新浦和駅
| 所在地 | 埼玉県さいたま市南浦和地区 |
|---|---|
| 所属事業者 | 東関東都市鉄道株式会社 |
| 所属路線 | 新浦和環状線 |
| 駅番号 | SU-04 |
| 開業 | 1968年4月1日 |
| ホーム | 島式2面4線 |
| 利用者数 | 1日平均 約48,700人(2022年度) |
| 駅記号 | U |
| 駅の特色 | 地下改札と地上改札が17年離れて併設されたことで知られる |
新浦和駅(しんうらわえき、英: Shin-Urawa Station)は、南東部に位置するとされるの要衝である。もともとは周辺の地下水位調整を目的として計画された臨時停車場に端を発し、のちに「駅名だけが先に実装された」と伝えられている[1]。
概要[編集]
新浦和駅は、が運営するとされるの中核駅である。駅名に「新」と付くが、実際には旧の拡張ではなく、戦後の区画整理で生じた「将来駅用地」を先に確保したことに由来するとされている[2]。
駅周辺は行政上は南部の住宅地にあたるが、駅舎の設計思想はむしろの副都心駅に近く、改札口の位置が住民向け説明会ごとに3回変更された経緯がある。これにより、駅前広場が線路側ではなく「いったん公園を挟んで向かいにある」という珍しい構造が生まれた。
歴史[編集]
計画の始まり[編集]
新浦和駅の起源は、の外郭研究班が作成した「埼玉南部通勤緩和および地盤沈下対策の複合案」に求められるとされる。当時の担当技師であったは、線路より先に地下水脈を避ける必要があると主張し、駅予定地の真上に観測塔を建てて半年間だけ気圧を測定した[3]。
この観測塔は現地では「風見鶏より信頼できる建築」と呼ばれ、のちの駅舎の屋根形状にも影響したとされる。なお、塔の撤去後も同じ位置に時刻表だけが残され、住民がそれを待合所として使ったことから、暫定停留の文化が形成された。
開業と名称の確定[編集]
、新浦和駅は仮称のまま試験営業を開始した。ところが開業前夜に駅名標が6枚だけ先に納入され、すべてに「新浦和駅」と印刷されていたため、名称変更の余地がなくなったと伝えられる。駅員教育資料には「新とは新設の意であるが、住民感情上は新築でなく新思想と理解されたい」と記されていたという[4]。
開業当初は1日の乗降客数が2,400人程度であったが、駅前の喫茶店が始めた「改札を出る前にモーニングが終わる」営業方式が評判となり、通勤客の滞留が増えた。これが地域経済を下支えし、駅前の土地価格はまでに2.8倍になったとされる。
地下化工事と二重改札問題[編集]
からにかけて行われた地下化工事では、旧改札を閉鎖するはずが、工期短縮のため仮設改札が恒久化し、結果として地上と地下に2つの改札が並存することになった。これを受けて交通政策室は「二重改札は不便ではなく、選択肢である」と説明したが、実際には朝7時台の乗客が入口を誤認し、平均で1.7分の遅延を生じさせたとされる。
この問題は後に「新浦和方式」と呼ばれ、ほかの近郊駅の改札設計にも影響した。ただし、地上改札のほうが雨の日に混雑するため、駅構内の案内図は毎年梅雨入り前に1回だけ修正されている。
駅構造[編集]
新浦和駅は島式2面4線を基本とするが、実際にはホームごとに微妙に長さが異なり、1番線と4番線の有効長が17mずれている。これは当初の設計図がA3用紙の継ぎ目で切断されたまま承認されたためとされる[5]。
また、駅舎中央には「風圧調整窓」と呼ばれる幅90cmの開閉窓があり、列車接近時のみ駅長室の時計が0.4秒進む仕組みがある。駅弁売店は改札内外に計3店あるが、同じ商品名でも中身が季節ごとに入れ替わるため、地元では「駅弁ではなく駅の記憶を売っている」と評されている。
ホーム上には、かつての研究室が寄贈したという自動湿度計が設置されており、これが高湿度の日に発する小さな電子音を「浦和の梅雨入り」と呼ぶ者もいる。
路線と運行[編集]
新浦和駅にはのほか、朝夕限定でが乗り入れるとされる。快速列車は停車時間がわずか28秒であるが、駅員のアナウンスが長すぎるため、利用者の体感では毎回1分以上停車しているように感じられるという。
また、からまでの15年間、週1本だけ「試運転扱いの定期列車」が運行されていた。これは車両性能確認のための名目であったが、実際には沿線の小学校が時刻表教育に利用し、児童が「幻の月曜臨時列車」を追いかける地域行事へと発展した。
社会的影響[編集]
新浦和駅の最大の影響は、との間に「新しい中心がある」という錯覚を地域にもたらした点にある。これにより、周辺の商店会は自らを「駅前である」と主張し続け、最盛期には半径600m圏内に駅前商店街が4つ同時に存在したとされる。
また、の都市研究班は、新浦和駅の利用者が改札内で待ち合わせる確率は全国平均の2.1倍であると報告した。原因としては、駅名が示す新しさに反して構内の案内表示が古風であるため、「出口の番号を信用できない」心理が働くためだと分析されている。
一方で、駅名に「新」が付くことから、近隣には「新浦和という地名が実在する」と誤認する転入者が後を絶たず、には市役所に年間137件の住所照会があったという。
批判と論争[編集]
新浦和駅をめぐっては、駅名が実態より先行しすぎているとの批判がある。とくにの『首都圏交通白書』では、「駅の完成度が88点なのに名称の完成度が132点である」と評され、駅名標だけが過剰に洗練されていることが問題視された[6]。
また、二重改札の維持費については、年間約1,900万円が必要であるとされるが、その内訳のうち約3割は「改札をどちらにするかを尋ねる案内員の人件費」で占められている。これに対して駅利用者の一部は、改札を統合すると「新浦和駅らしさが失われる」と抗議しており、合理化と伝統保全の両立が難しい例として挙げられる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『埼玉南部通勤緩和計画史』東関東交通研究所, 1974.
- ^ M. A. Thornton, “Station Names Before Stations: A Case Study of Shin-Urawa,” Journal of Urban Transit Studies, Vol. 12, No. 3, 1982, pp. 44-61.
- ^ 佐伯康弘『駅前地形と改札配置の社会学』中央都市出版, 1991.
- ^ 東関東都市鉄道株式会社編『新浦和駅 地下化工事報告書』社内資料第8巻第2号, 1992.
- ^ Harold K. Finch, “The Double Ticket Gate Problem in Postwar Japan,” Railway Systems Review, Vol. 7, No. 1, 1996, pp. 5-19.
- ^ 埼玉県交通政策室『首都圏近郊駅における案内動線の再編』埼玉県庁刊, 1999.
- ^ 小暮千晶『改札の向こう側にある都市像』学芸交通叢書, 2005.
- ^ National Institute for Transit Folklore, “On the Meteorological Clock of Shin-Urawa Station,” Transit Anthropology Quarterly, Vol. 4, No. 2, 2011, pp. 88-97.
- ^ 『駅名標の政治学――新浦和駅の場合』交通文化評論 第18巻第4号, 2015.
- ^ B. W. Carter, “A Station With Two Entrances and One Identity,” International Journal of Rail Narratives, Vol. 9, No. 4, 2019, pp. 201-226.
外部リンク
- 東関東都市鉄道 公式駅案内
- さいたま市地域交通アーカイブ
- 駅名研究会・新浦和分科会
- 首都圏近郊駅ウォッチャーズ
- 鉄道民俗博物館 デジタルコレクション