放送記録はあるが映像が現存しない番組一覧
| 対象 | 放送記録のみが確認される番組 |
|---|---|
| 分野 | 放送史・映像保存 |
| 成立 | 1972年ごろ |
| 編集主体 | 民間研究会、局内資料室、放送大学研究班 |
| 掲載基準 | 番組表、台本、進行表、録音断片のいずれかが残ること |
| 特徴 | 現存映像の有無で分類される |
| 関連機関 | NHKアーカイブス、東京放送資料保存会 |
| 脚注方式 | 資料番号制と時刻照合式 |
放送記録はあるが映像が現存しない番組一覧(ほうそうきろくはあるがえいぞうがげんそんしないばんぐみいちらん)は、の編成資料、、視聴者のなどに断片的な記録が残る一方、番組本編の映像フィルムまたはテープが確認されていない番組を整理した一覧である。日本ではにの前身組織が試行した「未現存番組目録」を原型として成立したとされる[1]。
概要[編集]
本一覧は、いわゆる「放送されたことは確かだが、映像だけが抜け落ちている番組」を集成したものである。番組名、放送日、局名、残存する放送記録の種類を軸に整理され、研究者の間では「穴あき番組年表」とも呼ばれている[2]。
成立の背景には、からにかけて、局内でのテープ再利用が常態化していた事情がある。また、視聴者がや家庭用に断片録画を残していた例もあり、完全消失と見えた番組が後年に再発見されることも少なくなかった。なお、一覧の末尾には「映像未確認だが音声のみ既知」の項目も含まれ、ここが毎年もっとも揉めるところである[3]。
成立の経緯[編集]
この種の一覧が初めて体系化されたのは、ので行われた「放送資料残存調査会」の報告書とされる。報告書では、からまでの民放番組のうち、実に43.7%が局内目録にしか痕跡を残していないとされ、担当したは「記録があるのに像がない状態は、放送史における無言の空白である」と書いたと伝えられている[4]。
その後、にが「未現存資料カード」を導入し、番組ごとに放送時刻・スポンサー・司会者・エンディングの有無を1枚にまとめる方式が普及した。この方式は便利であったが、同時に「映像がないのにやたら詳しい」という不思議な事態を生み、以後の編者は台本、新聞広告、視聴者投書を組み合わせて埋める習慣を持つようになった。
一覧[編集]
1950年代[編集]
(1956年) - で放送された天体解説番組で、放送記録は残るが本編映像は確認されていない。公開スタジオにを持ち込んだ回があり、観覧客の証言では司会のが星座を指して「これは都会の屋根裏でしか見えぬ星でございます」と述べたという[5]。
(1959年) - の教育番組で、台本と進行表が揃っている一方、映像テープはの倉庫整理で誤って消去されたとされる。紙粘土の恐竜模型が毎回破裂寸前まで膨らむ演出が名物で、児童向け番組としては異様に火薬の記述が多いことから、後年の研究者が「制作意図に謎が多い」と注記した。
1960年代[編集]
(1962年) - の討論番組で、全国の投稿は1週間で平均1,280通に達したとされる。議論の焦点は「封書に切手を2枚貼るべきか」であり、これだけで連続の特番延長が発生したという珍事が記録されている。
(1964年) - の公開バラエティーで、会場の近くに毎週150人ほどが並んだ。出演者のがアドリブで続けて沈黙した回があり、放送事故か芸術かで局内が割れた結果、映像は保存されず音声メモのみが残った[6]。
(1968年) - のマジック番組で、放送終了後に「箱だけが開いていた」という記録が残る。局報では、鳩を出すはずの演目がいつの間にかの説明に変わっていたとされ、現存する進行表にも赤字で「本当にやるのか」とだけ書かれている。
1970年代[編集]
(1971年) - の万博関連スタジオから生放送されたとされる娯楽番組で、会場図面の隅に「カメラ3、妙に高い」とあることから知られる。テーマ曲だけがで残り、番組内容は「世界各国の昼寝の作法を紹介した」と伝わるが、出典ごとに内容が少しずつ違う。
(1974年) - 地方局の参加型番組で、からまでの視聴者代表が電話で意見を述べる形式であった。1回の放送で電話料金が局予算の2.4%を占めたため、翌週から「通話は1人2分以内」とされたが、その張り紙自体が映像化されていない。
(1978年) - の生活情報番組。レシピは現存するが、肝心の調理映像がなく、推定では司会者のがの卵を同時に割った回が番組史上最大の見せ場であったという。台本末尾の「卵黄の扱いに関しては局判断」との一文が研究者の間で有名である。
1980年代以降[編集]
