日本に存在するベトナム移民街
| 名称 | 日本に存在するベトナム移民街 |
|---|---|
| 別名 | 越街(えつがい)・第二インドシナ通り |
| 成立期 | 1987年頃 - 2000年代初頭 |
| 主な分布地域 | 東京都、愛知県、大阪府、群馬県、福岡県 |
| 主要機能 | 食材供給、送金、宗教儀礼、相互扶助 |
| 代表的空間 | 商店街、簡易旅館、仏教寺院、深夜食堂 |
| 推計人口 | 2018年時点で延べ約12万4,000人が日常的に利用 |
| 研究機関 | 国際都市民俗研究会、東海移民史資料センター |
日本に存在するベトナム移民街(にほんにそんざいするベトナムいみんがい、英: Vietnamese Immigrant Districts in Japan)は、各地に点在するとされる系移民が形成した商業・居住集積である。後半から前半にかけ、技能研修制度の周辺で自然発生的に形成されたとされている[1]。
概要[編集]
日本に存在するベトナム移民街とは、国内の特定地域において、語の看板、専門食材店、送金窓口、祈祷所が半径数百メートル内に集積した空間を指す呼称である。一般には単なる外国人集住地区と混同されやすいが、移民街と呼ばれるものは、生活機能が一通りそろい、かつ週末ごとの法要や年中行事が通り全体の動線を規定する点に特徴がある[1]。
この概念は、の補助制度としてに策定されたとされる「越境生活圏整備要綱」に由来すると説明されることが多い。ただし、実際にはの廃業した繊維倉庫群を借り上げた移住者たちが、勝手に路地へ番号を振り、のちに地図会社がそれを正式な地区名として採用したことが始まりとする説も強い[2]。
なお、移民街の範囲は固定的ではなく、のように昼間人口で定義される地区もあれば、のように夜間の屋台密度で定義される地区もある。このため、研究者の間では「街というより、送金とフォーの匂いで輪郭が見える可変的地帯」と表現されることがある。
成立の背景[編集]
起源として最もよく引用されるのは、にの下請けとして設立された「東亜生活再配置協議会」の報告書である。同報告書では、労働者の住居を職場近くに集約することで失踪率を下げる目的が掲げられたが、のちにこの方針が逆に共同体の自律性を高め、結果として移民街形成を促したとされる[3]。
とりわけ、周辺では、ベトナム語を話す仲介人のが中古自転車店を拠点に家探しと就労斡旋を行い、3か月で38世帯を同一区画に集めたと伝えられる。彼は各家庭の冷蔵庫に「魚醤をこぼした場合は翌朝までに塩を振ること」と書いた紙を貼り、これが後の地区規範の原型になったという[4]。
また、移民街の形成にはとの相性の良さが大きく作用したとされる。寺院での旧正月行事が終わる頃、周辺のや仕出し弁当店が営業時間を延長し、やがて「法要後の空腹に対応する牛骨スープ」の需要が常態化した。これにより、移民街は単なる居住区ではなく、儀礼と飲食の循環によって拡張する生活圏として定着したのである。
主な地域[編集]
首都圏[編集]
の一部では、駅前の衣料品店が毎週金曜だけベトナム雑貨店に変わる現象が知られる。路面に置かれるプラスチック椅子の数で通りの繁忙度を測定する習慣があり、2016年の調査では平均17.4脚が観測された[5]。また、では旧工場街の排水路沿いに小規模寺院が点在し、雨季になると「蓮の花ではなく洗濯物で季節を知る」と言われる。
中京圏[編集]
は、移民街研究でしばしば「第一の定着地」とみなされる。ここでは麺店、バイク修理屋、送金所が三角形を作るように配置される傾向があり、地域史研究者はこれを「フォー・トライアングル」と呼ぶ[6]。さらにの一部では、商店街のアーケードに吊られた扇風機の回転方向で店主の出身地を推測するという、半ば民俗学的な観察法が残っている。
近畿・地方圏[編集]
では、ベトナム食材と韓国食材が同じ棚に並ぶことから、研究者のあいだで「二重発酵回廊」と呼ばれることがある。ここでは年に一度、トゥオンスープの寸胴鍋のふたを閉める速さを競う非公式大会があり、2019年には0.83秒差で勝敗が決したと報告されている[7]。一方、の周辺では、工業団地の帰宅時間に合わせて屋台が出るため、夕方18時12分前後にのみ通りが急に濃い香りを帯びる。
文化[編集]
移民街の文化は、正月、、祖先祭祀、屋台経営、在留資格更新が互いに絡み合って成立しているとされる。特に食文化は強い求心力を持ち、、、が「三種の生活基盤」と呼ばれることがある。
また、地区ごとに看板の字体の流行があり、半ばにはゴシック体よりも、やや細い明朝体に近いベトナム語表記が好まれた。この流行は、ある印刷会社が「漢字とベトナム語は細ければ細いほど両替所らしく見える」という営業資料を配布したことに起因するとされる[8]。
