新熊輝敏
| 氏名 | 新熊 輝敏 |
|---|---|
| ふりがな | しんくま てるとし |
| 生年月日 | 1912年2月14日 |
| 出生地 | 青森県弘前市 |
| 没年月日 | 1987年11月3日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 民俗工学者、技術者、作庭家 |
| 活動期間 | 1935年 - 1982年 |
| 主な業績 | 雪鳴り装置の体系化、冬季庭園音響の標準化 |
| 受賞歴 | 北奥文化賞、日本作庭学会特別功労賞 |
新熊 輝敏(しんくま てるとし、 - )は、の民俗工学者、庭園仕掛け設計家である。雪鳴り装置と呼ばれる冬季音響技術の体系化で広く知られる[1]。
概要[編集]
新熊輝敏は、出身の民俗工学者であり、中期に独自の冬季音響技術をまとめ上げた人物である。特に、積雪を利用して微小な振動と共鳴音を発生させる雪鳴り装置の設計で知られる[1]。
その活動はの庭園保存事業、の寒冷地技術調査、ならびにの準会員制度にまで及んだとされる。なお、彼の理論は一部で「聞こえる景観学」と呼ばれ、後年のに影響を与えたという[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
新熊は、の旧家に生まれる。父・新熊庄一は林業関係の帳簿係、母・とくは津軽地方の伝承歌に通じた人物で、幼少期の輝敏は雪解け時の水音を記録することを日課としていたという。
在学中、彼は校庭の排水溝に竹管を差し込み、凍結の度合いによって音階が変わることを発見したとされる。この経験が、後年の「積雪共鳴」の着想につながったと本人は述べたが、同級生の日記には「ただのいたずらである」との記述も残る[3]。
青年期[編集]
、木材工芸科に進学し、教授のもとで家具構造と振動工学を学んだ。特に、木目の方向が音響に及ぼす影響について異様な執着を示し、授業後にはの古書店で雪国の民俗誌を漁っていたと伝えられる。
には、卒業制作として「可搬式雪鳴盤」を提出し、学内で最優秀を受けた。これがに掲載されたことから、のちの研究者は彼を「音を設計した最初の作庭家の一人」と位置づけた。ただし当該報告書には、装置の用途が「冬季の退屈軽減」であったとも記されている。
活動期[編集]
、新熊はの寒地調査員として赴任し、・・の三都市で雪面反響の実測を行った。彼の記録帳によれば、積雪18センチメートルから42センチメートルの範囲で最も明瞭な高音が得られ、湿雪の日は「失敗の確率が7割を超える」とされた[4]。
以降はに拠点を移し、寺院庭園に季節音響を組み込む試みを始める。周辺の石組を用いた実験は、観光客が石を踏むたびに微かな共鳴が生じるとして話題となった。もっとも、寺側は「そういう用途で貸した覚えはない」と後年述懐している。
には、民間団体を設立し、会員数は初年度で38名、最大時には412名に達したとされる。会誌『雪鳴と庭』は年4回刊行され、掲載論文の半数以上が「音の再現性」に関するものであった。
晩年と死去[編集]
にの郊外へ転居した後は、実地研究を減らし、装置の標準化と後進育成に専念した。には「雪鳴り装置JIS案」を私案としてまとめ、へ提出したが、規格番号の欄に自筆で「未だ白紙」と書いたため受理されなかったという。
、新熊はの自宅で死去した。75歳であった。葬儀では、彼の遺言により、参列者が紙片を揉んで擬似的な雪音を鳴らすという異例の献花法が採用され、地元紙は「静かな爆笑を伴う告別式」と報じた[5]。
人物[編集]
新熊は、実用一辺倒の技術者というより、民俗学者と職人の中間に位置する人物であったとされる。会話の端々で津軽弁と東京語が混ざり、初対面の相手には必ず「音は寒さの影である」と言ってから本題に入ったという。
性格は几帳面であったが、実験結果の失敗を記録する際だけは妙に饒舌で、ノートの余白に雪だるまの落書きを残す癖があった。弟子のは「先生は成功より失敗の方を大切にした」と回想しているが、同時に「失敗作を人前で鳴らし続けるのはやめてほしかった」とも述べている[6]。
また、彼は茶碗を持つときの角度に強いこだわりを持ち、雪鳴り装置の音色確認にも必ず湯呑みを用いたとされる。これは「陶器の反射が人間の耳に最も誠実である」という独自理論に基づくもので、学会では半ば迷信として扱われた。
業績・作品[編集]
主要な業績[編集]
新熊の最大の業績は、雪の圧密度、木材の含水率、風向の変化を組み合わせた「三要素共鳴式」の提唱である。彼はこれにより、庭園や広場において自然雪を用いた音響演出が可能であると主張した。
この理論は後半にの周辺で一定の関心を集め、やの公共空間設計において試験導入されたとされる。なお、実際に採用されたのは全体の14件中3件にとどまり、多くは「音が大きすぎる」という理由で見送られた。
代表作[編集]
『雪鳴庭園設計法』()は、新熊の理論を体系化した最初の著作である。全218頁から成り、うち41頁が脚注、17頁が図版の凡例で占められていた。
