、利用者の満足度は一定程度向上したとされる。つまり本計画は、半分は政策で、半分は広報、残りの半分は現場の気合でできていたともいえる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯信一郎『高速鉄道輸送力倍増論』運輸調査会, 1968年.
- ^ 田嶋真理子『新幹線政策史の研究』交通経済出版社, 1984年, pp. 211-239.
- ^ H. Thornton, “Doubling Capacity in High-Speed Rail: A Japanese Case Study,” Journal of Transport Administration, Vol. 12, No. 3, 1976, pp. 44-68.
- ^ 『国鉄高速鉄道整備史 第4巻』日本国有鉄道広報局, 1972年.
- ^ 古賀俊也『時刻表と国家計画』東洋交通新報社, 1991年, pp. 98-121.
- ^ M. A. Lewis, “Psychological Capacity and Platform Signage,” Rail Systems Review, Vol. 8, No. 1, 1974, pp. 5-19.
- ^ 『高速鉄道輸送力調整特別措置法資料集』運輸省内閣連絡室, 1973年.
- ^ 中村和彦『日本の鉄道行政と広報技術』明文館, 2002年, pp. 67-95.
- ^ E. K. Collins, “The Twofold Track Myth,” International Railway Quarterly, Vol. 5, No. 4, 1971, pp. 101-113.
- ^ 『新幹線倍増計画報告書』鉄道技術研究所, 1970年.
- ^ 柳沢順『新幹線と都市景観の二重化』都市文化社, 1989年, pp. 13-41.
外部リンク
- 国立鉄道資料館デジタルアーカイブ
- 高速鉄道政策史研究センター
- 新幹線広告資料保存会
- 日本ダイヤ編成学会
- 東海道二倍運転史料室