(1981年) - が平日朝に流した短尺ニュース番組で、放送記録は新聞ラテ欄のみ、音声は一部市民がに録音していた。天気予報のコーナーで、気象予報士が「本日は晴れ、ただし風だけが先に来る」と述べたため、後に気象学の隠語として引用された[7]。
(1986年) - 子ども向け人形劇だが、視聴率が深夜帯としては異例の9.8%を記録した。原因は人形の目がやけに光る演出とされるが、映像が残っていないため、実際には照明係の伝説だけが膨らんだ可能性もある。
(1989年) - 実在するかどうかすら怪しい番組名として扱われることがあるが、の資料棚に同名の進行表が存在する。内容はアナウンサーの発声訓練を延々と見せるだけで、最後に「今日の舌はよく回った」と自己採点する形式であった。
保存が失われた理由[編集]
映像が残らない理由は大きく三つに分けられる。第一に、磁気テープの再利用である。第二に、局の移転や水害による資料散逸である。第三に、そもそも「後で見返す価値がない」と判断された番組が、担当者の異動とともに消えたことである[8]。
ただし、もっとも奇妙なのは、映像がないにもかかわらず、制作スタッフの日誌だけが妙に充実している例である。たとえばの『銀座パンチライン』では、カメラ位置の欄に「A=高い」「B=眠い」「C=帰りたい」と記されており、こうした記述が後年の研究者に「現場の空気」だけを残した。
社会的影響[編集]
本一覧の存在は、放送史研究を「何が放送されたか」から「何が残されなかったか」へと押し広げた。資料保存の重要性が一般にも浸透し、にはの古書店が家庭録画テープの寄贈窓口を設ける騒ぎに発展したという[9]。
一方で、映像の欠落そのものが番組の神話化を促進した面もある。内容不明の番組は視聴者の記憶の中で過剰に美化され、たとえば『午後の手品箱』は「一度見たら忘れられない番組」から「誰も見たことがないのに全員が語れる番組」へと変質した。研究者のあいだでは、この現象を「残像ではなく残番組」と呼ぶことがある。
批判と論争[編集]
本一覧には、記録の存在だけで「番組」と見なしてよいのかという批判がある。特に、台本だけが残るもの、放送局の当番表しか残らないもの、視聴者の夕食メモに名前が書かれていただけのものを含めるかどうかで、編集合戦がしばしば発生する[10]。
また、地方局の未現存番組をめぐっては、局員の証言が年ごとに食い違うことが問題となった。ある編者は「映像がない以上、証言は等しく真実である」と主張したが、別の編者は「それは真実ではなく、編集履歴である」と応酬したとされる。結果として、一覧ページの注釈欄はしばしば本編よりも長くなる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田島栄三郎『未現存番組目録の方法論』放送文化研究会, 1973.
- ^ 加賀美理一『磁気テープ再利用史と日本のテレビ保存』岩波資料叢書, 1989.
- ^ Margaret L. Thornton, “Programs Survive Only on Paper: A Survey of Broadcast Loss,” Journal of Media Archival Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 44-71, 1991.
- ^ 放送資料保存協会編『ラテ欄から読む消えた番組』文化通信社, 1994.
- ^ 黒田久子『星図番組と生放送の美学』NHK出版, 1978.
- ^ 石川俊夫『音声だけが残ったテレビ史』朝日選書, 2002.
- ^ Eleanor P. Whitcombe, “When the Camera Is Gone: Ephemeral Television in East Asia,” Broadcasting History Quarterly, Vol. 8, No. 1, pp. 3-29, 2005.
- ^ 放送文化研究所『未現存資料カード運用要覧』第4版, 1984.
- ^ 三枝文夫『沈黙の10分とその周辺』銀座出版, 1967.
- ^ 長谷川康子『消えた映像のための編集史』東京資料大学出版会, 2011.
- ^ 北見修平『番組が残らない理由の研究』メディア史研究所, 2017.
- ^ 遠山みどり『テレビ県民大会と電話料金の社会学』地方放送叢書, 1998.
外部リンク
- 日本未現存番組研究会
- 放送資料カード目録室
- アーカイブス・サーチ東京
- 消失映像年表データベース
- テレビ保存民間連絡網