『積雪と沈黙の相関』()では、雪面の凹凸が人間の心理に与える影響を論じ、当時の教育番組でも断片的に紹介された。もっとも、番組内での再現実験では音がほとんど出ず、司会者が「これは沈黙の勝利です」とまとめた映像が残っている。
『庭はなぜ鳴るか』()は一般向けに書かれた啓蒙書で、全国の公立図書館で計6,400冊が配本された。巻末付録の「家庭でできる雪鳴り装置」は、関東地方では再現困難であるとして読者から問い合わせが相次いだ。
受賞と記録[編集]
、新熊はを受賞し、授賞式では副賞として青森県産の乾燥リンゴ50キログラムが贈られた。彼は受賞挨拶で「果物が鳴かぬのは惜しい」と述べ、会場を戸惑わせたという。
には特別功労賞を受けたが、表彰状の肩書きが「庭園仕掛設計者」になっていたため、本人が「工学が足りぬ」と修正を求めた逸話がある。学会側はこれを受け、翌年から表彰状の欄を可変式にしたとされる。
後世の評価[編集]
新熊の評価は長らく分裂していた。保守的な作庭家からは「奇抜な雪遊び」とみなされた一方、寒冷地研究者の間では、環境音の可変性を先取りした先駆者として再評価が進んだ[7]。
にはの研究グループが旧作業場から未公開の図面12点を発見し、そのうち1点に「春には使えない」と赤鉛筆で書かれていたことが話題となった。これにより、彼が単なる発明家ではなく、季節依存性そのものを設計対象としていた可能性が指摘されている。
一方で、に収蔵された弟子の手記には、実験の多くが「再現性に難がある」と記されており、学術的評価にはなお議論がある。もっとも、この曖昧さ自体が新熊の魅力であるとする研究も存在する。
系譜・家族[編集]
父は新熊庄一、母は新熊とくである。兄弟は弟の新熊清市が知られており、清市はの土木部に勤務し、後年、兄の雪鳴り装置用の排水部材の調達を担当した。
妻はに結婚した新熊カズエで、の呉服商の娘であった。カズエは夫の研究に批判的であったが、試作品の命名だけは一貫して担当し、「しずく号」「こしもざわ号」など、妙に文学的な名を付けたという。
長男の新熊輝男は写真館を営み、次男の新熊雪子はの学校教師となった。輝男は父の没後、遺品整理の際に「鳴らない試作器」を37箱発見したと証言している。
脚注[編集]
[1] 新熊輝敏研究会編『新熊輝敏年譜』北奥出版、1994年。 [2] 田所真理「聞こえる庭園とその系譜」『環境音工学紀要』Vol. 7, No. 2, pp. 14-29, 2008年。 [3] 弘前高等小学校同窓会資料室『雪の日記抄』未刊複写資料、1931年。 [4] 北海道寒地技術調査所『積雪反響測定報告書』第3巻第1号, pp. 2-41, 1938年。 [5] 『東都夕刊』1987年11月5日付朝刊、3面。 [6] 小野寺恒夫『師と失敗と湯呑み』私家版、1991年。 [7] Margaret A. Thornton, "Acoustic Snow in Mid-century Japanese Garden Design," Journal of Northern Studies, Vol. 12, No. 4, pp. 201-233, 2010.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 新熊輝敏研究会編『新熊輝敏年譜』北奥出版, 1994.
- ^ 田所真理「聞こえる庭園とその系譜」『環境音工学紀要』Vol. 7, No. 2, pp. 14-29, 2008.
- ^ 北村隆一「積雪共鳴の制度化」『日本民俗技術学会誌』第14巻第3号, pp. 88-103, 1997.
- ^ 弘前高等小学校同窓会資料室『雪の日記抄』未刊複写資料, 1931.
- ^ 北海道寒地技術調査所『積雪反響測定報告書』第3巻第1号, pp. 2-41, 1938.
- ^ Masao Kisaragi, "Seasonal Resonance and Garden Space," Transactions of the Far East Acoustic Society, Vol. 9, No. 1, pp. 55-79, 1965.
- ^ 小野寺恒夫『師と失敗と湯呑み』私家版, 1991.
- ^ 井上澄子『雪音の美学』北の文化社, 1984.
- ^ Margaret A. Thornton, "Acoustic Snow in Mid-century Japanese Garden Design," Journal of Northern Studies, Vol. 12, No. 4, pp. 201-233, 2010.
- ^ 高橋茂『庭園仕掛設計概論』誠文堂工芸出版, 1976.
- ^ 渡辺久代「新熊装置の再現実験における失敗率」『寒冷地研究』第21巻第2号, pp. 31-48, 2016.
- ^ 『雪鳴と庭』創刊号, 日本雪音研究会, 1958.
外部リンク
- 北奥文化アーカイブ
- 日本雪音研究会デジタル館
- 弘前民俗工学資料室
- 庭園音響史研究フォーラム
- 寒地技術年表データベース