日本記録推進法保守会
| 正式名称 | 日本記録推進法保守会 |
|---|---|
| 種別 | 任意団体(推進・監査を主張) |
| 主眼 | 公文書・民間記録の“保全と公開”の両立 |
| 関連法 | 日本記録推進法(と称される枠組み) |
| 設立の経緯 | 記録の散逸を契機に設立されたとされる |
| 活動拠点 | (主に)を中心とする |
| 広報媒体 | 『保守会通信』および年次報告書 |
| 監査スタイル | “閲覧可能性”を指標化するとされる |
(にほんきろくすいしんほうほしゅかい)は、において「記録の保存と公開」を主軸に据えるとされる団体である。表向きはの趣旨を“保守的に守る”ことを目的として組織されたとされるが、その実務は省庁横断の情報運用にまで及ぶと報じられている[1]。
概要[編集]
は、記録(文書・音声・映像・電子データ)を「残すだけでなく、いつでも参照できる状態に保つ」ことを理念として掲げる団体である[1]。特に、行政手続の透明性を高める目的で「保全」「索引化」「失効回避」の三分類を推奨するとされる。
一方で、同会が採用する運用モデルは、閲覧のしやすさを最適化するあまり、現場の業務手順に“記録工程”を固定化させる傾向があると批判されることもあった。とりわけ、内部の監査において「記録遅延」を時間ではなく“文字数単位の滞留”として扱う点が、報道ではしばしば揶揄された[2]。
歴史[編集]
成立の背景と“細則の呪い”[編集]
同会が名乗るは、戦後の公文書制度改革の延長にあると語られることが多い。ただし、保守会側の説明では起源はさらに古く、明治末期の“帳簿統計の統一”計画にまで遡るとされる[3]。実際には、記録をめぐる問題は産業衛生や災害対応にも波及し、その対応のために「記録の書式統制」が必要になった、という筋書きが採用されている。
保守会の成立は、のに設けられた仮会館「霞門記録会館」での意見交換会が発端であるとされる[4]。当時の議事録は、出席者全員の発話を“要旨1行”に圧縮する方式で作成され、最初の版では圧縮率がに収束したと記されている。圧縮率の一致が組織の結束を生んだ、と主張する資料もある[5]。
のちに、同会は“細則の呪い”と称される運用を確立した。すなわち、記録の公開期限を一律にせず、閲覧頻度によって「一次索引」「二次索引」「保管索引」に階層化する方式である。この階層化は、当初こそ効率化に寄与したが、やがて現場に“索引待ち”という新しいボトルネックを作ったといわれる。なお、保守会通信では、このボトルネックを「索引の温度不足」と呼び、改善策としてインデックス文書の微細フォント調整(推奨:)まで提示したことがある[6]。
省庁連携と監査技術の発展[編集]
は、後年になるほど官公庁との連携を強めたとされる。関連部署の担当者を招いた公開勉強会がにので開催され、そこで「閲覧可能性指数(Readability Index)」を導入する案が提示された[7]。
この指数は、閲覧者が理解に要する“推定ページ往復回数”を基礎として算定されるとされた。さらに、電子記録の場合は「検索窓の回数」まで加味する設計だったため、現場では“検索窓の使い回数”が評価対象になったとされる[8]。ただし、保守会はこれを否定し、「検索は生身の知性である。指数に縛られてはならない」と声明を出したと記録されている。
また、保守会の内部監査では「記録の失効回避」を徹底するため、保存期限を延長するだけでなく、記録の“言い換え”を許容する特殊手続が整備されたとされる。つまり、同じ内容でも表現が変わると別物として扱われ、結果として置換作業が発生するのである。この置換作業は監査で高く評価されるが、その分だけ原本の意味が曖昧になる危険も指摘され、同会の理念と実務が微妙にねじれる局面が生じた[9]。
理念と運用[編集]
保守会の理念は、記録を“保存する義務”から“理解できる形で渡す責任”へ拡張する点にあるとされる[2]。同会は「記録の死」を“参照の断絶”と定義し、参照の断絶は情報の欠落だけでなく、索引の不在、言葉のゆらぎ、閲覧環境の差によって生まれると考える。
運用では、記録を作成した部署に対して、提出前チェックリストが配布される。チェックリストには「主語の明示率」「動詞の標準化率」「改訂履歴の密度」など、現場の頭を悩ませる項目が並ぶとされる。特に改訂履歴の密度は、1ファイルあたり改訂履歴が以上あることが望ましい、とされた時期がある[10]。
一方で、同会の方式は融通の利かなさゆえに、記録作成者が“書式”に適応することで内容の自然さが失われるという副作用があったとされる。後年、保守会自身が「自然さは人間の財産であり、細則のために削ってはならない」と語ったと報じられている。ただし、その発言が掲載された年次報告書では、当時の自然さを図る指標として「余白率(推奨:余白)」が併記されており、自然さが再び数値化される結果になった[11]。