宗教面では、仏教寺院のほか、祖霊棚を備えた一般住宅が事実上の小礼拝所として機能する場合がある。なお、のある地区では、旧正月の獅子舞が終わった直後に大家が家賃を更新する慣行があり、これが共同体の結束を強めた一方で、会計上の混乱も生んだと記録されている。
社会的影響[編集]
日本に存在するベトナム移民街は、、、、の四分野に影響を与えたとされる。飲食店への食材供給網が整備された結果、深夜帯の冷凍バジル流通量はからのあいだに約6倍になったという推計がある[9]。
また、地区の成立によって、各自治体は「多文化共生」を掲げるようになったが、実務の現場ではごみ出しルールの多言語化より先に、魚醤の漏れた瓶をどう分別するかが問題になったとされる。ある職員は「国際交流とは、指定袋に入らないパクチーの根を前にして始まる」と回想している。
観光面では、週末にだけ現れるベトナム朝市がSNSで拡散し、2018年にはの案内所が「パスポート不要のハノイ散歩」と題した地図を配布した。もっとも、この表現は一部で不適切とされ、のちに「異文化体験ルート」に修正された[10]。
批判と論争[編集]
移民街をめぐっては、地区の商業化が共同体の自律性を損なうとの批判がある。とくにが「ベトナム街風」の看板を後付けで設置し、実際には空き店舗だった区画を観光資源として売り出した事例が問題視された[11]。
一方で、研究者の側にも論争がある。地理学者のは、移民街の境界を「香りの濃度」で測定したとして学会で批判を受けたが、本人は「地図は目で見るものではなく、夕飯前に鼻で確認するものだ」と反論した。これに対し、同業のは、匂いの測定には再現性がないとして、週ごとの出汁成分の空中分析を提案したという。
さらに、自治体が地区の活性化を目的に実施した「ベトナム語併記ベンチ」事業では、ベンチの背もたれに書かれた翻訳がすべて「座る」「待つ」「帰る」の三語しかなかったため、かえって哲学的だとして話題になった。要出典。
歴史[編集]
1980年代[編集]
末には、工場夜勤者向けの相部屋宿から小規模な食材販売が始まったとされる。初期の移民街は、看板よりも裏口の合図で機能しており、ドアノブに白い輪ゴムが巻かれていれば米がある、赤い輪ゴムならフォーのスープがある、という暗黙の符牒が存在したという。
1990年代[編集]
には、送金と電話カード販売が地区経済の中心となり、商店のレジ横には未使用のが積まれていた。ある地区では、電話カードの印刷番号が偶然の年月と一致したため、月末に売上が伸びるという迷信まで生まれた[12]。
2000年代以降[編集]
以降は、による情報共有によって、地理的に離れた店舗同士が「仮想移民街」として結ばれるようになった。たとえばの食材店がの理髪店と共同で配送網を組み、週末だけ同じ看板デザインを使う事例が確認されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯良和『越境生活圏の生成――日本列島におけるベトナム系集住地区の形成』東海移民史研究所, 2019, pp. 41-78.
- ^ Margaret J. Hudson, "Odor Boundaries and Mobile Districts: A Field Study in Toyohashi", Journal of Asian Urban Ethnography, Vol. 12, No. 3, 2021, pp. 201-229.
- ^ 東亜生活再配置協議会『越境生活圏整備要綱』内部資料第7号, 1991.
- ^ グエン・ティ・ハー『日本の路地における祖霊棚と商業看板』アジア民俗文化出版社, 2008, pp. 14-39.
- ^ 中村精一『冷凍バジル流通史――港湾都市と深夜食堂』物流文化評論社, 2017, pp. 88-112.
- ^ Pierre Lemoine, "The Triangle of Pho: Spatial Clustering in Postindustrial Japan", Urban Migration Review, Vol. 8, No. 1, 2016, pp. 55-76.
- ^ 鈴木麻里子『看板字体と移民空間の視覚政治』東京地図出版, 2020, pp. 102-137.
- ^ Watanabe, K., "Telecard Numerology and Lunar Sales Cycles in Immigrant Markets", East Asian Commerce Studies, Vol. 4, No. 2, 2002, pp. 9-31.
- ^ 佐藤健吾『香りの都市地理学』港北書院, 2015, pp. 5-22.
- ^ 『ベトナム語併記ベンチ事業報告書』横浜市都市交流局, 2018, pp. 1-16.
外部リンク
- 国際都市民俗研究会
- 東海移民史資料センター
- 越境生活圏アーカイブ
- アジア路地観察ネットワーク
- 移民街地図編集室