日本人男性の陰茎消失事件
| 名称 | 日本人男性の陰茎消失事件 |
|---|---|
| 別名 | ペニス失踪騒動、P-0事案 |
| 発生時期 | 1979年-1984年頃 |
| 発生地 | 東京都、神奈川県、愛知県ほか |
| 原因 | 集団暗示、旧式衛生検査、俗信の混入 |
| 分類 | 都市衛生災害・身体認識異常 |
| 影響 | 検査手順の改定、男性更衣室文化の変化 |
| 通称の由来 | 紙媒体で使用された略号「P-0」による |
(にほんじんだんせいのいんけいしょうしつじけん)は、末期にを中心として語られるようになった、男性器が一時的または恒久的に「消失」したとされる一連の集団事象である[1]。主として、、およびの境界領域に位置づけられている。
概要[編集]
は、主として54年から59年にかけて、男性が「性器が体内に引き込まれた」「輪郭だけが残った」などと訴えた現象群を指す呼称である。後年の調査では、実際の器官消失ではなく、低温環境下での収縮、過度な自己観察、ならびに検査室の鏡配置が引き起こした知覚錯誤であった可能性が高いとされている[2]。
もっとも、当時の系文書に残る一部の記録では、問診票の「確認済み」欄に誰がどのような基準で印を付けたのか不明であり、の巡回記録とも食い違いがある。このため、単なる集団錯覚として片づけるには資料の癖が強すぎるとする研究者も少なくない。
発端[編集]
品川の検尿車と最初の報告[編集]
事件の最初の明確な報告は11月、の工場地帯に派遣された移動検診車にさかのぼるとされる。作業員の一人が「朝から何も見当たらない」と申告し、看護師が手袋越しに三度確認したところ、本人は「戻った気がする」と述べたという[3]。
この逸話は後に誇張され、当日の検温がだったこと、車内の蛍光灯が片側のみ切れていたことまで事件の象徴として語られるようになった。なお、当該検診車の担当者はのちに『見えないものを見ようとしすぎた』と回想している。
「P-0」表記の定着[編集]
頃から、一部の医療機関では問診票の自由記述欄に「P-0」と書かれる例が散見された。これは本来、検査欄の記入漏れを示す内部メモが転用されたものであるが、当時の若年層の間では「ペニスがゼロになる現象」と誤解され、都市伝説として増殖した[4]。
内のある工場では、朝礼で「P-0自己申告は速やかに上長へ」と掲示されたため、午後までに19名が自主申告したという。この記録はのちに労務管理の失敗例として系の特集記事で扱われた。
歴史[編集]
昭和後期の身体不安と拡散[編集]
からにかけて、事件はの高校保健室やの銭湯などへ飛び火した。とりわけ寒冷な日には「下着の折り返しに隠れた」「朝礼までに元に戻る」といった証言が相次ぎ、新聞の生活面では半ば笑い話として、半ば公衆衛生の問題として扱われた[5]。
当時の保健体育の授業では、人体模型の配置を工夫することで生徒の不安が軽減したという報告があり、の一部検討会では、模型の局所部位を布で覆うべきかどうかが真剣に議論されたとされる。
研究会の成立[編集]
、の私設研究室において「陰茎認識現象研究会」が発足した。中心人物は泌尿器科医のと民俗学者ので、前者は生理学、後者はの観点から事例を整理した。
研究会は、消失事例を「物理的消失」「視認不能」「本人否認」の三類型に分けたが、会合のたびに分類が増え、最終報告書では7類型まで膨張した。報告書末尾に「なお、犬に見えたという証言は別件とする」とあるのが有名である。
終息とその後[編集]
以降、急性の申告件数は減少したが、これは原因が解明されたからではなく、健康診断の書式から自由記述欄が削除されたためだとする説が有力である。後年、の内部資料では、問い合わせ件数が月平均からへ落ちたとされるが、内訳の半数は「ズボンのファスナー不良」であった。
事件が完全に収束したのは初期と見られるが、いまなお一部の温泉地では、脱衣所の鏡の角度を気にする高齢男性がいるとされる。
社会的影響[編集]
この事件は、日本における男性の身体イメージに微妙な影響を与えた。特に、、およびでは、個人の視線が器官の存在そのものを左右するという奇妙な実践知が共有されるようになった。
また、の印刷会社が作成した注意喚起ポスター『寒い朝は落ち着いて確認を』は、当時のサラリーマン文化を象徴する資料として現在も引用される。もっとも、同ポスターの右下に描かれた人体図がやけに抽象的であったため、後年は芸術作品として展示された。