社会に与えた影響[編集]
の影響は、行政の文書管理や企業の監査文化にまで及んだとされる。特に、災害対応の現場では、初動の記録が後の訴訟や補償審査で争点になるため、保守会の考え方が“後から説明できる組織”の作り方として受け入れられた[12]。
その結果、の自治体や関連法人の一部では、会議体の運営が変化し、「会議時間のうち記録作業に割く時間」を事前に明示する運用が広がったとされる。ある区の内部資料では、会議1回あたりの記録作業配分が(標準偏差)とされており、これが“会議の長さ”ではなく“会議の記録度”で評価される風潮を生んだといわれる[13]。
また、保守会の運用思想がメディアに波及し、個人が発信する情報にも「閲覧可能性」を意識した“索引文章”が添えられるようになったという指摘がある。とはいえ、この索引文章が過剰になると、内容よりも導線が目立ち、読者の集中が削がれることもあった。ここに、同会の善意が“設計の勝利”として誤作動した側面があると評価されている[9]。
批判と論争[編集]
批判の中心は、記録の公開を唱えながら、実務的には“公開の前提条件”を細かくしすぎる点にあるとされる。すなわち、公開は無条件ではなく、特定フォーマット、索引階層、言い換え手続を満たした記録に限られるため、結果的に公開の幅が狭くなるという構図が指摘された[2]。
さらに、監査指標が複雑であることから、形式的な最適化(指標のための記録)を誘発したのではないか、という疑いが浮上した。実際、保守会が推奨する“標準動詞セット”を導入した部署では、説明が硬直化し、対外文書が同じ語彙で埋め尽くされる事態が起きたとされる[14]。この現象は社内で「同義反復会」と揶揄されたという。
一方で擁護側は、記録は公共財であり、公共財には手続が必要だと反論した。なお、擁護の根拠として引用されたのが、保守会が監査で用いる“閲覧可能性指数の原資料”だが、そこにはに改訂されたはずの表がの版面で参照されていたという記述があり、出典の整合性に疑問が持たれたとされる[1]。この「整合性のズレ」こそが、記事を読む人が最後に引っかかる最大のポイントである。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田中綱次「日本記録推進法保守会の運用体系—索引階層と“余白率”」『行政情報研究』第12巻第3号, pp. 41-78, 1998.
- ^ Margaret A. Thornton「On Indexability: The Readability Index in Japanese Administrative Practice」『Journal of Records & Access』Vol. 27 No. 2, pp. 101-139, 2006.
- ^ 小林眞一郎「記録の死と再生—保全・置換・公開の三段モデル」『公共文書学評論』第5巻第1号, pp. 12-35, 2001.
- ^ Satoshi Muranaka「Hierarchy of Indices and the Bureaucratic Tick: A Case Study from Chiyoda」『Asian Journal of Information Governance』第9巻第4号, pp. 201-227, 2010.
- ^ 日本記録推進法保守会編『保守会通信(第1号復刻版)』霞門記録会館出版局, 1958.
- ^ 日本記録推進法保守会編『年次報告書—閲覧可能性指数の検証(1991年度)』官庁連携情報研究所, 1992.
- ^ 山本澄「改訂履歴の密度がもたらす形式主義—標準動詞セットの社会的受容」『法と情報の社会史』第3巻第2号, pp. 55-90, 2014.
- ^ 『霞門記録会館議事録(選集)』編集委員会, pp. 3-64, 1960.
- ^ R. K. Inoue「Archival Substitutions and Semantic Drift Under Index-Based Audits」『International Review of Archival Policy』Vol. 33 No. 1, pp. 77-119, 2018.
- ^ 行政事務研究会「索引待ちの発生要因と対策—標準偏差6分モデル」『業務設計学論集』第21巻第1号, pp. 9-24, 2003.
外部リンク
- 保守会通信アーカイブ
- 閲覧可能性指数フォーラム
- 霞門記録会館デジタル資料室
- 行政索引化実務協議会
- 記録置換手続Q&A