一方で、事件をきっかけに男性更衣室での「沈黙の連帯」が強まったとする文化人類学者もいる。朝のテレビ番組では「見えないことを笑うか、見えることを恐れるか」という特集が組まれ、視聴率がを記録したというが、出典はやや怪しい。
批判と論争[編集]
事件研究には、当初から「そもそも何を以て消失と呼ぶのか」という根本的な批判があった。とくにの社会医学講座では、集団ヒステリー説を支持する立場と、職場文化由来の自己検閲説を唱える立場が対立し、1980年代末の学会では資料持ち込み禁止のまま口頭発表だけで2時間を費やしたという。
また、の夕刊コラムが本件を「昭和の恥部」と表現したことに対し、研究会側は「恥部ではなく可視性の問題である」と反論した。なお、保守系雑誌の一部は、これを「下着教育の敗北」と断じたが、議論は極めて不毛であった。
近年では、事件そのものよりも、記録者が皆そろって“真顔”だったことのほうが研究対象になっている。特にの地方紙記事に見られる、見出し『消えたのは何か』の下に通常のスポーツ欄が続くレイアウトは、編集史上の異常例として知られる。
証言と資料[編集]
現存する資料としては、に残る相談メモ、の抄録集、ならびに民間の健康保険組合が保管していた複写式申告書がある。これらは互いに食い違う部分が多いが、逆にそれが事件の実在感を支えている。
たとえば、ある申告書には「朝は在るが昼に薄い」と書かれている一方で、別のメモには「本人が“気のせいかも”と3回発言」とある。研究者の間では、こうした揺れこそが当時の不安の正体を示すとされる。
なお、7月の合同調査では、5人の聞き取り対象のうち4人が「その話をしているうちに戻った」と回答したため、調査団は実質的な結論を出せなかった。
現在の扱い[編集]
現在、事件はとして語られることが多いが、一部の研究では、身体と羞恥、制度と視線の関係を考えるための重要な事例として扱われている。特に、笑い話の形式をとりながらも、当事者の自己認識に深く関わる点が注目されている。
代には、インターネット上で「P-0チェック」というジョークが再流行したが、若年層の多くは元ネタを知らず、単なるレトロ風ミームとして消費した。こうした受容のされ方は、事件が完全に消えたのではなく、意味だけが薄く残ったことを示しているとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 高瀬俊一郎『P-0事案の臨床的諸相』日本衛生評論社, 1986, pp. 14-39.
- ^ 三枝みどり『都市伝説としての身体消失』民俗と生活編集部, 1988, Vol. 12, No. 3, pp. 201-228.
- ^ 渡部栄一『昭和末期の男性衛生不安』中外医学書院, 1990, 第4巻第2号, pp. 55-73.
- ^ Margaret A. Thornton, “Visibility, Shame, and the P-0 Panic,” Journal of Applied Folklore, 1991, Vol. 8, No. 1, pp. 11-28.
- ^ 佐藤久美子『検診車の社会史』東京保健出版, 1992, pp. 102-147.
- ^ Ichiro Kanda, “Locker Room Silence in Late-Shōwa Japan,” Comparative Body Studies, 1993, Vol. 5, No. 4, pp. 77-96.
- ^ 青木進『陰茎認識現象の分類学』日本民間医療研究会, 1994, 第2巻第1号, pp. 3-19.
- ^ 田辺一郎『見えないものの編集史』青銅社, 1996, pp. 88-116.
- ^ Elizabeth Moore, “When the Diagram Disappears,” East Asian Health Narratives, 1997, Vol. 3, No. 2, pp. 145-160.
- ^ 『男性器失踪と鏡面環境』保健文化叢書, 1989, pp. 1-44.
外部リンク
- 国立P-0アーカイブ
- 昭和身体不安研究センター
- 日本陰茎認識史資料館
- 都市伝説衛生博物誌
- 横浜私設研究会デジタル年報